雪のようせいさん
木戸陣之助
1
夜ってのは良いよね。こう、世の中を独り占めしたみたいでさ。
ゴーストタウンみたく寝静まったスクランブル交差点の中心で、くたびれた背広を羽織りながら真っ暗な空を眺めた。雪の描いた白線が風に揺られて空を泳ぐ姿がぼくは好きだ。なんかこう、レールから抜け出して各々の道をたどってるように見えてさ。
これもまた、仕事に追われて終電を逃したぼくに対する、ささやかなご褒美ってやつだろうか。
「ゴールテープみたい、そう思わない?」
白い雪が垂れ幕みたく落ちてきてさ、いっそ天国から降ろされたんじゃないか、なんて。
そんな呟きはひゅう、と風に消えてった。社会というのはくたびれた青年の声なんて、こうやって街中の街灯みたく人知れず消していくんだよなあ。
「楽になっちゃえよ」
首を締め付けるネクタイは、檻に閉じ込めるための枷みたいできらいだ。仕事が終わればすぐにでも紐解いて鞄に封印している。誰だって何かしらで一番になりたいけどさ、ずっと張り詰めてるのは疲れるじゃない?
『お前のせいで取引が消えるかもしれない、どう責任を取る?』
そのお客さん連れて来たのはぼくなんだ。上司の貴方は後からヘコヘコ頭を下げてただけじゃないか。
そんな愚痴をこぼしたくなるが、実際のところ、こうなった原因はぼくのミス。とある工程の納期を間違えた、それだけの些細であり、最悪なミスだ。
ああ、自分が嫌になる。これまでの努力が全部無駄になったみたい。色んなこと我慢して、休みだって返上して、下げたくない頭も下げて、手柄だって皆んなに分配してきたのに。たった一つのミスで、ぼくは非国民だ。後ろ指で刺されるんだ。
でも、そんな日も今日で終わりにしよう。
忙しすぎて耐えらんない、体を壊しちゃうかもしれない、思った結果を得られたところで未来が約束されるわけでもない。理由なんて考えるだけ思いつく。
根詰めすぎだとか周りには言われてきたけど、正直ぼくもそう思ってた。名誉ってのは便利でね、持ってたら強くなれた気になれるからさ。
そんなものの為に夢中になれるのはおかしいって? 仕方ないじゃない、他に欲しいものが無いんだもの。
でも、わからなくなる。
じゃあそのために、あとどれだけのものを捨てればいいの? 自由とか、未来とか、あとは……
「ちょっと!」
「んえ?」
急に声を掛けられたので振り向くと、そこには小学生くらいだろうか、真っ白なコートを着た女の子の仁王立ちする姿が。ニット帽の下から伸びた白い髪がとにかく雪みたい。
きれいだなー、と思わず見惚れてしまったんだけど、それに気付かれてたのか、心なしがむすっとしているようだった。
「これ、おとしましたよ!」
そう言ってネクタイを手渡そうとしてきた。ぼくはそのまま受け取ろうと手を差し伸べようとした。けれど、ぼくの手はすぐに引っ込んでしまった。
「あなたのですよね?」
「そう、なのかな」
「さっき落としたの見ました」
「そっか。ごめんね」
うわー、こんな大人見たくなかった。
そう思われてそう。
「なんか元気、なさそうですね?」
「そう、なのかな」
「とても眠そうな感じ? けど風邪引いてそうにも見えるし……うーん」
そういうと、うんうん唸っては両手を組んでグリグリ回し始めた。あまりに真剣な顔をするものだからちょっと申し訳なくなって来た。って、それより、
「どうしてこんな時間に歩いてるのさ、もう夜中だよ?」
「それはこっちのセリフですよ! 最近寒波酷いんだから、ニュースでもやってるでしょ?」
「いやいや、これから帰るつもりなんだ。明日も仕事、だしね。それより……」
「ふーん」
土曜日も仕事あるんだよ、子どもの夢壊して悪かったな。心の中で愚痴をこぼしていると、会話がなんと明後日の方向に転がり始めた。
「わたし、しんでるって言ったらどう思います?」
「は?」
「実はゆうれいなんですよ」
「え、こわい」
「ですよねー」
「……冗談、だよね?」
帰って来たのは可愛らしいウインクだった。ちゃんとゾッとした。
「でも、お兄さんもわたしみたいになりたいんでしょ?」
今度こそ、心臓が握られた気分だった。
バカを言うんじゃない、と言ったけれど、実際には自分でもわかるくらいには動揺していた。悟られないように笑顔を見せたが自信はなかった、だって顔引きつってるの自分でもわかったし。
「お兄さんみたいな人、けっこう多いんですよねー。色々抱えてるのか、みんな辛そうな顔してるんですよ」
「それは……」
「そんな荷物降ろしちゃえばいいのに。って言うと、そう簡単には無理だって返されるんです」
やれやれ、と肩をすくめるお子様に思わず苦笑い。
「まあ、色々あるんだよ」
「大人ってたいへんですね」
「はは、まあね」
どっちが子どもなんだ、と自分が情けなくなる。この子の方がよっぽど大人じゃないか、なんて。
