雨の日には一緒にお茶を
蒼開襟
第1話
『だめです!絶対だめ!』
バスルームに立てこもったカイルの声がドアの前にいるシヴァの顔を曇らせる。
『カイル?大丈夫だから。』
『それでもだめです!』
シヴァは溜息をつくとドアに手を当てて額をこつりと当てた。
『わかった。でも風邪をひかないうちに出てきてくれ。』
なんでこんなことになったのか。シヴァは居間の暖炉の前に座るとうなだれた。
シヴァにとってはそんなに大事ではないのだが、カイルのとっては一大事のようだ。
ふとポケットで電話が鳴り見ると仕事のようだ。カイルのことは気になるが仕方なく自室へ戻り電話に出た。
シヴァがドアの向こうに消えた頃、カイルはバスルームのドアをそっと開く。
ちらっと顔を覗かせてシヴァがいないことを確かめると自室へと飛び込んだ。
ドアに鍵はないもののシヴァは無理矢理開けることはしないだろう。
カイルはベットに座ると机の上に置かれた鏡を取る。それで自分を映すとぎゅっと目を瞑って唇を噛んだ。
こんなことになるのなら…行くんじゃなかった。
今朝のことだ。少し離れた家の老婆に頼まれごとをされてカイルはそこへと訪れていた、以前花のリースを作った家だ。今日は花ではなくお菓子を作るのを手伝って欲しいといわれて驚いたが、カイルは嬉しくて二つ返事で受け入れた。
老婆は一人暮らしで今日は昼から孫が来るという。その子供たちのためにお菓子を用意したいという気持ちが嬉しかったのだ。
オーブンを使って焼き菓子をつくり、焼きあがる頃には太陽は高く上がり子供たちがやって来た。
玄関ドアが開き入ってきたのは二十歳くらいの女性たちで、老婆の話だと彼女たちが孫だという。てっきり小さな子供が来るものだと思っていたカイルは肩透かしを食らった気がした。
『だあれ?その綺麗な人。』
赤毛の女性がカイルを見て老婆に問うと彼女はカイルを紹介した。
『へえ、カイルさんか。よろしく。』
彼女たちはとても人懐っこくどこか姉のミラーを思い出させた。孫娘たちにカイルは腕を組まれると部屋へ連れ込まれた。助けを求める間もなく。
何をするのだろう?ときょろきょろしていた所で彼女たちは恋の話をし始めた。
こうしたことは初めてだったのでドキドキしながら聞いていると彼女たちはカイルの話を聞きたがる。なのでカイルは少しだけシヴァの話をした。
『へえ、大人の人かあ…素敵だなあ。』
彼女たちが口々に言うのでカイルは照れくさく笑う。それを見て一番年長の孫娘がカイルの顔をまじまじ見つめた。
『なんですか?』
『本当に綺麗だよね。ねえ、カイルさん、口紅って持ってる?』
『いえ…。』
カイルの言葉に孫娘たちは悪戯っぽく笑うと鞄から口紅を取り出した。蓋を外しくるりと指先で回すと綺麗な色の口紅が現れる。
『これね、新色のリップなの。一目ぼれして買ったんだけど私には明るすぎるしカイルさんなら似合うと思うんだ。つけてみていい?』
『え?』
カイルの戸惑いに彼女たちは大丈夫大丈夫と呪いのように唱えると口紅を塗った。
そして鏡をカイルに渡す。
『うん、やっぱ似合うね。色が白いからなあ。』
カイルは恐る恐る鏡の中の顔を覗くと綺麗な色の唇が自分の顔にあった。
『わあ…。』
驚きの声を上げるカイルに孫娘たちはにこにこ笑うと一人はブラシを取りカイルの髪を梳かしはじめた。他の子たちは嬉しそうにそれを見ている。
『あの…。』
いつの間にか囲まれて髪を遊ばれ、指先にはネイルを塗られていた。
全てが終わる頃にはカイルは来た時とは違う人物のような雰囲気になっていた。
鏡の中の自分を見てカイルは驚いたが時々外出したときに見る女の子たちのようだと思った。
