第6話 隠密仕込みの尾行術

「むうぅ……」


 古びた書店の一角。ナデシコは乾いた紙の匂いがする本棚の前で困っていた。

 なぜなら、無一文だからだ。


「唸ってたって金がなきゃやらないからね」

「わかってるわよ、そんなこと。あたしはただ、今日中に手っ取り早くお金を稼ぐ方法を考えてるだけよ」

「なんだい、そんなことならギルドに行ってくりゃいいじゃないか」


 店主の老婆は窓の外を示す。その先にあるのは、魔物狩りたちの互助組織。


「魔物を狩ってくればいいの?」

「いきなりそんな危険なことに新参を突っ込むわけがないだろう。ただ狩人たちには何かと入り用だからね、お嬢ちゃんも魔術師なら、何かしらの仕事にはありつけるだろうってことさ」

「ふうん、そういう方法があるんだ……。ありがと、おばあちゃん。これ、お金が入ったら買いに来るから取っておいて」

「心配しなくてもそんな奇書をほしがる人間、そうそういないさね」


 ナデシコが欲しがっているのは、通説を大きく外れた珍説を主張する魔術書だった。

 店主の言葉にナデシコは不敵な笑みを浮かべる。すると、ふふん、と言いたげなその仕草で首筋の鱗が露わになった。


「あら、通説に則った本なんていっぱいあるもの。だったらこういうものから新しい視点を得た方が楽しいわ」

「はいはい、そうかいそうかい。ならたっぷり稼いでうちの不良在庫ごと買い取ってくれると――ん?」


 老婆の目がキラリと光る何かを捉える。

 それはナデシコの首筋に生えたガラスの鱗。竜になれないナデシコにとって、自分の種族を告げるただ一つの証拠だ。


「お嬢ちゃん。まさかあんた、竜なのかい?」

「ええ、それが何か?」


 ナデシコが頷けば、老婆はじっと黙って鱗を見つめている。

 不意に感じた嫌な予感に、ナデシコが一歩後じされば、老婆も一歩近付いてくる。


「……取引、しようじゃないか」

「取引?」

「お嬢ちゃんのその鱗。一枚でいい。一枚くれればうちの妙ちきりんな本ならいくらでも譲ってあげよう」

「鱗を――」


 ナデシコは右手を首筋に添える。鱗の硬さで、唐突な言葉に面食らっていたナデシコは事態を理解した。


「…………いやに決まってるでしょ!? なんで自分の身体を引っぺがさないといけないのよ!?」

「仕方ないじゃないか! レッサーじゃない、本物の竜の鱗なんて出回らないんだから!」

「同盟結んでるんだから当たり前でしょうが! とにかく! どんな美味しい条件でも鱗はあげないし、あたしはちゃんとお金を稼いでくるんだから首洗って待ってなさい!」

「あ、待ちな、お嬢ちゃん――」


 一目散に書店から逃げて大通りに飛び出す。ナデシコはしばらく全力で走ってから振り返り、老婆が追いかけてきていないことを確認すると息をついた。


「うう、とんでもない目に遭った……」


 竜の肉体に魔術素材として興味を持つのは理解できる。ナデシコ自身も幼いころに自分の鱗を剥がしてどんな効能が得られるか実験したことがあるからだ。

 だからこそ、老婆の提案には乗れなかった。鱗を剥がす痛みは、できればもう二度と経験したくないと思うほどだったから。


「……ま、どっちにしてもちょうどいいか」


 ナデシコはギルドの方向を見る。ネオンが魔物を狩っているのなら、立ち寄っている可能性は高い。どちらにせよ覗いてみるつもりだったのだから、そのついでに仕事がないか尋ねれば一石二鳥だ。


 シュトラルの国民にネオンと結婚した竜姫の顔は明かされていない。だからナデシコは堂々と街を歩いていく。

 妙な動きをする男を見つけたのは、物見遊山をしながらギルドへ向かう道中のことだった。


「…………」


 一見すると人通りの中をただ歩いているだけ。ただし、ときどき歩幅がおかしい。身体のバランスが崩れたのではなく、意図的にずらしている、そんな歩き方。

 それは誰かに悟られないように尾行をする歩行だった。疑いを確信に変えるために、ナデシコは魔術で視点を上空に持っていく。


 男が見つめているのは黒髪の少女だった。もしかして、と思って付近を見回せば、少女を尾けているのはナデシコが最初に見つけた男だけではなかった。最低でも二人は少女をじっと見つめて、つかず離れずの距離を保っている。


「……尻尾見せるまで放っておくしかないか」


 明らかに怪しい動きをしていても、客観的な証拠がない。どうせ行きずりなのだから、とナデシコも尾行の中に加わって経緯を見守る。

 少女は徐々に人混みから外れて人気のない方向へ向かっていく。尾行者たちが仕掛けるのも、もうまもなく。


 ナデシコは気配を殺して物陰に隠れつつ、状況を伺う。尾行者が動いたらすぐに拘束できるよう、魔術の準備もしておいた。

 ――けれど、ナデシコの備えは出番がなかった。誰よりも真っ先に動いたのは、狙われていた少女だったのだ。


「はい、もういいよ。天導教の方々。せっかくこんなところまで来てあげたんだから、君たちにとってはチャンスだろう?」

「……え?」


 少女の挑発に尾行者たちが一斉に動揺を見せる。瞬間、少女は一気に距離を詰めて一人ずつ大の男を片付けていった。

 素手の一撃で男を行動不能に追い込む技術はまさに凄腕の技。けれどナデシコの関心はそこにはない。ナデシコの注意はただ、少女の喉が紡いだ聞き覚えのある声に引きつけられていた。


「一、二、三と――もしかして私を心配してくれた人、かな?」


 少女は――離宮での男装とはまったく違う、少女そのものの装いをしたネオンはまっすぐナデシコへ近付いてくる。

 気付かれているのだから逃げられないだろう。ナデシコは諦めて、自分から姿を見せた。


「あたしが心配する必要なんてなかったみたいね、旦那さま」

「――――え?」


 降参するように両手を挙げるナデシコと、豆鉄砲を食らったように硬直するネオン。

 夫婦は薄暗い路地裏で、お互いを見つめ合っていた。

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2025年1月10日 12:36

男装王女に嫁いだ竜姫 卯月スズカ @mokusei_osmanthus

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