第5話 竜姫、人の街へ

「……物騒な話ね」

「事実だから。さすがにこれを黙っていると、貴女はいつか私への不信を募らせるでしょう?」

「ええ、それは認めるわ」


 ナデシコは頷く。シュトラルの先王についてナデシコが持っている情報は皆無だが、ネオンを男児として扱ったという事実一つだけでもろくでもない人間なのは察していた。

 とはいえ、それはそれとして女王による弑逆の噂を知れば動揺していただろう。この告白は、ナデシコを義妹として受け入れるためのものだったのだと理解する。


 クエリは静かに吐息をこぼして、瞳から怒りの気配を消す。

 ナデシコからすれば、竜をひるませたほどの激情を意思一つで押さえ込める精神力も末恐ろしいものなのだが、柔和な表情の方が話をしやすいのも事実。ネオンの言葉通り、クエリに喧嘩を売るのはやめておこうと決心しておく。


「私は結局あの愚物を殺したけれど、判断はあまりにも遅かった。……ネオンが病弱というのは建前だけどね、あの子が公務に耐えられないのは事実なの」

「問題は身体ではなく、心ということ?」


 クエリは頷く。そうしてクエリが語る昔話に、ナデシコは知らず拳を握りしめて唇を噛んでいた。


「奴の葬儀を終えると、ネオンは声を失っていた。医者は極度の負担のせいだろうと。今はかなり良くなったけれど、それでも王宮に来るだけで顔色が悪くなってしまうの」


 クエリはまた空に目を向ける。クエリの声音はまったく変わらないから、怒っているのか嘆いているのか、ナデシコの視点からでは判断できなかった。


「イウリィはネオンを癒してくれた。けれど、だからこそ今のままではダメだと思って、私はエンラ殿に貴女とネオンの婚姻を持ちかけたの。貴女なら、あの子たちの共依存を破ってくれるのではないかと期待して」

「……陛下、あたしはただの魔術師よ。期待に添えるとは――」


 ナデシコが言い終える前に、クエリはナデシコの唇に人差し指を当てて制止した。

 ほのかな微笑みは女王ではなく、姉としての心を映しているようにも見える。


「私は魔術師としての貴女ではなく、貴女という女の子に期待しているのよ。竜でありながら人に育てられ、弱さを蔑まれながらサイレンスに至ったナデシコという女の子に。……今日は突然ごめんなさいね。次は一緒にお茶でもしましょう」


 そう言って、クエリは立ち上がった。ナデシコが目を丸くしている間に、クエリは部屋から去っていく。

 一人になった部屋で、ナデシコは重いため息を落とす。ナデシコは遮音がまだ効いていることを確かめてから、呟いた。


「……どうして、お父さんはあたしをシュトラルに送ったの?」


 クエリの思惑はわかった。ナデシコ自身、ネオンとイウリィへの悪感情はないから、二人へ関わっていくことに異論はない。

 けれど、はっきりしたのはクエリの思惑だけ。どうしてエンラが婚姻に同意したのか、クエリは何も語らなかった。


 ナデシコの脳によぎるのは、母親に見限られた幼い日の記憶。

 また捨てられたのだろうか。そんな考えが思考を支配して、ナデシコの呼吸が一度だけ、つっかえる。







『それじゃ、行ってくるよ。何か必要なものは?』

『そうですねぇ。いつも通り、水辺の魔物の一部があればそれをいただきたいのと、ネオンさまが無事に帰ってくることです』


 朝食を終えてしばらくすると、話し声が聞こえてきた。ベッドの上に築かれた本の山の中で魔術書を読みふけっていたナデシコは、手を止めて耳を澄ませる。


『わかった、善処するよ』

『いいえ、絶対じゃなきゃいやです』

『あはは、わかったよ。必ず無事に戻ってくる』

『はい。いってらっしゃいませ、ネオンさま』


 二人がナデシコの部屋の近くで会話をしているわけではない。それでもナデシコの耳に二人の会話が届いているのは、ナデシコが仕掛けた盗聴の魔術によるものだ。

 

 クエリとの会話のあと、ナデシコはどうやってネオンと関わっていくべきかと考えて、そもそもネオンが普段、どうやって過ごしているのかも知らないことに気が付いた。

 会話をするのは食事のときだけ。そのほかの時間はお互い好きに過ごしていたから、ナデシコはネオンのことを何も知らない。ならばと魔術書を読む片手間で離宮の様子を探ってみれば、ネオンの気配がない日の方が多かったのだ。


 しばらく観察を続けて、ネオンが出かけるときは決まって離宮の裏にある門を使っていることを知った。その門の付近で盗聴をすれば、ネオンとイウリィのやりとりは明らかに、ネオンが魔物と戦っていることを示唆するような言葉ばかり。


「あの身体、やっぱり実戦で作ったってことよね」


 ひとりごとはナデシコの癖だった。魔術を勉強する際、走り書きでも追いつかないほどに溢れる思考を口に出しているうちに、自分の声をメモ代わりにするようになっていた。


「あたしが来てからは、怪我をしている様子はない」


 キリがいいところまで本を読み進めて、栞を挟む。

 ナデシコは大量のメモが散らばる床に降りて、真っ赤なワンピースに着替える。


「イウリィ、出かけてくるわ」

「はい、いってらっしゃいませ」


 ナデシコは普段から王宮図書館に通い詰めているから、イウリィも疑うことなく送り出す。

 離宮を出て、しばらくは念のために王宮へ向かう道を歩く。誰からも見られていないことを確認すると、反転。街へ続く道へ足を向けた。


「ふふふ、人間の街なら魔術書だってたくさんあるはず……」


 ネオンの行き先も気になるが、それはそれとして魔術への好奇心だって抑えられない。

 ナデシコは夢にまで見た書店を目指して、意気揚々と街へ向かった。

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