蟻の王と鴉の従者

ちはや

第1話

 海岸線を、ミモロは歩いていた。この時期の海風は、ほどよく肌にまとわりついて心地よい。しなだれかかるおんなの仕草ににているかと、ふと、ミモロは思った。

 あつい吐息が、ぬれた瞳が、ぬめる唇が、のびる指先が、己のからだをまさぐりはいずる速度とおなじなのかと。

 ミモロはまだ童形の美豆良みずらを結っている。が、もう間もなく十四歳になる。その日をむかえれば、美豆良は大人のそれに結いなおされる。つまり十四歳となる日をもって、ミモロは子ども時代のおのれの全てを捨てねばならぬ。

 つまり、性的な意味合いでも大人に、ということになる。それはこの国のしきたりである。王族であるミモロの場合は、好きな女をえらぶ権利があたえられているが、一般には乳母や父や兄の妻たちからひとりえらび、少年をおとこにする相手を務めた。

 ――どうせなら、気にいったおんなを抱きたい。

 おんなとは、いったいどんな味わいなのだろう。

 早熟なものは成人の儀式のまえに、おんなを抱く。王族ならば公然とそれがゆるされた。が、ミモロはまだおんなをしらない。父王のシマコは自分の母をはじめとして多くの婦人を得ているが、実のところ、ミモロはまだ男女のまぐわいというものに対して興味よりも恐怖のほうが勝っている。

 おとこと違う、おんなとは異形である――そう、思っている。

 だから、怖いものを相手にするのならば、せめて好ましいものをまさぐりたいではないか、と願うのだった。

 おんなの只中に欲を放つ瞬間は恍惚に酔うという。ざん、とつよく波打つ音は、ずん、と腹に落ちるくせにえも言われぬ開放感をあたえる。ならば、やはりおんなと波はにている。海岸線を歩くミモロはそう思っている。

 どん、と打ち寄せ、ざん、と破れて、ごう、と引いていく波の音は鼓動にも、にている。いや、ミモロの鼓動とおなじ節まわしで寄せては返している。

「気のせいか」

 ミモロはぴたり、と足を止めた。だれかに呼ばれているような気がしたのだ。

「――……さまぁ……」

「……ミ……モロ……さまぁぁ……」

 気のせいではなかった。遠く背後から、必死になって呼ぶ声が、こちらに近づいてくる。くるり、とミモロはきびすをめぐらした。

 すると、大きく手をふりながら駆けてくる小さな点つぶが目に入った。数人の男たちが、ミモロを追いかけてきている。彼にあたえられいる家僕たちである。

「どうした」

 ミモロのほうから、そばに寄ってやる。すると、もっとも長く仕えている家僕のホソドが、おお、とよろめきながら腕を伸ばしてきた。

「ミモロさま、実は、その、」

 しかしホソドも他の家僕たちも、息が上がって、言葉がうまくでない。

 父王のシマコであればかっとなって叱責するところであるが、ミモロは彼らが落ち着いて話せるようになるまで、静かに待てるおとこだった。

「実は、海岸に船が打ち寄せられておりまして、」

「なに?」

「それも、かなりの数になります」

「いかがいたしましょうや、」

 ホソドが問うまえに、

 「どこだ、案内あないせよ、」

 ミモロは走りだしていた。


「これは、」

 ミモロの声は至極おどろきに満ちていた。眼前の海原には、大船団がある。

 しかも、まともな形をたもっている船はほとんどない。どれもこれも、大なり小なり舟板を破られている。船の形から、半島のものだろう。

「いったい、どうしたことか、」

 くらげに支配された夏の海のように、大量の難破船が波に上下していた。こんな破れ船で、よくもここまでたどり着いたものである。

 そうこうするうちに岸のほうから、わらわらと人影がよってきた。近隣の村が自発的に行っている、救援者たちらしい。

「これは、ナ国の日子さまがじきじきに、お越しいただきましたのか」

ミモロの姿に、村長むらおさらしき年かさのおとこが、感激の声をあげた。

「船は、どこの国のものか分かるか?」

「はい、それがどうやら、」

「んっ?」

 急に声をひそめ、村長はミモロに身体をすり寄せた。

「シロ国からのものらしく、」

「シロ国」

 ミモロは口の中で反芻した。

 シロは半島にある、ナ国のような小王国である。

 この国は多くの砂鉄を産しており、倭国との交易がさかんである。なかでも最近は、イズモというクニに積極的に近づいている――とイツキ国からの交易人から聞いている。

 イツキ国は半島にある友好国たちのうち、とくにタクリ国とかかわりが深い。根が似ているものは一旦反発すると二度と相容れないものだが、このタクリ国は成り立ちのころからシロ国といわゆる犬猿の仲であるとも聞いている。

 と、いうことはつまり、ヤマト国とクナ国が反目し、隙あらば互いの領域を侵そうとしているように、シロ国とタクリ国とのあいだで不穏なる事態がおこったのだと考えるのが自然である。

 つまり、戦である。

「なにがあったのでしょう?」

 村長はおろおろしている。

 人道的に、とにかく、おぼれかけている船から、人を救いだしてはいるが、今さらながらに、なにか下手をしたのではないか、せっかくの善意を王族からいらぬ勘ぐりをされはしまいかと、怯えだしているのだ。まずは、このおとこを安心させねばならぬ、とミモロはつとめて明るく言った。

「それはわたしにもまだ分からぬ。しかし、よくぞ難民たちをすくい上げた。いずれ大王おおきみさまにはよく伝えておくゆえ、引き続き、救出に力をいれよ」

「ミモロさま、それは、なんという、」

 村長は感極まった顔になる。

 じぶんの善意の行いはまちがっていなかった、大王の覚えめでたきミモロの言葉なれば、もしかしたらほうびも得られるであろう、と安心したのである。腰を低くしミモロになんども頭をさげたあと、村長は勢いよく波打ち際に走り、命令をはじめた。

 単純なおとこである。

 が、こうした単純なおとこの善意は打ちのめされた人間にはあたたかく感じるものである。すくわれても、ここは異国の地である。身構えていたひとびとが、やがて、すなおに手を借りはじめだした。

 しかし、ミモロは単純ではいられない。ぐるぐると頭の中はすさまじい速さでまわっている。

 シロ国のしるしをかかげたこの大船団は、亡命者であろう。つまり、半島でやはり、そこまでの『大事』が起きたのである。しかしそれを見た目のままに信じてよいのであろうか。

 まことにシロ国のものならば、ナ国の沿岸などではなくむしろイズモを目指すであろう。

 イズモとシロのあいだにはすでに海路が安定している。

 なのに、わざわざナ国にきた。

 もちろん、海洋上で嵐や渦に巻き込まれて道を見誤ってしまったのかもしれない。 

 それとも潮に流され外れてしまったかのかもしれない。

 どちらも考えられる。

 だからこそ、あやしい。

 息も絶え絶えに砂浜に横たわる異国のひとびとを前に、ミモロはきびしい顔つきで立っていた。


 ほどなく、再び村長が駆けもどってきた。

「ミモロさま、どうやら、あるじらしき人物を見つけたのですが」

「おお、そうか、それはよきことである」

 さっそく、ミモロは会うために動きだしている。

 これだけの大船団を率いる、ということはそれ相応の身分あるもの、ということになり、つまりは『王族』かそれに準ずる身であるにちがいない。

 亡命者の身をさきにあきらかにせねばならぬ、とミモロは少年らしく張りきっていた。どうやらこれは、自分がはじめてとりかかる『政治』らしい。だが、村長のほうはけわしい顔で足をとめている。

「どうした?」

「ミモロさま、それがですな」

「なんだ?」

 こちらに、とミモロをうながしつつ、ようやくもそもそと立ってあるきはじめる。ミモロがあとについてきていると確認しながら、村長はため息をはいた。

「どうも、」

「うん」

「主は比女さまのようでして、」

「比女」

 大船団の持ち主、亡命者の主が比女。

 なるほど、村長がどうとりあつかうべきか怖れるわけであった。


 ※


 大陸や半島のことばは、なれぬものではまず、どちらかの区別すらつかない。

 さらにその土地の中ですら、音はこまかく分派しているから尚更である。

 ミモロが聞き取れ、話せるのは、お互いに名乗るときに必要とされるさいの、わずかなことばのみである。それでも、できぬよりはかなりまし・・である。

 連れて行かれたさきには、大年増ふたりに左右を守られた、むすめがいた。

 美しい、とミモロは思った。

 年の頃は、ミモロよりも幾分、上かもしれぬ。髪を大きく結き、翡翠の玉を身につけていた。被は紋様の色形から、大陸産のものではないらしい。これらの身なりから、一廉の身分であると察せられた。半島のいずれかのクニの比女、というのはあながち間違いではなさそうである。

 大年増ふたりにの腕にすがりつき、むすめは青ざめ、いかにも心細そうだ。がちがちと歯の奥をならして、ぶるぶるとふるえ、目の端には涙をためている。

 ミモロは、むすめに対して敬意を払いながら、膝をついた。背後から、村長たちが息を呑む音がする。王族が、かように腰を低くするなど考えられない。

「わたしはナ国が大王おおきみシマコの子、ミモロである」

 ゆっくりと、さぐるように、ミモロは名乗った。シロ国のことばは倣いはじめたばかりであるが、音は違えていないはずだと自信はある。

 しかし、むすめを守る大年増ふたりは、ミモロのことばを聞いたとたんに憎悪の瞳をぶつけてきた。むすめはといえは、もう失神寸前である。

 ミモロは内心で首をひねる。シロのものならば、クニのことばを聞けば安心するはずではないか? であるのに、彼女たちは増悪の感情をあふれさせている。

 もしや、とミモロはいま一度、名乗った。しかし今度は、タクリ国の言葉を使った。

「わたしはナ国が大王おおきみシマコの子、ミモロである」

 とたん、おお、と大年増たちは感極まった涙をながした。年増ふたりに左右からはげしく揺さぶられたむすめは、あっさりと気絶する。

 むすめを守りながら、年増のひとりが早口でまくしたてた。さすがに、日常会話はまだ聞き取れない。ミモロはあてて、身振りで落ちつくように年増に訴えるが、感情が高ぶっている彼女にはとどかない。

 とりあえず、言わせるだけ言わせてしまえ、とミモロは開き直った。

 いまのこの環状の爆発をへたにとめるのは良くない、と計算したのである。もちろん、聞き取れることばないかと必死になって耳を立てる。

 その中でことばとしてまともに聞き取れたのは、

 『タクリ』

 『ワカ』

 この二言だけであった。


 むすめたち一行は村長の申し出もあり、館にあずけおくこととなった。

 彼女らの世話は村長の婦人たちに任せ、ミモロは若さのままにまだ救助活動が続けられている海岸線へとはしった。夢中であった。家僕たちにうながされ、村長の館にはいり、食事をとりはじめたころには、もう日はとっぷりと暮れていた。

 村長の婦人は誰もかれもでっぷりとししおきのよい身体つきをしていた。おんながふくよかなのは、村が豊かな証でもある。数あるむすめたちのうちひとりでよい、日子であるミモロの胤を授けてもらえぬかもしれぬ、という下心もあり、あけすけに馴れなれしくしてくる。

 だがミモロはあまり不快感をいだかなかった。

 ころころとした親しみのある体型のおかげかもしれない。ミモロはふいに、クニもとに残している母を思い出していた。ミモロの母は痩せぎすの人であるからか、どこか冷たい水のような雰囲気を醸す婦人である。父が囲うおおくの婦人たちとの争いごとに、母もまた、憑かれるように交じっているせいもある。

 ミモロがつよく、そして兄弟のなかでも秀でたおとこであるように命じ、そのとおりに成長することだけが楽しみのおんなだ。子であるミモロによそよそしくあるのも、争ってばかりでつねに神経がとがっているからであろう。

 救援活動は心身をひどくつかれさせたが、元気の良いおんなたちに世話をされミモロは気力がもどる心地がしていた。クニもとの館にあるよりも気が大きくなっていたのか、進められるままに食事と酒をかさねた。床に横になったのは、夜中ちかくになっていた。

「ミモロさま、ミモロさま、」

 波の音のようなまどろみから、急に揺り起こされる。目をぽかりとあけると、家僕のひとり、ホソドが緊張したおももちで跪いている。遠くで、なにやら喧然とした空気がある。

「どうしたのか」

「は、むすめが目覚めましてございます」

「ほう、そうか、それはよきことだ」

 では、あのざわめきは娘が起きたせいであるかとミモロは素直に喜んだ。だがよい知らせのわりには、ホソドの顔はどこかうかない。

「何ごとかあったか」

「は、それが、」

 むすめがなにを言っているのか皆目分からず、持て余している――のだという。

 つまり、通訳としてミモロに出張ってほしいというわけである。

「いこう、」

 ミモロはかぶっていた筵をはね飛ばし、床から飛びだした。

 進むと、一室に、こうこうとした灯りがみてとれた。火は貴重である。それをこうまでたいているということは、かの部屋が、娘の在所であろう。

「どうであるか」

「や、これは、」

 呼ばれた部屋につくや、ミモロをみとめた村長は泣きそうなかおで、どたどたと走り寄ってきた。

「どうにも、あの比女さまを守る婆どもが、大仰に騒ぎ立てまして。これ以上騒がれては我らも困るのです」

「……」

「われらでは、かれらの申しておることが分かりませぬ。わずかでも言葉を習得なされておられるミモロさまの手を借りませぬと、もはやどうにも立ち行かぬありさまでして」

 必死の村長に背中を押されるように部屋にとおされたミモロは、しつらえられた寝床に青白いかおで横たわっているむすめを前に、うろたえた。

 てっきりもう、彼女は起きていると思っていたのである。狼狽したまま、部屋を出ようとしたミモロを、村長が背後からがっちりと行く手をはばんだ。

 どかぬか、とミモロはむっとした顔をする。

「なにとぞ、かの比女さまのお相手を」

 村長の主張はただしい。

 そもそも、自発的に救護にまわったとはいえ、続けるよううながしたのはミモロである。

 ならば全体の責任を背負うのは当然、ミモロである。

 しかし、本来ならば這いつくばらなねばならぬ立場の者がこうまで声高に主張するのである。相当に辟易して扱いかねているのだろう。

「わかった、わたしが話してみよう」

 ミモロは苦いかおで、むすめの部屋にはいった。


 意思疎通は難儀を極めた。

 いくら、大陸と半島のことびを学んでいたが、思い上がりもよいところだとミモロはしぶい顔をする。

 それでも、ワカがやはりむすめの名前であること、そしてどうやら、タクリ国の王族の一因であるらしいことまではつかみ取れた。

「タクリのワカ比女」

 ミモロの予想どおりだったらしい。

 彼女たち一行は、戦乱にまきこまれたタクリ国から逃れてきたのである。戦のあいては、大陸からつきでた半島の覇権をかけて幾度も衝突しているシロ国である。

 ここまで彼女たちのことばを得るのに平旦ではなかった。

 とにかく、ことばが聞き取れない。なんども行きつ戻りつしつつ、くり返して聞いてたしかめてのことである。いままで習ったことはなんだったのか、片言ですらなかったのだと実力をおおいに思い知らされたミモロは、苦笑しかなかった。

 わずかでも情報がはいってうれしいが、村長たち村の大人たちはむずかしい顔をしている。

「どういうことですかな?」

 タクリ国なれば、ヤマトとちかしい。イツキやツシマなどを頼るのも分かる。

 だが比女がシロ国のものと偽装した船に乗っていた意味が、村長たちには理解できぬらしい。ミモロは笑って教えてやる。

「なに、安全にこの倭国まで逃れられるよう、シロ国のものに偽装したのだ。シロ国とてばかではない。海上に見張りをいくつもたてておったろうからな」

「あっ、なるほど、」

 タクリ国の王族と知れれば、なにをされるか――と、それならば、分かる。

 当初、ミモロがシロ国のことばで話しかけたとき、彼女たちの態度がこわくなったのは、せっかく逃れてきたのに、シロ国と縁の深いイズモに到着してしまったかと勘違いしたのだろう。

 村長はなぞがとけた喜びに、手を打った。

 単純であるが裏表がないこの男の態度は、言葉がわからずとも場を和ませた。だが、ミモロはすぐにほほを引きしめた。いくら王族であるとはいえ、これだけの船をそろえるのは相当な覚悟が必要なはずである。

「戦か、それでなくとも、相当な乱があったのだろうが、さて……」

 乱がどれほどの規模であるのか。

 ヤマトとナ国と、そしてイズモとの関係にどんな影響を及ぼすのか。

 なにしろ、イズモは最近、ヤマトと敵対しているクナ国とよしみを深くしている。

「下手をしたら、これは乱がヤマトとクナの間にも飛び火する」

 やはり、これはミモロがはじめて関わる政治になりそうである。

 それはそうと、半島の情勢不安定さに、王族であるがゆえに、そしてうら若いおとめであるがゆえに身分をかくしクニを捨て逃げねばならなかったのかと思うと、若く実直なミモロは、このうら若いワカ比女にしたがって命懸けの渡航を試みた一行に憐憫の情を抱いた。