長い髪をみつあみにされてリボンがかかっている。今日着ているシャツに合わせてくれたらしい。カイルは髪を前に下ろすとじっとみつめた。
『すごい。』
『フフ、カイルさんって不思議ね、ねえ。お家には恋人がいるんだよね?驚かしたら?』
『え?お、驚かすって…。』
『大丈夫、自信持って!カイルさんは超美人だから!これは絶対!』
部屋を追い出され老婆の元へ戻ると彼女はにこりと笑った。
『なんて素敵なのかしら…あの子達はおせっかいではなかった?』
『あ…いえ。』
『そう、ならよかった。これはカイルさんの分ね。謝礼も少しだけど。』
『あ、でも。』
老婆はカイルの手に紙袋を握らせた。
『だめよ、これは私が頼んだことだから。ありがとうカイルさん。』
『はい。では頂きますね。』
そう言うと老婆の家を出た。けれどシヴァの待つ家に帰る足が重い。
どうしよう…こんな変わってしまったらシヴァはどう思うだろう?
カイルは家の近くまで来るとそっと玄関のドアを開き、自室から出てきたシヴァを見て小さな悲鳴を上げるとバスルームに飛び込んだ。
『ああ…。』
思い出してカイルはうなだれると胸に落ちてきた髪を見る。リボンがふわりと揺れて両手でそれを触った。
『笑われないかな…。』
ううっと俯くと指先で唇に触れた。指先についた綺麗なピンクは、鏡を渡されて見た時のドキドキを思い出させた。
綺麗だよ、自信持って!と孫娘たちの声が聞こえた気がしてカイルはドアの前に立った。
仕事の電話は珍しく長引いた。けれどカイルも落ち着けただろうか?と自室を出ると居間に彼女の姿はない。そっとバスルームを覗いてみたがいなかったので自室にいるんだろう。
仕方なく居間に行くと暖炉の前のソファに座った。
帰ってきた時なにか様子がおかしかった、なにかあったのかも知れないが聞かないことにはわからない。
ふとテーブルの紙袋が目に入って手に取った。まだ暖かい焼き菓子が入っている。
これが今日のアルバイトかな?と思い、台所でお湯を沸かす。
何かあったにしろカイルと話をするなら彼女が好きなお茶を入れよう。
シヴァは棚からバタフライピーの缶を取る。美しい青いお茶が溶け出すのを見てからカップに注ぐとトレイに乗せた。
居間に戻りテーブルにそれを置くとカイルの部屋のドアを叩く。
『カイル…お茶が入ったから出ておいで。君の好きなお茶を入れた。』
返事はないがシヴァは居間に戻りソファに座る。
するとカイルの部屋のドアが開いた。
ドアから現れたカイルはいつもとは違い髪を後ろで結って肩に下ろしている。その顔は美しく化粧がされシヴァの顔を見ると少し俯いた。
シヴァは俯くと口元を押さえてフフと笑った。
なるほど、だからダメか。
カイルはおそるおそる近づくとシヴァの向いの椅子に座りカップに手をつける。
『ありがとうございます。』
『うん。今日はお菓子を作るアルバイトだった?』
シヴァはカイルに目を向けないようにしてお茶を飲む。
『ええ、はい。まだ暖かいです。食べますか?』
『そうだな。』
カイルは紙袋から焼き菓子を取り出すとトレイの上に置いた。
『一枚くれるか?』
『はい。』
シヴァのソーサーの上に焼き菓子を一枚置く。
『ああ、違う。ここに。』
カイルの動作にシヴァは人差し指で自分の唇に触れた。
『は…。』
とたんに顔を真っ赤にしてカイルが俯く。それでも震える指でシヴァの口元へとお菓子を持っていく。彼の唇にそれが触れると目があった。
シヴァはパクッとそれを銜えると指先でもち少し齧った。
『うん、美味しい。カイルも食べたら?』
『ああ…はい。』
