『OL美咲の秘密の能力物語』 ~透明なつま先で、会社を助けます~
ソコニ
第1話 目覚める10本の宝石~透明なつま先で、会社を助けます~
夜の九時を過ぎても、オフィスの蛍光灯は容赦なく明るい。残業続きの金曜日、佐藤美咲は疲れた目をモニターから離し、長いため息をついた。営業部の中堅として、彼女の席には次々と新しい案件が積み重ねられていく。プロジェクトの締め切りは来週。提案書の修正は明日まで。取引先からの急な要望対応は今すぐに。
28歳。入社6年目にして、ようやく一人前と呼ばれるようになった美咲だが、今日は珍しく集中力が続かない。高層ビルの窓の外では、東京の夜景が煌めいている。デスクの上のスマートフォンには、母からのメッセージが未読のまま残されていた。「そろそろ…」という言葉で始まるメッセージの続きは、想像するまでもない。
「はぁ…」
もう一度ため息をつく。締め切り間近の企画書に向き合おうとした時、美咲はふとつま先に違和感を覚えた。普段ならまったく意識することのない、その小さな身体の部分が、妙に熱を持っているような気がした。28年間生きてきて、こんな感覚は初めてだった。
「また靴ずれかな…」
デスクの下でこっそりパンプスを脱ぎ、足を伸ばす。新しく買った黒のパンプスは見た目は良かったが、まだ足になじんでいない。今日も靴擦れ防止の絆創膏を貼っているのに、午後からずっとチクチクと痛みが気になっていた。
「やっぱり、履き慣らしには時間がかかるわよねぇ」
先週の新入社員研修で、美咲は後輩たちにそう助言したばかりだった。足元のおしゃれと実用性の両立は、女性社員の永遠の課題だ。
ふと、右足の親指が妙に熱くなる。まるで小さな炎が灯ったような感覚。そして次の瞬間、隣の席の後輩、田中さんの声が頭に響いた。田中は4月に配属された新入社員で、明るく素直な性格から、美咲もすっかり気に入っている後輩だった。
『先輩、私の企画書、通るかな…来週のプレゼン、緊張で眠れないかも。ああ、お母さんに電話しようかな…』
美咲は驚いて振り向いた。しかし、田中さんは黙々とパソコンに向かっているだけだ。両手でスマートフォンを握りしめ、画面を見つめながら唇を噛んでいる。声は確かに聞こえたのに、彼女の唇は一切動いていない。それどころか、今にも泣き出しそうな表情で画面を見つめているだけだ。
オフィスには残業組が数人残っているだけで、空調の音だけが響いている。この静けさの中で、なぜ田中さんの声だけがこんなにもはっきりと...
「えっ…?」
混乱する美咲の頭に、研修医時代の親友が心霊番組に夢中だったことを思い出す。念力、テレパシー、未来予知…。そんなオカルトじみた話を笑っていたはずなのに、今の自分は確かに誰かの心の声を聞いている。冷静になろうとして深いため息をつくと、今度は違う声が聞こえてきた。
試しに、田中さんを見つめながら右足の親指に意識を集中してみる。その瞬間、まるでラジオのダイヤルを合わせるように、クリアな声が響いてきた。
『明日の合コン、どの服着ていこうかな…昨日買ったワンピース、派手すぎるかな。でも、せっかく痩せたんだし…あ!そういえば、佐藤先輩に相談しようかな?』
今度は違う内容の声。確かに田中さんの声なのに、口は一切動いていない。彼女は今、スマートフォンでアパレルサイトを見ているようだ。仕事の不安から、突然ファッションの悩みへと思考が切り替わる。その様子は、確かに新入社員らしい。
美咲は自分の右足を見つめた。薄いストッキング越しに見える右足の親指は、いつもと変わらない。でも、確実に何かが違う。まるで、小さな宝石が埋め込まれているかのような温かさを感じる。
「まさか…」
その日から、美咲の非日常は始まった。驚くべきことに、10本のつま先それぞれに、異なる能力が宿っていたのだ。週末をかけて、美咲は自分の体に起きた変化を慎重に確認していった。一人暮らしのマンションの6畳一間。ヨガマットを広げ、ノートパソコンを前に、彼女は実験を始めた。
「まずは、右足親指の思考読取り…」
YouTubeで瞑想動画を再生しながら、美咲は集中力を高めていく。集合住宅の壁越しに、隣室の住人の考えが聞こえてきた。『今日の夕飯、何にしようかな…』『明日の会議、資料は大丈夫かな…』様々な思考が、ラジオのチューニングを合わせるように入れ替わる。
「次は、左足小指の未来予知」
スマートフォンのニュースアプリを開き、株価予測を試みる。30分後の株価の変動が、ぼんやりと見えた。ただし、使うたびに左足小指の透明度が増していく。
「右足人差し指は…時間操作?」
試しに落としたグラスを、3秒前に巻き戻すことに成功。ただし、強い目眩と吐き気が襲ってきた。どうやら、この能力は身体的な負担が大きいようだ。
「左足親指には…癒しの力」
わずかな切り傷が、淡い光に包まれて消えていく。この能力だけは、なぜか温かで心地よい感覚が残った。
「右足中指でモノが動かせる…テレキネシス?」
リモコンが宙を舞い、テレビのスイッチが入る。
「左足中指は記憶力増強…」
一度見た企画書の内容が、写真のように鮮明に蘇ってくる。
残りの指にも、それぞれ不思議な力が宿っていた。右足薬指は感情操作、左足薬指は夢の共有、右足小指は存在の希薄化、左足小指は未来予知…。
まるで10個の宝石が、彼女の体の一部となったかのように。
「これ、全部使いこなせるのかな…」
能力の検証に熱中するあまり、気づけば日曜の夜。美咲は興奮と不安が入り混じった気持ちで風呂に浸かっていた。湯気の立ち込める浴室で、彼女は震える手で足を確認した。そして、恐ろしい事実に気づく。
金曜日の午後に田中さんの思考を3回読んだ右足親指が、わずかに、しかし確実に透けて見える。光の加減で見えにくいが、間違いなく皮膚が半透明になっていた。
「これって…能力を使えば使うほど、つま先が消えていくってこと…?」
鏡に映る自分は、歓びと恐怖が入り混じった表情を浮かべていた。明日から始まる新しい一週間。この能力をどう使うべきなのか。そもそも使うべきなのか。答えの出ない問いを抱えたまま、美咲は長い夜を過ごした。
明日からの仕事で、この力を使うべきだろうか。使わないほうがいいのだろうか。もし使うとしても、どこまで…。
月曜日の目覚まし時計が鳴るまで、美咲の心は結論を出せないままだった。
第2話「輝きと代償」
能力の発見から1ヶ月が経った5月末、オフィスは初夏の陽気に包まれていた。美咲は慎重に、しかし着実につま先の力を活用していた。最初は戸惑いもあったが、今では仕事に組み込むコツをつかんでいる。
能力を使う時は、必ず代償を考える。透明化は元に戻らない。使いすぎれば、その能力は永久に失われる。その恐ろしい事実を知っているからこそ、美咲は慎重に、最小限の使用に留めていた。
「佐藤さん、最近輝いてるわね」
化粧室で口紅を直していると、山下部長が声をかけてきた。艶のある黒髪をきっちりとまとめた50代の女性は、美咲が密かに目標としている存在だ。
「そんなことないです」
謙遜しながらも、確かに仕事は順調だった。重要な商談では右足親指で相手の本音を読み、会議では左足小指で展開を予知して的確な発言を心がける。万が一の時は右足人差し指で時間を少し巻き戻せる。透明化も、1回の使用なら10%程度。1週間ほどで元の透明度に戻ることも分かってきた。
「謙虚なのは良いことだけど」山下部長は美咲の横顔をじっと見つめた。「自信を持っていいのよ。先日のプレゼンだって、お客様から絶賛されてたわ」
美咲は苦笑いを浮かべた。そのプレゼンでは、確かに能力を使っていた。でも、スライドの作成や説明の練習は、すべて地道な努力で積み上げたものだ。能力は、最後の微調整に使っただけ。
「私なんて、まだまだです」
「その謙虚さ、山下さんにそっくりね」
突然、第三の声が会話に割り込んできた。総務部の溝口課長だ。
「私が若い頃の山下部長も、そんな感じだったわ」
山下部長は珍しく照れた表情を見せる。「もう、溝口さん。昔話を…」
美咲は興味深く二人の掛け合いを観察した。右足親指で二人の思考を少しだけ覗く。
『美咲さん、本当に私に似てるわ…』山下部長の温かな思いが伝わってきた。
『この子なら、きっと山下さんの後継者として…』溝口課長の期待も感じ取れる。
