神龍軒は翼を授けない

月見 夕

新年のご挨拶は粗相なく

 ロックバンドの演奏を少し遠くに聴きながら、俺は持ってきた鍋の片付けに勤しんでいた。

 本日の神龍軒は臨時休業。というのも兄貴がやってるバンドが参加するニューイヤーライブの手伝いに駆り出されているからだった。

 いつも中華屋の会計・電話番・配達を担っている兄貴は、たまに忘れそうになるがインディーズのバンドマンである。何だっけ、確かギターボーカル。顔が良いのもあってファンもいるらしい。知らんけど。

『騒ぐ〜心にぃ〜! 冷たい煮干しが突き刺さぁるぅ〜!』

 微かに聞こえる歌詞はちょうど先月に作っていた新曲だろうか。

 弟の俺は音楽のことなど一ミリも分からない。よって今まさに楽屋に聴こえている兄貴の熱唱の善し悪しもよく分からなかった。

「刺さらねぇな、歌詞……」

 俺にできるのは中華鍋を振ることだけだ。

 場所を店から移そうと、こうして料理の腕を披露できる所があるならと出張ケータリングにも了承したのだ。鶏ベースのラーメンだったが、鍋ごと持っていくため準備に相当時間が掛かって大変だった。

 まあバンドメンバーやスタッフの皆が喜んでくれたならいっか。

 最終的な費用は後で兄貴に請求してやろうと頭の中で算盤を弾いていると、ポケットの中のスマホが震えた。神龍軒のお隣さんからだ。

「中華屋弟〜? さっき電話あったわよ」

 電話口から気怠いような甘ったるいテノールボイスが響いた。神龍軒のお隣さん、純喫茶「シン・カテドラル」のマスター・真造さんだ。

 今日は自分の店番もあるのに、神龍軒の電話の子機を預かり電話番を買って出てくれている。

「電話任せてすまねぇマスター」

「アタシのことはママって呼びなさぁい」

 賭けても良い。多分ママは今電話線を指に巻いて喋ってる。

 視覚的カロリーの高い御姿は一旦忘れることにして、俺は本題に入った。

「電話、ちなみにどこから?」

「あんたのお得意先のご令嬢よぉ。いつもの注文ね。何だと思う?」

「今日は臨時休業なんだけどな……まぁ良いや。ちなみに何?」

「お雑煮だって。鶏出汁で作ってほしいって言ってたわよぉ、まったく何屋だと思ってんのかしら」

「そうなんだよ、いっつも無茶言うんだよその子……」

「まぁ二つ返事でOKしといたわ」

「断ってよ!?」

「良いじゃない。数少なぁい定期顧客リピーター、大事にしときなさいよ? 新年のご挨拶かねて行ってらっしゃいな」

 ばぁーい、と電話は一方的に切れ、俺は頭を捻った。

 雑煮……雑煮か。いつもの「ドレスドオムライス」だの「パエリア」だのと比べればかなりマトモな注文だ。

 だが生まれ育った地域でかなり中身が異なる料理でもある。すまし汁に餅が浮いてるだけのものもあれば、大海老にブリに根菜類が溢れるほど入ってるものもある。確かあんこ餅入れるところもあったよな、あれはどの地方だっけ……。