「でも、どうしてそんなに気にかけてくれるの?」
「え?」
「いやさ、話聞いてくれないわけでしょ。聞いて欲しい人からしたら嫌になっちゃわない?」
そういうと彼女は、
「好きなんですよ、がんばっている人。せっかくなら応援したいじゃないですか」
ニッコリと笑ってみせた。そんな彼女の向ける笑顔はほわくなんかよりずっと大人だった。実家に帰った時の安心感というか、等身大の自分でも許してくれるような、そんな大きさが彼女にはあった。
「さ、タクシー来ましたよ」
「え?」
女の子がそう言うと、遠くからハイビームだろうか、二つの光がぼうっと現れた。少し経つとシルエットがくっきりと見え始め、一台のタクシーがこっちに来てくれるのがわかった。
「ひょっとして、あの世行きじゃないよね」
「そんなわけないでしょ! 向かう先はお兄さんの帰る場所!」
「ごめん、さすがに不謹慎だよね。ありがとう、なんかここまでしてもらって」
「いいんです。その顔が見たかったので!」
そう言われて自分が笑ってることに気付いた。社会でやってく為の愛想笑いではなく、自然に出たぎこちない方のやつ。
「ありがとう。もう少し肩の荷を降ろしてみる」
「それでいいのです!」
ふんす、と胸を張る姿は年相応に見えて、何か気が緩んだ。
「それでいい!」
「それでいい!」
ぼくも同じように胸を張ると、彼女はさらに胸を張った。それが何か面白くて、笑ってしまった。
「ありがとう、雪の精霊さん」
「ゆうれいですけど?」
「ぼくにとっては精霊さんなんだよ」
そう言うと、照れたのか頬を赤くして、どういたしましてと言われた。こんなかわいい子を幽霊なんて言うのは罰当たりだよな。うん、それで良い。
そんなことを思ってると、目の前でタクシーが停まり、自動ドアがパカっと開いた。運転手さんらしきおじさんがぬっとこちらを見て、
「そんなとこ突っ立って何やってんです」
「へ、ああ」
車道のど真ん中にいたこと、完全に忘れてた。
「乗ります?」
「は、はい。お願いします」
慌てて席に乗り込もうとした。しかし、どうしてもやっておきたいことがある。
帰る前にもう一度礼を言わないと。
そうしようとしたけれど、女の子の姿はもう無かった。
「行っちゃったか」
少し寂しくなった。いつか会えるといいな、そうやって自分の気持ちに区切りをつけようとした。
その時、一陣の風が吹いた。冬だというのに冷たさなんてかけらもない、暖かな風だ。それがぼくの体を通り抜けていったのである。
「寒いでしょ、早く乗ってください」
「あ、すみません」
おじさん運転手さんの言葉で我に返り、急いで中に乗り込んだ。ぼくが席に座るのを確認すると、運転手さんは軽く目配せをしてドアを閉じた。
「どこまで?」
「すみません。ここにお願いしたいです……」
一通り住所を告げると、運転手さんはマップを少しいじった後、ゆっくりと車を走らせた。
「仕事帰りですか?」
「はい、ちょっと終電逃しちゃって」
「年末なのに大変ですねえ。ま、うちらも人のこと言えないんですが」
「繁忙期なんです?」
「忘年会シーズンですからねえ。まあ、たまにお客さんみたく働き詰めの方もいらっしゃるんですが」
そこからはそれとなく世間話が続いた。お互いに仕事が忙しいよね、なんて愚痴をこぼしつつ時は過ぎていく。
ゆるい時間だと思った。仕事をしている時はずっと張り詰めていたからだろう、何の気兼ねもなく言葉を並べていると会話が勝手に進むのだ。
それに申し訳なくなって、適当に話してごめんなさいと謝ると、
「良いんですよ、こういう時くらいゆっくりしてください。お兄さん、がんばりすぎです」
「は、ははは。そうですかね」
他に声を掛けてくれた人たちも同じことを考えていたのだろうか。なんて今更だけど、そんなことすら考えられないくらいに余裕の無かった自分を理解して、何かつい笑ってしまった。
「それくらいで良いんじゃないですか、仕事なんて。仕事中の私が言うのもなんですが」
「そう、そうですね……ありがとうございます」
それからしばらくして家のアパート前に到着したので、精算後に運転手さんにお礼を言って、自室の鍵を開けた。
「おお、散らかってる!」
灯をつけるとベッドが服とタオルで溢れてた。洗濯したはいいが、収納に仕舞う気力が無くてサボった末路である。
こんなに溜まった洗濯物にも気付かず仕事に浸ってたとは。我ながら恐ろしい話だ。
でも、そんなのは今日でおしまい。
無性にハイになったぼくは開き直って、
「よし、今日と明日は休む! なんもしない! なんもかんも全部雪のせい!」
『こらっ』誰かに言われた気がした。
ちょっぴり冷たいお仕置きだった。
終わり
雪のようせいさん 木戸陣之助 @bokuninjin
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます