囚人の町（すこしふしぎ文学）

囚人の町（すこしふしぎ文学）

この町の出入り口は一箇所しかない。いま、その門が開いた。

中へ進むとすぐに先ほどよりも小さい門がある。外門と内門になっているのだ。四方を塀で囲まれたスペースで、ほかにはなにもない。しばらく待っていると内門が開いた。

内門の先には検問所があり、するどい目つきの男がいた。わたしは取材に来たと告げた。

〈囚人の町〉

人々はそう呼ぶ。

予算の削減と人員整理が目的で、各地の刑務所を統廃合して巨大な刑務所をつくったのだ。

数十キロ四方なにもない荒野にいちから建設し、囚人の入る監獄だけでなく、看守や事務員、雑務員の住居、食事を提供する配食センター、病院や商店、囚人以外の人間が使うバーやレストラン、娯楽施設など、通常の町にあるものはすべて揃っているらしい。

囚人や看守、その他雑務にかかわる人を合わせると、ふつうの町と変わらない人口だろう。

囚人が入る監獄にはもちろん塀があるが、町全体をぐるりと囲むようにもうひとつ大きな塀がそびえている。

囚人以外の住人にとっては〈囚人の町〉という呼び名は不愉快かもしれない。管理する側なのに、まるで自分たちもこの町に閉じこめられているような、そんな錯覚を覚えるに違いない。

中に入ってみるとその気持ちがよくわかる。360度ぐるりと塀に囲まれて、どこを見ても視野に巨大な塀が入る。

囚人には脱獄の抑止になるだろうが、管理する側にも無言の圧力になるはずだ。しっかり働けよと。

わたしはこの町を取材するために粘り強い交渉とそうとうな金を使った。この町ができてから二十年以上たつが、広報をかねた御用記者以外で中に入った記者はわたしが最初だ。

案内役として、巨大な腕を持つ男が横に張りついている。おかしなことをしでかせば、袖をまくりあげあっという間にわたしを捕まえるだろう。ぶちこむ場所はすぐそこにある。

それにしても看守の住居と監獄がこんなに近いとは思わなかった。道路を一本へだてた目と鼻の先だ。わたしの住まいから商店や床屋に行くよりも近い距離だ。

「不安にならないんですか？」

汗を拭きながらわたしは聞いた。無人の荒野につくられたこの町は、日差しが照りつけ風もなく、とにかく暑い。

「慣れてますよ」

付き添いの男はニヤリと笑った。制帽の影で目元は見えない。

「でも、なにかあったら……」

「なにもないですよ。なにも起こるわけがない」

記者根性を出しすがりつこうとするわたしを見て、付き添いはすこし帽子をあげた。思ったより穏やかな目だった。

「仮に“なにか”あったとしましょう。しかしオレたちを襲っても、そのあとはあれだ」

彼は数十メートルある城壁のような塀を指さした。

「門はボタンひとつでロックされ、中からは解除ができなくなる。絶対に〈囚人の町〉からは出られない」

中の人間から〈囚人の町〉という言葉が聞けるとは思わなかった。彼らもその呼び名に慣れてしまったのだろう。

「おまけに――」男はつづける。「仮に出られたとしても外は荒野だ。まわりにはなにもない。灼熱の大地と極寒の夜を三日三晩歩いて、たどり着くいちばん近い町は〈警察の町〉だ」

そう、囚人の町のとなり町は（数十キロ離れているが）、警察官だけが住む〈警察の町〉なのだ。わたしも今朝はやく、そこから車で送られてきた。

「なるほど、本当によくできてますねこの〈囚人の町〉は」

愛想よく話を合わせたつもりだったが、付き添いの男はジロリとわたしを見た。中の人はともかく、外部の人間がそう呼ぶのは気にくわないのだろう。

この男の地雷はわからない。頭の中にそっとメモする。

「入ってみますか？」

男が言った。

わたしたちは町の中心まで来ていた。そこには監獄がある。町は監獄を中心として円状に広がっていた。

わたしの返事を聞かないうちに、男は通りを渡りはじめる。今回は町の様子を取材するだけで、監獄の中までは許可が下りていない。

「いいんですか？」

言いながらあとを追う。

「一歩この町に入ってしまえば、ここも監獄もおなじだって教えてあげますよ」

男は、検問所の扉を開けた。

驚いたことにカギがかかっていない。検問所も無人だ。これでは囚人がいつでも好きなときに出入りできてしまう。

しかし、たしかにあの男の言うとおりなのかもしれない。たとえ監獄の外に出たとしてもこの町からは出られない。だとしたら、脱獄の罪に問われるよりおとなしく刑に服して出所の日を待つ方が賢明なのかもしれない。