目をシロクロさせてうろたえているカイルは可愛い。しかも今日は雰囲気が違ってなんだか違う彼女を見られているようだ。いつもは美しい彼女だが今日は可愛らしい。
シヴァの視線にカイルはううっと俯くと焼き菓子を口にした。
『美味しい。』
『フフ、カイル。今日はどうした?えらく可愛いが。』
とりあえずこの状況を打開するためにシヴァが言葉にしてみた。それに嘘はない。
カイルはハッと顔を上げると頬を赤くした。
『ええと…お婆さんのお孫さんが来てて、それがこのとおりで。』
カイルの簡潔な説明にシヴァは笑う。
『うん、そうか。それでカイルは恥ずかしいのか?』
『え…だって、こんな…似合いません。』
『そうか?素敵だと思うが。』
その言葉にカイルは顔を両手で覆う。
『初めてで…本当に変じゃないですか?』
『ああ、素敵だ。』
シヴァは立ち上がるとカイルの傍に膝をついた。
『見たことのない君がいて私はドキドキする。けれど誰にも見せたくない。』
カイルの手を取りその指に口付ける。
『シヴァ…嘘じゃないですか?』
シヴァは苦笑する。
『どうしてそんなに自信がないんだ?君は綺麗だ。』
『だって…こんな格好したことないですもの。今だってドキドキして…。』
『フフ、そうか。なら聞くが、もっと素敵なものを着るとしたらどうするつもりだ?』
『うん?』
カイルの顔が平常に戻ったのでシヴァは笑った。
『いいや、今はいい。落ち着いたなら君の好きなお茶を味わって。』
『はい。』
にこりと笑ってカップを持つとカイルは微笑んだ。
雨の日の午後。街の喫茶店でシヴァはティルと話していた。
ティルは熱いコーヒーを飲み頬杖をついて外を眺めている。
『それで…私になんの用があるんだ?』
不愉快そうにティルの眉毛がピクリと上がる。
『すまないな。カイルがいないから不機嫌なのはわかるがカイルのことだ。』
『なら聞こう。』
シヴァが用件を話すとティルは口元を綻ばせた。
『ほう、それはいいな。で、私が必要というわけだな?』
『そうだ。』
『わかった。あの子のためだ。それにお前も。』
ティルはカップに口をつけると微笑む。
『そうだな、でもゼロはいいのか?どうせ話すんだろ?』
『いや、あいつはいい。うるさいから。』
シヴァがぼやくとティルは噴出した。
『違いない。』
喫茶店を出てティルの知っている店に入るとシヴァは店の中を見渡して頷いた。
『いいね。』
『そうだろ?』
ティルは奥にいた店主にシヴァを紹介した。用件を伝えると店主は頷き沢山のカタログや見本を持ってくる。それにシヴァとティルは笑顔で応対し数時間過ぎると店を出た。車の助手席にティルを乗せて家へと送る。
『どうなるか楽しみだ。』
ティルの言葉はシヴァを笑わせる。
『そうだな。』
『でもお前がこのような事を考えるとはな…長生きもいいものだな。』
ティルの家に車を止めると彼女を見送る。シヴァも帰宅するとカイルが家の中の掃除をしていた。
『おかえりなさい。』
『あれ?今日は掃除の日だったか?』
カイルは床掃除をしながら顔を上げる。
『いえ…なんかむしゃくしゃしたから掃除しよって。』
『そうか。随分とピカピカにしたな。』
『ええ、ここで終わりです。シヴァ?』
『うん?』
シヴァが上着を脱いで椅子にかけるとカイルは微笑む。
『シヴァのお茶が飲みたいです。入れてくれますか?』
『ああ、では用意しよう。』
近頃はカイルはとても甘え上手になった。先日の可愛いカイルも良かったがこうした穏やかなカイルも良い。毎日一緒にいると好きな所ばかりが増えていく。
シヴァはお湯を沸かすとカップを暖める。