「あの、お二人とも…」話を逸らそうとする美咲を、山下部長が遮った。
「佐藤さん、今度の土曜日、時間ある?」
「え?はい、特に予定は…」
「うちで飲まない?溝口さんも来るのよ。たまには若手と先輩で、仕事を離れた話もしたいでしょう?」
思いがけない誘いに、美咲は驚きながらも嬉しさを感じていた。左足小指が、楽しい未来を予感させる。
その日の午後、美咲は田中さんの企画書のチェックを手伝っていた。
「先輩、ここの表現、どうでしょうか?」
「えーと、そうね…」
右足親指で田中さんの不安を読み取る。『また的外れなことを書いてしまったかな…でも、佐藤先輩なら優しく教えてくれる』
「ここは、こう変えてみたら?」美咲は画面を指さした。「お客様が求めているのは、具体的な解決策よ。田中さんの提案は良いものだから、もっと自信を持って」
「はい!ありがとうございます!」田中さんの表情が明るくなる。
「それと…」美咲は少し躊躇ったが、続けた。「さっき気になってたワンピース、素敵だと思うわ。明日の合コン、きっと上手くいくはず」
「えっ!?」田中さんは驚いて振り返った。「先輩、どうして…」
「女の勘ってやつ?」美咲はウインクを返した。
部長との約束、田中さんとの交流。日常の積み重ねの中で、美咲は少しずつ変化を感じていた。不思議な能力は確かに便利だけど、本当に大切なのは、人とのつながりなのかもしれない。
でも、代償も大きかった。最も活用している3本のつま先は、すでに半分以上透明になっていた。特に思考読取りの右足親指は、光が強く当たると存在が分かりにくいほどだ。
「このペースじゃ、あと2ヶ月もしないうちに…」
化粧室の個室で、美咲は足元を確認する。ストッキングの下で、つま先が不安げに蠢いているような気がした。
そんな悩みを抱えていた午後、オフィスに悲鳴が響いた。
「田中さん!」
デスクから立ち上がろうとした田中さんが、突然崩れ落ちるように倒れたのだ。周囲が騒然とする中、美咲は迷った。左足親指には癒しの力がある。まだほとんど使っていないため、透明化もわずか。でも、それを使えば…。
「使います」
決断に迷いはなかった。田中さんの額に手を当てるフリをしながら、左足親指に意識を集中させる。すると、淡い光が田中さんを包み込んでいくのが見えた。まるで、優しい波が体を洗い流していくように。
「あ、なんだか楽になりました」
田中さんの頼りなく白かった頬に、少しずつ血色が戻っていく。周囲からは安堵のため息が漏れた。その光景を見ながら、美咲は足の痺れを感じていた。今の使用で、左足親指の透明化は一気に30%まで進んでしまった。
「佐藤先輩、ありがとうございます」
「えっ?私、何もしてないよ?ただ、たまたま近くにいただけ」
取り繕いながら、美咲は複雑な思いに襲われた。能力を使ったことは後悔していない。でも、これが正しい選択だったのか。透明化という代償を払ってまで、他人を助ける価値はあったのか。
答えは出ないまま、夕暮れが近づいていた。窓の外では、夕陽に照らされた高層ビル群が、まるで巨大な宝石のように輝いていた。
第3話「最後の輝き」
6月下旬の蒸し暑い火曜日、危機は突然訪れた。
美咲が経理部の資料を運んでいた時だった。左足小指が突然、まるで電気が走ったような痺れを伝えてきた。思わず立ち止まった彼女の脳裏に、鮮明な映像が浮かび上がる。
粉飾決算。巧妙に隠された不正な数字。発覚すれば、間違いなく会社は致命的なダメージを受ける。このまま放置すれば、3ヶ月後には倒産は避けられない。300人の社員が路頭に迈うことになる。
「このままでは会社が…」
廊下の窓際に寄りかかり、美咲は冷や汗を拭った。この能力に出会って以来、最も深刻な予知だった。朝の会議で見かけた経理部長の浮かない表情が、今なら理解できる。
使える能力を確認する。ほとんど透明になった右足親指の思考読取りと、まだ健在な左足中指の記憶操作。それに、緊急時用に温存していた右足小指の感情操作が残っている。
「これを使えば、証拠を…いいえ、それは違う」
美咲は首を振った。記憶を操作して証拠を隠したり、関係者の感情を操って事実を握りつぶすことはできる。でも、それは本当の解決にはならない。