 正解の数が多いのではない。逆だ。四十七都道府県に一種類ずつ雑煮があるとしたら、俺はその四十七択問題で正解の一択を選び出さなければならないのだ。

「……城之崎さんは出身どこなんだろ」

 先月初めて顔を合わせたばかりの、色白の少女を思い出す。

 鶏出汁を指定してくるということは、それが慣れ親しんだ味なのかもしれない。

 壁の時計は午後二時半。いつもの時間に持ってこいってことなら、あと三時間はある。

「一旦帰って何か考えるか」

 親父が生きてた頃は実家でもよく作ってくれてたっけ。兄貴と二人しかいない今年の正月は特にそういうの作らなかったから、ちょうどいいかもしれない。

 空の鍋を抱え、俺は楽屋を後にした。



 客がおらずがらんとした神龍軒に帰ってきて、ひとまず客席に大荷物を降ろした。

 ここ最近、昼時なんかはそれなりに来客がある日が続いていたから、こうして誰もいない店内は久しぶりに見たような気がした。

 それも奇抜な新メニューを開発して新規客を招いたお陰だし、その奇抜な新メニューの元こそ毎回の令嬢からの「試験」のお陰だ。

「……新年の挨拶、ね」

 ベタついた厨房の冷蔵庫を開け、一番前に入っていた袋を取り出す。これが雑煮の具に入ってるところは、きっと誰も見たこともないだろう。夢にも思わないかもしれない。

 でも、城之崎さんがいつだって求めているのは――

「誰も見たことのない料理じゃないと、新年始まらないよな」

 神龍軒式の雑煮でご挨拶してやろうじゃないか。

 地方に数多ある雑煮のことを一旦忘れることにして、俺は中華鍋の前に立った。



「お待ちどうさま、神龍軒です」

「どうぞ」

 午後十八時四十分。今日も面会時間にギリギリ間に合って、俺は最上階の病室を訪れた。

 ベッドの上で待つ城之崎さんは背もたれから背を浮かし、凛とした眼差しを寄越した。いつ見ても肌が白いな、この子。

「こちらが注文の――じゃねぇや。あけましておめでとうございます」

「……ええ、今年もよろしく」

 取って付けたような俺の新年の挨拶に、城之崎さんも心做しかそわそわと頭を下げた。香ばしい匂いが漏れるおかもちに。

 気持ちは分かる。澄まし顔ではあるが、早く食いたいと目が言っている。

「今日はお雑煮、だったわね」

「おう。グロいの大丈夫?」

「……穏やかじゃないわね。どういう意味?」

 眉を顰めた彼女の目の前に、百聞は一見にしかずと言うように椀を取り出した。

 机の上にお目見えした一品は――大ぶりの鶏足けいそくが黄金色のスープからつま先を出した、奇妙な料理だった。

「これは……」

 さすがの城之崎さんも言葉を失っている。そりゃそうだ。雑煮をオーダーして、届いた汁物から三本足が突き出しているという地獄のような絵面なんだから。

 鶏足――別名もみじは中華料理ではお馴染みの食材だ。鶏もも肉の真下に当たる部分で、安価で取引されることが多い。豚足は日本の居酒屋でも煮たり焼いたりしたものを良く目にするだろうが、鶏足も概ね現地ではそういう食べ方をされる。

 可食部が少ないのと、何より見た目が難点であまり日本の食卓に上がることはないが……どうだろう、彼女のお気に召すだろうか。

「何と言うか……思い切ったわね……」

「大丈夫、足も食えるよ」

 完全にゲテモノを見る目をした城之崎さんに、そっと箸を差し出す。

 それを受け取ると、いくらか迷っていた彼女は意を決したように鶏足を箸先で摘み、口に運んだ。

「ぷるぷる……!」

「な、美味いだろ」

 思わぬ食感に目を輝かせた城之崎さんは、ひと口、またひと口と三本足に齧り付いた。

 豚足の食感を知る人は多いだろうが、鶏足はより締まった感触で、同じようにコラーゲンも豊富だ。特に足の裏にはぷりぷりとろとろのゼラチン質が詰まっている。

 出汁を取っても良し、焼いて食っても良しということで、もみじをふんだんに使用した鶏出汁に焼き鶏足を添えた雑煮を作ってみたのだ。古き良き日本の雑煮? 知らん。

 城之崎さんは花の形に飾り切りにしたにんじんを探り当て、口に運ぶ。

「それにしても凄まじい見た目のお雑煮を作ったものね。中華料理ではこれが普通なの?」

「んなわけねぇだろ。そもそも中華に雑煮はねえよ」

「それもそうね」

 彼女は頷き、発見したばかりの餅を慈しむように控えめに伸ばして咀嚼した。

 例によって手持ち無沙汰な俺は、その様子をただ眺めることにする。

「初詣とか行ったの」

「中華屋さんは?」

「まあ、近所の神社で済ませたよ」

「そう。私は数年行ってないわ」

 城之崎さんは椀を傾け、ごくりと喉を鳴らした。鶏油と野菜の旨みたっぷりのスープを飲み干し、ひと息をついた頬は少し上気していた。

「はぁ……ご馳走様」

「行けばいいのに。外出許可とかないの?」

「行こうと思えば……行けるのかもね。けど」

 言うなり、彼女は布団を捲って見せた。広いベッドの上に二本並んでいたのは紛れもなく城之崎さんの両脚。なのだが、俺はその異常な細さに内心ぎょっとしていた。筋肉も脂肪も極限まで削いだようなそれは「枯れた棒切れのような」という表現が最も近い。

「人間ってね、しばらく歩かないと歩き方を忘れちゃって……歩けなくなるのよ」

 彼女はなんでもないことのようにそう言い、布団を元のように掛け直した。表情ひとついつもの澄まし顔と変わらなかったから、もう諦めの感情すら湧かないのかもしれない。これが城之崎さんにとっては当たり前のこと、なんだろう。

 けれど……十代そこそこの女の子に、新年からそんな顔をさせたくはなかった。

「食べられないものって無いのかよ」

「……え」

 空の器を預かり、口を開いて出た言葉は自分でも意外だった。

「そんくらい食えるなら太るのもすぐだろ。俺が太るメニュー作ってやるよ。いつかちゃんと歩いて店まで来れるように」

 そんな突然の提案は、城之崎さんにどう受け止められただろう。

 できるだけ真っ直ぐ見つめた彼女の瞳は笑うでもなく泣くでもなく、ただ呆けたように瞬いた。

 静かな個室で、俺たちはしばし黙って見つめ合う。

「……あなたも」

 やがて何か言いかけた城之崎さんの呟きは、面会時間終了を伝える放送に掻き消されてしまった。

 俺も我に返り、慌てておかもちを抱えてお暇する。

「じゃ、じゃあな。毎度あり」

 ばたばたと閉めた戸の向こうで年下の少女がどんな顔をしていたかは分からない。

 柄にもなく格好付けたことを言ってしまった居心地の悪さに、俺は逃げるように病院を退散した。


 ◆


「遅いわねぇ、まだかしら中華屋兄弟……」

 神龍軒の隣、純喫茶「シン・カテドラル」のマスター……もといママは退屈そうにエスプレッソを傾けた。

 客はいない。ポマードで固めた頭に青ひげの浮いたバーテン姿をよじるその絵面の強さから、元より客足は少ない。

 まぁ閑古鳥が鳴いているのも今に始まったことではないので、彼自身はあまり気に留めていなかったが。隣の中華屋から預かった子機も、今日一日で結局三回しか鳴らなかったから似たようなものだ。

 何度目かのアンニュイな溜息を吐いたところで、郵便バイクが夕方の配達に訪れた。

 配達先はシン・カテドラルの方ではなく、件の神龍軒のようだった。

 あら、とママはカップを置き、玄関を出て配達員に声を掛ける。

「あら、神龍軒なら留守よぉ。すぐ戻るから、お手紙なら預かっといてあ・げ・る」

 制服にヘルメット姿の配達員はママの出で立ちに一瞬だけ引き攣った表情を見せたが、やがて営業スマイルを浮かべて手の中の郵便物を手渡した。

 笑顔で配達員を見送り、ママは受け取った封書に目を落とす。

 そして裏側の差出人の氏名を目にした途端に、彼は彫りの深い瞳をカッと見開いた。

「神田龍明……って、そんな」

 呆然と立ち尽くし、その先の言葉を失ってしまった彼の元に、馴染みの出前用スクーターの音が遠くから聞こえてきていた。

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神龍軒は翼を授けない 月見 夕 @tsukimi0518

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