それにと思いかけて自分の頬が熱くなった気がして指で冷やした。
女性らしく何よりかけがえのない人になっている。
『シヴァ、お湯沸いてますよ?』
ふと顔だけ覗かせたカイルに驚いてシヴァは慌てて火を止めた。
『ありがとう。』
『いいえー。』
また顔を引っ込めて彼女は掃除用具を片付けに行った。
お茶の用意をして居間へと持っていく。カイルはすでに暖炉の前にいて火の調整をしていた。
『今日は少し寒いですから…。』
『そうだな、お茶が入ったよ。』
『はい。』
シヴァからカップを受け取るとカイルはお茶を飲む。
『やっぱりシヴァのほうが上手ですね、私はまだこれはうまく入れられません。』
『そんなことないと思うが。』
『いいえ、シヴァのが美味しいです。』
カイルは微笑むとじっとシヴァを見た。
『うん?』
『ずっと入れてくれます?私のために。』
『そうしよう…でもどうした?急に。』
『フフ、内緒。』
『内緒?』
シヴァが苦笑するとカイルは嬉しそうにただお茶を飲んだ。
近頃のシヴァは優しい。優しいというかとても甘い。
カイルはいつも彼は優しいと感じていたけど、それが体に染まるほどに優しいのは二人の距離が近づいているからだとも思っている。
きっと甘え上手になれたのも彼がそう誘導してくれるからだし、それが心地よいことを知れてカイルは自分がどれだけ大切かを理解した。
幸せというのはこういうものだと思う。
先日シヴァには内緒でゼロと外出をした。これはゼロからの申し出だったがカイルはドキドキしていた。
『どうしたの?ドキドキ?』
ハンドルを握るゼロに助手席のカイルはエヘヘと笑う。
『だって…初めてですよ?シヴァに内緒なんて。』
『でも内緒じゃないと君が欲しいもの手に入らないよ?』
『そうですけど。』
ゼロは肩をすくめると息を吐く。
『今日はティルもシヴァと会ってるし問題ないでしょ?ティルからは別れる前に連絡貰うようにしてるから、それまでに送っていく。』
『はい、そうしてもらえると助かります。』
車はカイルがいつも来ない街並みの駐車場に止まった。ゼロによるとこの辺りは男性物に特化した商店が多いそうだ。
ゼロに連れられてカイルは足早に歩く。ちらりとゼロを盗み見ると色々思案してくれている。
『そっか。』
カイルが零したのに気付きゼロが振り返る。急ぎ首を横に振ると彼はまた歩いていく。
ゼロの背中を見ながら、いつもシヴァがどれだけゆっくり歩いてくれているかを知ってカイルは嬉しくて俯いた。
名前を呼ばれてカイルは走りだすとゼロは笑う。
『早い?ティルはもっと早いんだよ、彼女は僕を放って行ってしまう。』
『いえ、大丈夫です。でもティルさんも早いんですね?いつもはゆっくりですよ?』
『はあ~彼女は絶対僕と差別してるんだよ。』
ゼロは唇を尖らせるとぼやいた。
『でも、ティルさん…沢山ゼロさんのお話されますよ?』
『え?そうなの。たとえばどんな?』
カイルはうーんと唸るとティルが怒りそうにない話を出した。
『そっか…そんなこと言ってるのか。』
ゼロはそう言うとフフと笑いカイルの背中をぽんと叩いた。
『さあ、選ぼう。君が欲しいもの。』
『はい。』
日が暮れる前に全ての買い物が終了し、ゼロは運転席に乗り込むと助手席を見る。
カイルは嬉しそうに紙袋を持っている。
『あら、嬉しそうだね。』
『ウフフ…でもどうでしょうね?喜んでもらえるでしょうか?』
ゼロは車を走らせるとフフと笑った。
『そりゃあ喜ぶんじゃない?だって君が選んだものだし…ちなみに言っとくけどそれって凄く良い品だよ?お手頃だったから君はラッキーだったよ。』