一番大切なのは、この危機を正しい形で乗り越えること。会社を、そして働く仲間たちを守ること。たとえ、それが最も困難な道だとしても。
月曜の朝会。大きな会議室に、すべての部長が集まっていた。美咲は一般社員ながら特別に参加を許可された。山下部長の信頼を得ての抜擢だ。そして何より、これが最後のチャンスだということを、彼女は左足小指の未来予知で知っていた。
会議室のテーブルには、厳選された資料が並ぶ。経理部の月次報告書、主要取引先との契約書、内部監査の結果…。それらは一見、問題のない数字の羅列に見える。しかし美咲には分かっていた。この中に、会社の存続を脅かす重大な秘密が隠されているのを。
資料を配布する手が、少し震えている。右足親指は、もう限界に近かった。すでに90%以上が透明になっており、これ以上使えば能力は完全に失われる。でも、それは覚悟の上だった。
「では、各部からの報告を…」
社長の声が響く中、美咲は静かに手を挙げた。
「申し訳ありません。その前に、私から重要な報告があります」
突然の発言に、会議室が凍りつく。右足親指を使い、幹部たちの反応を確認する。
経理部長の焦り『まさか、彼女が気づいているのか…』
常務の狼狽『このタイミングで…何を…』
社長の驚愕『佐藤君が、なぜ…』
それぞれの思考が、透明になりかけた右足親指に流れ込んでくる。痛みと眩暈が襲ってくるが、ここで止めるわけにはいかない。
「これは、私たちの会社の未来がかかっている問題です」
スクリーンに映し出された資料を指しながら、美咲は粛々と事実を指摘していく。巧妙に隠された不正な会計処理。それが発覚した時の影響。そして、今なら間に合う対策案。
「狂っている!」経理部長が机を叩く。
「佐藤さん、あなたには分からない事情が…」常務が遮ろうとする。
しかし、美咲は止まらなかった。右足親指が捉えた本音と、左足小指が見せた未来。それらを総動員して、必死の説得を続ける。
「私たちには、まだ選択肢があります」
美咲の声が、静まり返った会議室に響く。
「今なら、自主的な情報開示と体制立て直しが可能です。確かに痛みを伴う選択かもしれません。でも、これが会社と、そして300人の社員とその家族を守る、唯一の道なんです」
3時間に及ぶ議論が続いた。反論、否定、時には怒号も飛び交う。しかし美咲は、右足親指が完全に透明になっていく痛みに耐えながら、諦めなかった。
そして、ついに。
「分かりました。佐藤さんの意見を採用します」
社長のその一言で、会議室の空気が変わった。会社は自主的な情報開示と体制立て直しを決断。危機は残るものの、少なくとも正しい方向への一歩を踏み出せた。
会議室を出る時、山下部長が美咲の肩に手を置いた。
『よく頑張ったわね』
その思考が、かすかに聞こえた。それが、右足親指で読み取る最後の思考となった。
その夜。美咲は自宅の風呂場で、完全に透明になった右足親指を見つめていた。もう二度と、他人の考えを読むことはできない。長年の親友を失ったような寂しさもある。
でも、不思議と後悔はなかった。能力に頼らなくても、自分の言葉で人を動かすことができた。それは、彼女にとって何より大きな収穫だった。
「結局、大切なのは能力じゃなかったんだ」
鏡に映る自分は、晴れやかな笑顔を浮かべていた。残された9本のつま先は、それぞれが小さな宝石のように、かすかに輝きを放っている。
これからは、もう少し大切に使っていこう。そう心に誓いながら、美咲は明日への一歩を踏み出す準備を始めた。スマートフォンには、山下部長からのメッセージが届いていた。
『土曜日の飲み会、まだ有効よ。溝口さんも、田中さんも来るわ』
返信を打ちながら、美咲は考えた。不思議な力は確かに魅力的だ。でも、本当に大切なのは、目の前の人々とのつながりなのかもしれない。
(終)
『OL美咲の秘密の能力物語』 ~透明なつま先で、会社を助けます~ ソコニ @mi33x
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます