第4話 女王クエリ
「…………」
チラリと。ナデシコは対面に座る女性の表情を窺う。
黒髪緑眼。妹と同じ色合いの容姿は一見すると柔和で、けれどふとした瞬間に猛禽のような鋭さを覗かせる。
クエリ・シラ・シュトラル。シュトラル王国の女王で、ナデシコにとっては義姉にあたる女性。ナデシコとクエリは王宮図書館の、薄く埃が積もる小部屋で相対していた。
ナデシコがネオンに嫁いでから一週間。いつも通り魔術書を借りに来ただけなのに、どうしてこんな状況になったのだろう、とナデシコは心の中でため息をつく。
発端はほんの五分前。図書館で司書長と雑談をしていたら、赤い制服に仮面をつけた怪人物とクエリその人がやってきたのだ。
そして、あれよあれよという間に個室に連れ込まれて女王と一対一になっていた。
「ナデシコ、一つお願いしたいことがあるの」
「ええ、あたしにできることなら何なりとお申し付けください、陛下」
「ふふ、そう畏まらなくても大丈夫よ。人の作法は使い慣れないでしょうし、貴女は私の妹だもの。それでね、盗聴の気配がないか見てもらえるかしら」
「……ええ、わかったわ」
ナデシコは頷いて、魔術式の探知を始める。幸い、魔術的に怪しい気配はなかったが、クエリ自らの領域内ですら警戒が欠かせないことを理解して、ナデシコは今度こそ物理的にため息をついた。
「盗聴式の類はなかったわ。ついでに遮音もしておいたから、どんなお話でもどうぞ」
部屋の外では仮面の男が見張りをしているが、念には念を入れておくべきだろうと一仕事。クエリは微笑んでから、真剣な顔をした。
「ありがとう。話しておきたいことは多いのだけれど、まずは──貴女、ネオンを襲ったそうね?」
「っ、ごふっ!?」
ナデシコは焦りのあまりにむせる。
ネオンとの初対面の暴挙がバレていた事実に心臓が早鐘を打ち、何かいい言い訳はないかと脳みそをフル回転させて、すぐさまそんなものはないと諦め。降参がわりに正面から認めた。
「……認めるわ。面目次第もありません」
「ふふ、素直な子は好きよ。ネオンも楽しそうに話していたしね」
クエリはくすくすと笑う。もしもネオンが怒っていたらどうなっていたのだろう。ナデシコの思考に不吉なもしもがよぎって、すぐに振り払った。
物理的な実力では圧倒的にナデシコに分があるはずだが、鋭さを隠せていない瞳はどうにも底知れない。立場うんぬん関係なく、クエリという女性そのものが、対立するのは極力避けた方が良い手合いだとナデシコは直感した。
「ナデシコ、ネオンとイウリィのことを黙っていてごめんなさい。どうしても、貴女という少女を二人に見てもらいたかったの」
「あたしを?」
きょとんとナデシコは首を傾げる。ナデシコの首筋の鱗には、クエリの物憂げな表情が反射していた。
「貴女がエンラ殿から聞いていた通りの子なら、本当のことを知っても受け入れてくれると思って、賭けた。事実を知って備えた貴女を見ても、あの子たちは心を開かなかっただろうから」
竜帝エンラ。父の名にナデシコの指先はピクリと動いていた。クエリの声はナデシコの動揺の中でも続けられる。
「ナデシコ。貴女とネオンの婚姻が、国家連盟と竜の結びつきをアピールするためという話は事実よ。けれど私とエンラ殿には、私的な思惑があったのも本当のこと」
「……お父さんと、陛下に?」
「ええ。私の目的は、ネオンに刺激を与えること」
ふぅ、とクエリは吐息を落とす。クエリの視線は窓の外に向いていた。
「あの離宮はネオンとイウリィの箱庭。二人きりの世界は閉じていて、これ以上傷つくことも癒えることもない。傷は塞がらないまま、ゆっくり、ゆっくりと静かに腐ってしまうでしょう」
「――陛下?」
クエリの声音は変わらない。それなのに、何かが違う。
ナデシコが問いかければ、クエリの視線は外から中に。クエリの瞳からは、ついさっきまでの穏やかな色は消えていて、その代わりに底なしの怒りが煮えたぎっていた。
「っ――」
ナデシコの身体は一瞬で臨戦態勢になって、反射的にその場から飛び退こうとしていた。ナデシコが意思で反射をねじ伏せれば、クエリは竜を畏怖させる眼で、穏やかな声のままに語り始める。
「私たちの父親は、恐ろしく愚昧で無知で、黒い欲望だけを詰め込んだような男だった。奴がシュトラルや私たち姉妹に遺した傷はあまりにも多い。その一つがネオンの処遇なの」
「……ええ。あたしでも娘を男児として扱うなんてあり得ないと想像できるもの。ネオンが表舞台に立っていれば、いつ露見してもおかしくなかったでしょうに」
「そう、その通り。だから私は今も後悔しているの。ネオンが王子にされる前に、奴を殺しておくべきだったと」
クエリの声音は変わらない。だからナデシコは一瞬、気付かなかった。
クエリの言葉は、自分が実の父――シュトラル先王を殺したと告げたも同然ということに。
「ナデシコ、貴女は聡い子だから、いつかはかつての噂を耳にするでしょう。だから先に伝えておくわ。――先王が亡くなったとき、市井で話半分にささやかれた『王は殺害された』という噂は事実。私の玉座は弑逆で奪い取ったものなの」
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