『そう言って貰えると良かった。』
『けどさ、アルバイトでちょこちょこ稼ぐなんて君もやるね?』
カイルは俯くと苦笑する。
『いえ、でも少しくらいしか出来ることがないから。』
『ふうん、ちなみに何をしてたの?アルバイト。』
『ああ、お花のリースとか簡単な繕い物とか…あとお菓子作りに…。』
『そっか。なら今度は病院にアルバイトしに来る?色々あるよ?それに高収入だし。』
カイルは首を横に振る。
『それは多分…。』
『ああーあの堅物は怒るなあ。きっと。』
『でも皆さん、沢山くださるから…それにあんまりシヴァに内緒でするのもちょっと疲れちゃうから。』
『ああ、そうね。って内緒だったの?』
『少しだけ。でも殆どは話してますよ?言っちゃうと何が欲しいんだ?って聞かれちゃうから。』
『なるほど。それじゃ内緒の意味がないな。』
『フフ。今回はどうしても…なんです。』
ゼロはああ、と何かに気がつくと破顔した。
『そうか、それでか。…普段はそんなこと気にしないじゃない?僕らは不死だしさ。』
『ええ、だからと思って。でも普通はしないものですか?』
『そうねえ…僕とティルはしないかな。多分ティルは烈火のごとく怒るだろうし。どういうつもりだって…。』
カイルは俯くと紙袋をぎゅっと抱きしめた。
『シヴァは怒るでしょうか?』
『いや、そうでもないんじゃない?シヴァに聞いたんでしょ?』
『ええ。』
ゼロはカイルの頭に手を当てるとくしゃくしゃっと撫でた。
『なら大丈夫。さあ、帰ろう。』
ゼロとの外出を思い出してカイルは机の上に置かれた紙袋を見てベットに横たわる。喜んでもらえると思うのは自分勝手だろうか?それでも何かしたいと思ってしまった気持ちに嘘はないし、それを忘れてしまうのは少し悲しい。
あの日、ゼロは大丈夫だと言ってはくれたものの不安は付きまとう。
今日はシヴァが仕事に出ていて夜遅くに帰ってくる、その時にと考えているが疲れていたら明日にしたほうがいいのかもしれない。
今朝から家中の掃除をして綺麗にしておいた。シヴァに先に断ってベットのシーツも換えたし干しておいたからふかふかにもなっている。
夜が降りてくる頃、カイルは家の灯りをつけた。暖炉の火を大きくして台所でお茶を入れるとソファに座った。そしてそのまま居眠りを始めた。
空に星が瞬く頃、シヴァは車を走らせ家の前に滑り込む。灯りがついているからまだ起きているのかもしれないが、時計は十二時を回っている。
随分と遅くなってしまった。鍵を開けて家に入ると家の中は掃除されて綺麗になっている。今日は随分とがんばったようだ。
居間では暖炉の傍でカイルが眠っている。シヴァはそれを横目に自室に戻ると服を着替えて台所でお茶を入れる。二つカップを持つと彼女の傍に座った。
『待ちつかれたか…。』
シヴァはポケットを触って確かめてからカイルに毛布をかけた。
それに気付いてカイルの長い睫毛が揺れる。
『ん?シヴァ?』
『ただいま。遅くなってしまった。』
『いえ。おかえりなさい。』
『うん…随分と掃除を頑張ったみたいだね?』
『はい。今日は特別なので。』
カイルは体を起こすとシヴァにこのままでいるように合図をして自室へ戻った。
首を傾げるシヴァの前に再び現れると紙袋を差し出す。
『どうぞ。あなたへ。』
『何かな?開けても?』
『ええ。』
シヴァは不思議そうにそれを開封する。中にはダークブルーに白と灰、金のストライプが入ったシャツが入っていた。
『これを私にくれるのか?』
カイルがにこりと笑う。
『でも…どうして急に?』
『お誕生日でしょ?随分前にそんな話をしてたから。』