「最初に、このむすめたちの問題に首を突っ込んだのは自分である。なれば、最後まで関わり合いになり責任をとらねばならぬ」

 ミモロは村長の館に足繁く通い、なにくれとなく、この不憫なながれものの異国の比女の世話をやくようになった。



 ふたりは互いに互いのクニのことばを教えあった。

 役にたったのは、漢字――つまり文字・・である。

 ワカがミモロに文字を教え、その後に、互いのクニのことばを発して覚えていくのである。もちろん、大陸にある筆や墨というものは貴重すぎて、半人前のミモロが手に入れられるわけがない。そこで、ふたりはであった浜まで出かけていき、砂に文字を書いては消して書いては消して、文字を教え、文字を覚えた。

 意思が通じあえぬのがよほどもどかしく切なかったのだろう。ミモロに文字を与える際のワカは実に饒舌であった。

 クニのなりたちや歴史、半島での暮らし、それは細やかにミモロに語る。

「百余の家人を引き連れしわが遠祖は南に下りてタクリを開きし」

 つややかに咲きほこる花弁のような唇が、彼女のクニの成り立ちを語る。

 動くさまをじっと見つめるミモロは、ふと、自分の身体の奥にある芯がねっとりとあつい熱を持ち出しているのに感づいた。

「自分は、ワカに欲情している」

 あれほどの、異形であるおんなへのおそれはもうすっかりと鳴りを潜め、ただ、ワカのおんなとしての部分のただ中に埋没したいと欲している。

 若さとは勢いである。

 ワカへの欲情を認めたその日、ミモロはおのれの気持ちを率直にぶつけた。

 おとことはいかなるものかなど知らなかったうぶなワカは、急におとこである部分をみせつけたミモロにおののいた。

 だが、恥じらいながらも、けっきょくミモロを受け容れた。

 語らいのなかで、彼女もミモロに対して胸の奥を熱くしていたからであろう。固い果実を抉じ開けるようにに、ミモロはワカの身体を開いた。

 ミモロの腕のなかのワカの吐息はじつに甘くかぐわしく艶めいて、まさに果実のごときであった。

 夜を徹し、貪り食うように、ワカの身体を隅々まで堪能したミモロは、もう、彼女なくして日をおくるなど考えられぬようになっていた。

 こうして、ミモロとワカが、ふかく想いあうようになるのに、さしたる時間はかからなかった。

 ワカが連れてきた老女たち――キサカとウムカ、どうやら乳母ではなくワカの縁者であるらしい――この二人は、ミモロとワカの間を積極的に取り持とうとしたおかげで、若い恋人たちは労せずして逢瀬を重ねあえた。

 老女二人にすれば、ナ国の日子であるミモロの情を受ければ、ワカの立場が安定するだろうという見えすいた魂胆があっただろう。

 が、二人は思惑などどうでもよかった。

 犬が草原でころがるように身体を重ねるのも時間を忘れるほど楽しく、またミモロに時間がとれず、大館から夜のうちにぬけだし性急な情交を重ねて明け方には帰るせわしない日も、若い恋人どうしの劣情の炎を燃え上がらせる要因にしかならない。

 しかし、半島から流れてきた美貌の乙女のうわさは、思いのほか早くに、ミモロの父、ナ国大王おおきみシマコの耳にはいっていたのだった。


 ミモロは考えている。

 なんとかして、ワカを名実ともにおのれのものとしたい。

 もっとも手っ取り早いのは、村長夫婦――ウツとクニカいう――の縁者、できれはむすめとして、ミモロが成人するとともに彼のやかたに婦人としてあげることである。

 しかし、うかうかとはしておられぬ。

 ウツのむすめとすればワカは他のおとこ、ミモロ以上の権力を有するおとこのものにすることも可能となってしまうからだ。

「どうする、」

 うらうらと考え込んでいても仕方がない。ミモロは実直にウツに願った。

あれがために、その方らはできるか」

 ウツとクニカはそこまでミモロが本気の想いであったかとおどろきながらも、初々しいふたりの情熱の後押しをおしまない、と約束してくれた。

 ひとつには、このミモロという年若いナ国の日子ひこの胤をむすめたちに貰えるかもしれぬという算段がまだはたらいているのかもしれぬ。

 が、それでも、大王おおきみに楯つくことになるやもしれぬのである。

 肝が据わっている。

 村長夫婦に願いを聞き入れられたミモロは、笑みを浮かべた。咳き込むように、自身の計画を語ってきかせる。

「わたしは近々きんきん、成人する。そのさいに、子ども時代のすべての穢を捨てねばならぬ」

 つまり、おんなを抱く。

「あいてに、ワカをもとめるつもりだ」

「おお、なるほど、そんな手が」

 ウツは手を打ってよろこんだ。

 成人の務めをはたすおんなは、大きな褒美をえられる。

 乳母の場合は死後の世界の世話までが約束されるし、父や兄の婦人のひとりである場合は、当人が出世したとき、実家の保全である。

 新たにべつにおとめを選んだ場合は、妻としてひきとれるのである。

 ウツとクニカの夫婦はどこかわくわくしたような面持ちである。

 ワカがミモロの館にうつるその日を思い描いているのだろう。どこまでも、このふたりは人がよく、人をなごませる。

「さすがにございます」

「しかし、問題もある」

 急に声を落としたミモロに、ウツとクニカは顔を見合わせた。

「ミモロさま、問題、とは?」

「タクリより流れてきたワカの名は、このあたりで、もはや知らぬ者はおらぬ」

「おお、それは、」

 いくら何でも、ワカの名前のまま、ミモロの館に入れるわけにはいかない。

「そこで、ワカにあたらしい名前をあたえ、その方らのむすめにしたてたい」

「名は、いかになされますや?」

「良い名を、もう、考えてある」

 どうやら、事がうまく運びそうである。そこでやっとまた、ミモロはほがらかに笑った。


 ワカに与えられている部屋を、ミモロはおとずれた。

 ぱっ、とむすめの顔が華やぐ。

 じめじめと陰険さが漂う母の顔とはちがい、ワカの笑顔はミモロの胸から憂いを取り去ってくれる。

「やはり、なんとしても我が妻にほしい」

 若さゆえの一本気である。

 誘われるままに腰を下ろしたミモロは、ワカが差し出そうとする酒をとり、横においた。ふしぎそうに見上げるワカに、ミモロは改まった顔をしてみせた。

「わたしは近々きんきん、クニの作法により、成人の儀を迎える」

 と、すんなり伝えられればよいのであるが、まだ、そこまでうまく話せない。

 ミモロは赤くなりながら、ことばを行きつ戻りつさせ身振りを交えて、ワカに伝えていく。

 タクリ国にも、似たような風習はあるらしく、なんとかミモロの言わんとするところを察したワカは、にっこりとほほえんだ。

「その時、わたしはおんなを抱いて完全なる男に成らねばならぬ。儀の夜、むかえねばならぬおんなは、そなた以外考えられぬ」

 また、ことばをくり返す。

 告白のことばを何度も口にするのである。

 ミモロはおおいに照れた。

 照れをかくすために、顔はがちがちにこわばっている。

「そなたを、ウツとクニカのむすめとする。名前は、モモソとする」

「モモソ?」

「そうだ――ワカ、」

 ミモロは、ワカの手をとってにぎり、手の甲をなでた。

「はい、」

「そなたが教えてくれた。タクリの遠祖は、百もの家人を率いて新たにクニを開いたのだと」

「……」

「そなたも遠祖とおなじく、おおくの民草を率い、海原をこえて遠き倭国の地までやってきた。そなたのクニの『ペッ』は、はわがクニでは『もも』という。そなたはこの倭国での祖となるべき乙女である、だから、」

 ――モモソという名を、そなたにあたえたい。

 奇妙な汗を全身にかきながらも、ミモロは大まじめにワカに語る。

 ワカも、首を傾げ、納得して都度うなずきながら恋人の言葉に真摯に聞き入っている。

 そんな恋人が、ミモロはますます愛おしくてならない。

「わたしは、おんなを抱かねばならぬなら、ワカ以外、抱きたくはない」

 ミモロの決意のことばを魂にうけとったワカは、彼の胸に無防備に飛び込んだ。 

 それが、答えであった。

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