第12話 真夜中の異変

 『魔法についてのすべて』のページを夢中でめくっていると、ホタルは突然咳き込んだ。

 やっとのことで本を閉じ、手を伸ばして元の場所に戻したあとも咳はしばらく止まらない。

 喉がからからだった。


 ようやく咳がおさまり、ホタルは息を吐く。だがまだ喉の奥には異物感が残っていた。

 水でも飲もうか。

 そう思い、ホタルはベッドからそっと降りる。ホタルのために用意されていた黒い皮靴に足を通すと、意外なほどぴったりと馴染んだ。


 すでに、廊下の端にある看護室に水場があるのは分かっている。近くを流れる川の水を引いているらしい。そこに行けば水を飲めるはずだ。

 

 ホタルは部屋の隅にあるクローゼットの扉を開け、今日もらったばかりの「白仕事」用のマントを取り出して羽織った。

 室内は暖かいとはいえ、夜中の廊下に出てしまえばホタルが普段着ている病人用のワンピースでは肌寒いだろう。

 

 ホタルはドアをそっと開き、部屋から出た。

 

 廊下には所々に明かりが灯っている。

 人気はなかった。明かりの放つじんわりとした光は、先日裏書庫で見たランタンの明るさに似ている。

 ホタルは廊下をゆっくりと歩き出した。


 途中で窓から外が見え、ホタルは一度足を止めて外を眺める。昼間は館内を歩くことも増えてきたが、こうして夜中に部屋の外に出るのは初めてだ。

 深い藍色の空には無数の星が散りばめられている。遠く広がる雪景色も、昼間とはまた打って変わって静かに輝いて見えた。

 しばらく窓の外を見つめ、ホタルは視線を前に戻す。


 その時、廊下の先にある一部屋から明かりが漏れ出しているのに気づいた。


 確かそこはギルティの部屋だ。こんな時間に起きて何をしているのだろう。疑問に思いながらホタルはギルティの部屋の前まで歩いていく。


 ドアは少しだけ開いていた。


 「ギルティ?」

 呼びかけてみたが、返事はない。

 ホタルはドアの隙間から室内を覗き込む。ギルティの部屋にも、ホタルの部屋と似たような間取りで家具が並んでいた。

 中央に置かれているソファの上に、座っているギルティの背中が見える。


 「ギルティ?」

 ホタルは再度呼びかける。

 その途端、ギルティの体がぐらりと揺れたかと思うと、どたりと派手な音を立ててソファの上に倒れ込んだ。


 「え」

 ホタルは驚いたが、ギルティはそのまま動かない。

 意を決し、ホタルはついにドアを開けて室内に踏み込んだ。走り寄ってギルティの顔を覗き込むと、彼は蒼白な顔でどこかぼんやりしている。

 ホタルは彼の顔の前に手をかざした。息はしているようだ。

 「ギルティ? 大丈夫?」


 ホタルは呼びかけながら、ふとソファ脇のテーブル上に目をやって……視線を止めた。

 そのテーブルいっぱいに、大量な茶色い小瓶が転がっているのが見えたからだ。


 ホタルは素早く小瓶のひとつを取り上げて匂いを嗅ぐ。無臭だ。中を覗いてみたが、中身は空だった。だがその底には白い粉がこびりついている。


 その瞬間、ギルティがむくりと起き上がった。その両目は虚ろで、焦点があっていない。

 「ギルティ?」


 突然、ギルティが動いた。

 近くにいたホタルはそのままバランスを崩してよろけ、テーブルにぶつかって尻もちをつく。テーブル上の小瓶が数個、音を立てて床に落下した。


 ホタルの脇にテーブル上にあった複数の瓶が転がり、その周りに白い粒のようなものがばらばらと散らばってくる。

 「なに、これ……」

 ホタルはそのひとつを手にとった。そこそこの大きさのある錠剤だ。

 「薬?」

 

 ホタルはギルティに再び目を移す。

 もしかして、彼はこの大量の小瓶に入っている薬を全て飲んだのだろうか。

 だとしたら、一体どれだけの。


 何のためかは分からないが、これは自分には対処できそうにない。


 そう直感したホタルは弾かれるように身を起こし、ドアを開けて走り出した。

 とにかく助けを呼ばなければ。


 その足は館長室に向かっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

殺人司書は天から落ちた @tomachikoyuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