『ああ、そういえば。フフ、そうか。』
シヴァは笑うと、ありがとうと呟く。
『大切に着よう。私の好みだ、よくわかったね?』
『フフ、よかった。』
『けど、これをどうやって買いに?』
カイルは少し言いにくそうにボソボソと呟く。
『ゼロさんにお願いして…連れて行ってもらいました。』
その様子にシヴァは噴出すと口元を押さえて笑いをこらえた。
『…そうか、でも今度からは言っておいてくれ。心配になるし。』
『はい、でも…内緒だったから。』
『ああ、そうか。なら今みたいに後で報告してくれるか?』
『はい。』
カイルが笑うとシヴァは立ち上がり一度自室へ戻る。そして部屋から箱を取り出すとそれをカイルの前に差し出した。
『カイルに。』
『え?』
カイルの腕の中にポンと箱を押し付けてシヴァはソファに座る。
『なんですか?…ああ!』
『そうだ、君とは誕生日が一日違いだから。それは私から君に。』
『フフ、一緒のこと考えてたんですね?開けてもいいですか?』
『どうぞ。』
カイルは箱を開ける。中には赤いシルクのパジャマが入っている。
『うわあ!素敵。』
『そうか喜んでもらえてよかった。私のお古ばかり着ているのも気になっていたからね。』
『あれはあれでいいんです。シヴァの匂いがするし。』
そう言うとカイルはパジャマに指を這わせた。そして自分の言ったことに気付き顔を赤くした。
『わ、忘れてください。ううっ。』
『フフ、気にするな。カイル…少しいいだろうか?』
『はい。』
シヴァが改まったのでカイルは箱をテーブルに置いた。
『カイル、私が以前言ったことを覚えているだろうか?』
『うん?』
『私たちは永遠を生きる、同じ速度で歩く種族だと。』
『はい、私も同じです。』
『うん。』
シヴァはカイルの手を握るとじっと瞳を見つめた。
『それに変わりは無いんだ…が君はどう思っている?』
『変わりません。』
カイルはそう答えたもののシヴァの様子が少し違うのに気付いて首をかしげた。
『どうしました?』
『ああ、いや。その…。』
シヴァは途切れ途切れに言葉を発すると大きく溜息をついた。
『すまない、私はこんなときに臆病だ。』
『大丈夫ですよ?』
カイルの微笑みにシヴァは頷くとポケットから小さな箱を取り出した。
それを両手で持ってカイルに渡す。
『何ですか?』
『指輪だ。私とこれから先も永遠を一緒に歩いて欲しい。』
カイルが箱を開けると金の指輪が入っていた。
『うわあ、綺麗。…ってあの、それって。』
気付いたのか顔を赤くして俯き、それでもたまらなく嬉しそうに笑った。
『ダメだろうか?』
言葉を間違えた気がしてシヴァは息を吐いて俯く。
『ダメじゃないです。けどちゃんと言ってください。』
顔を上げるとカイルは微笑んでシヴァの手を包んだ。
『…君と結婚したいと思っている。してくれるか?』
その言葉にカイルは微笑み頷いた。シヴァはカイルの手から指輪を取りそっと彼女の指に嵌める。白い指に映えてカイルがそれに口付ける。
『ありがとうございます。シヴァ。』
『いや、こちらこそ。』
カイルの額がシヴァの胸にこつんと当たり、緊張からか力が抜けてカイルの肩にもたれこんだ。
『緊張しましたか?』
『ああ…きっと君へ愛を告白したときよりも緊張した。』
『フフ、本当だ、震えてる。』
カイルはシヴァの手を握ると優しく口付ける。
『これで震えは止まりますか?』
シヴァはフフと笑うと首を横に振る。
『もう少し、必要かも。』
その答えにカイルは微笑む。
『じゃあもう少し。』
カイルはシヴァに近づくと彼の首に腕を回してキスをした。
『今度は私のお願いも聞いてください。』