すごいシステムだ。この事実を記事にできるかは当局の検閲しだいだが、一大スクープになる可能性がある。やったぞ。わたしは心を躍らせた。

監獄は、どこにでもある一般的な形だ。だが男のうしろについて中に入ると、いままで取材したどの刑務所よりも開放的な空気を感じた。

すれ違う囚人たちも気さくで、

「よお、元気かい？」

「うしろの新入りはなんの罪だい？」

などと冗談混じりに話しかけてくる。

囚人と看守の距離がここまで近い刑務所があるとは思わなかった。おまけに付添人の男を名前で呼び、彼も囚人を番号ではなく名前で呼んでいる。

付き添い人の男が囚人に言った。

「今度オレの弟が入ってくるからよろしくな」

「なんの罪だい？」

「なぁに脱税だ。うまいことやってたんだが新聞にすっぱ抜かれてな」

「じゃあここから出たあとの、おまえの老後資金もパーか？」

まるで長年の友のようにふたりは笑いあっている。

ひととおり見学して監獄の外に出たとき、わたしは〈囚人の町〉のすごさに打ちのめされていた。

予算削減のしわよせでつくられた陸の孤島ではなかった。囚人や、管理する側の人権も無視した施設だと告発しようと思っていたが、どうやら間違いだったようだ。

取材時間が終わろうとしている。わたしと付添人は、巨大な塀に向かって歩いていた。

ようやく日も落ちてきて、暑さがしだいに夜の冷たさへと変わっていく。

来たときは興奮して気づかなかったが、この町では本当に多くの人が働いている。みな規律正しくテキパキと動いている。

車が走り、横断歩道があり、子どもたちが学校を終え帰っていく。仕事を終えた大人たちが帰宅していき、BARの看板に明かりが灯る。

ここだけ切り取って見れば、いたってふつうの町、のどかな風景だ。

「ここはすばらしいところですね」

わたしは言った。

「そうかい？　じゃああんたも住んでみるか？」

男は笑った。ようやく打ち解けてきたらしい。

「いやあ、遠慮しときますよ」

わたしは言った。

「記者さんよ、この町にはなんでもある。水や電気すらもこの町で生み出してるんだ」

「なるほど。そもそもこの町は経費削減のためにできたわけでしょ。目的は達せられたわけだ」

「そう、この町は税金をいっさい使わない。この町だけですべてが成り立ってる」

「あなたがたの給料以外は、でしょ？」

男は立ち止まった。

「オレたちは給料なんかもらっちゃいないぜ」

わたしも止まった。

「え？　なぜ？」

男はニヤリと笑った。

拍手するように街灯が明滅して、パッと明かりがついた。

もう夜だ。門の外で帰りの車が待っているだろう。

わたしたちの横を、町の住人が小走りに駆けていく。半そでから見える白い腕に囚人番号が彫られているのが見えた。

なぜ囚人がここに？

わたしの視線に付添人も気がついたらしい。

「この町がどうして〈囚人の町〉なのか、教えてほしいか？」

男は太い腕の袖をまくりあげる。囚人番号があった。

わたしは一歩あとずさった。

「すべて自分たちでまかなってるんだ。町の運営、仕事、監獄の管理……水や電気だって」

「じゃああの監獄の意味は……」

「どこにだって悪さをするやつはいる。人の物を盗ったり、飲みすぎてあばれたり、そういうやつを入れるためさ」

「囚人の囚人……」

わたしは思わずつぶやいた。

男にはおかしかったらしい。夜の闇に笑い声だけがこだました。

「さあ行こう、門はもうすぐだ。帰りの車、呼んであるからな」

わずか数ブロックの距離だったが、町は、それまでとは一変した。行き交う人すべてが囚人なのだ。自分たちで刑務所を運営し、すべて自分たちでまかなっている。

付き添いの男……いや付き添いの囚人が言った。

「この町で結婚し、こどもを産むやつだっている。保育園も学校も建設ラッシュだ」

〈囚人の町〉

人々はそう呼ぶ。

内門についた。付添の男に一日の礼を言う。これは特ダネ間違いなしだ。

「そうそう」

わたしが内門をくぐると背後から男が言った。

「弟がよろしく言ってたよ」

門が閉まっていく。振り返ると、男の顔にはゆがんだ笑みが広がっていた。

え！？

門が閉まった。しばらくすると外門が開く。

外が見えた。もう真っ暗だ。

わたしは外に出た。だがおかしい。迎えの車が来ていない。

荒野のど真ん中にできたこの町は、数十キロ四方明かりはない。

そのとき、わたしの背後で低く深い音をたて外門が閉まった。

どういうことだ？　迎えの車が遅れているのか？

どこまでも広がる暗闇の中から、獣たちの声が聞こえはじめた。

外に出るんじゃなかった。もうすこし中で待っていれば。

「記者さんよー」

塀の中から声がした。

「悪いなあ、迎えの車、キャンセルしといたよ」

愕然とした。わたしは巨大な塀の向こうに声をあげる。

「どうしてそんなこと！」

「よけいなこと書いてくれたなあ。オレたちの金、台無しにしてくれてよー」

「オレたち？」

「オレと弟の金だ。せいぜいその罰を受けるんだな」

「どういうことだ！」

「聞こえるだろ？　コヨーテだよ」

コヨーテ！　暗闇からうなり声が近づいてくる。一匹どころじゃない、数匹、数十匹はいるだろう、血と肉に飢えた獣たちが。

「助けてくれ！」

わたしは叫んだ。

「罰を受けるんだよ」

無情な声がした。

「助けてくれ！　中に入れてくれ！」

わたしは外門にすがりつき必死に叩いた。

「中に入れてくれ！　お願いだ！」

何度も叩いた。手から血が出るがかまわない。

中へ入りたい。

「入れてくれ！」

町の中へ。刑務所の中へ！

そのとき、闇が背後から襲いかかってきた。