つま先立ちたる

仁志隆生

つま先立ちたる

 春はあけぼの。

 やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて、つま先立ちたる雲の細くたなびきたる。


「違うわあ!」

 いきなり何言い出すんだこの女はと思ったら間違ってやがった。

「え、どこが?」

「つま先立ちたるじゃねえ、紫だちたるだ!」

「えー、そうだっけ?」

 彼女が首を傾げて言う。


「あのなあ、中学んときにさんざん暗記させられただろ」

「うちの中学にはそんなのなかったよ」

「あ、そうなのか。ってこれで覚えただろ」

「うん。けど清少納言さんもややこしい言い方しなくてもねえ」

「千年前なんだからこんなもんだろ」

「そうなのかなあ? そうだ、今度降霊術で呼んでみよ」

「んな事つま先立ちしたってできるかあ!」

「それ逆立ちでしょ」

「あ……しまった」

 不覚だ、つい釣られてしまった。


「ふふ、次郎じろう君も間違った。これで清少納言さんが怒って出て来るかも」

「だから来ねえってば。全くなんでそんな事ばかり」

「だって七海ななみは魔法使いだもん」

「大学生にもなって自分の事名前で言うなよ。あと魔法使いとか言うな」

「だって本当だし。高校の時に生活指導の先生呪ったら箪笥の角につま先ぶつけたとかで骨折してたもん」

「……偶然だろ」

「えー、否定ばっかりするなら近寄らないでよ」


「……そうはいかねえんだよ」

 高校の時からずっと抑え役やらされてたなあ。

 なんというか頭ぶっ飛んでて、殆ど誰も近寄らないんだよなあ。

 先生も手を焼いてたが、俺が言うとマシになるからって。


 あと親御さんからも……特にお母さんは泣いて「あなただけしかあの子抑えられないの」って言ってたしなあ。


 いや、それを抜きにしてもなんかほっとけない。

 なんだろな、この気持ち。


「そうだ。つま先立ちしてクルクル回れば清少納言さんが来るかも」

「来るかあ!」

 

 ああ、いつになったら解放されるのかな。


――――――


 ……なんて思ってたが、とうとう解放されなかった。

 あの時からずっと気づかずにだったんだろなあ。


「なあ、お前は早く気づけよ。俺は運よく解放されなかったが、つま先蹴とばされて逃げられるかもだからな」


 俺は自分の腕の中で寝ている赤ん坊にそう言った。

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つま先立ちたる 仁志隆生 @ryuseienbu

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