シヴァは彼女を抱き上げると静かに頷いた。
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夏が終わる頃、家にティルがやってきた。後ろにはゼロが大きな荷物を抱えている。
丁度シヴァが留守だったためカイルが出ると二人は嬉しそうに笑った。
『やあ、カイル。』
『こんにちは…なんですか?大きな荷物ですけど。』
ティルはゼロに荷物を置くとさっさと出て行けと言い追い出した。
『ティルさん?』
部屋の中央に置かれた荷物を解きティルはそれをソファに置いた。
真っ白なドレスだ。
『わあ、綺麗。これどうするんですか?ティルさんが?』
『ハハ、これはカイルのためのものだ。私がデザインして作ってもらった。』
『え?』
ティルはカイルの手を取ると指輪を眺める。
『ちゃんと返事をしたのか?シヴァと結婚するんだろう?』
『は…はい。あのでもどうしてドレスを?』
『ああ、あれは随分前にシヴァに頼まれたんだ。いつかそういう日が来たらドレスを選んでくれないかと。けど私は断った。』
『え?』
『断ったんだ。そんなことよりもちゃんとプロポーズしろと。するのであれば協力してやるとね。シヴァはわかったと言ったから奴の背中を押すために私はドレスを注文した。奴の金でな。』
ティルはドレスを持つとカイルにあてる。
『うん、やっぱり似合うな。カイルはこうしたのがよく似合う。』
『あの…それってシヴァはせかされて…。』
カイルの戸惑いに気付きティルは焦ってドレスを落としそうになった。
『違う、違うぞ。そもそも奴はプロポーズはずっと考えていたんだと思う。私がどうこうとかそういうことじゃない。いいか?カイル…。』
ティルが言いかけて顔を上げるとカイルが苦笑したため、ティルはそっぽを向いた。
『なんだかシヴァに似てきたな。』
『…すいません。』
『まあいい、今日は確認のために来たんだからな。さあ、これを着て見せて。』
カイルは白いドレスに袖を通す。サラサラした生地が体の上で揺らめき、背中のボタンを留めると体にフィットした。
『うん、少しだけ調整だな。』
ティルはカイルから少し離れて幸せそうに微笑み頷く。
『後はヘアメイクだな。まあ、それは後々か。どうだ?着心地は。』
『え?綺麗でなんだかドキドキします。あの…鏡で見てきてもいいですか?』
『ああ。いいよ。』
カイルは嬉しそうな顔でバスルームに駆け込んだ。姿見に映した自分は自分とは思えないほど綺麗で、一瞬たじろいだ。
『どうだ?』
後ろから来たティルに声をかけられてカイルは俯く。
『似合っているでしょうか?…変じゃないですか?』
『ああ。うん?何をそんなに…。』
カイルの顔が少し曇った。どうやら自信がないようでティルはそれに気付くと後ろからカイルの肩に触れた。
『なあ、カイル。不安ならば私の言葉を信じろ。カイルは綺麗だ。私が恋をするほどに綺麗だ。』
『ティルさん…。』
『本当だ。シヴァも同じように思うだろう。なあ、カイル…いつも笑っていろ。そのほうが素敵だ。不安な顔は不安を呼んでしまうものだ。いいな?』
『はい。』
カイルの口元が微笑んだのでティルが頷いた。
『顔は心を映す鏡だ。幸せなら幸せな顔でいろ。ここだけの話だがシヴァはカイルの話をしている時、今までに見たことのないほどに優しく美しい。』
『そうなんですか?』
『ああ。カイルにも見せてやりたい。あの男は私には酷く辛く当たっていたんだ、それが今はどうだ?カイルと出会ってからというもの変わったものだな。』
ティルの言葉にカイルが目を輝かせたのでティルは彼女の手を取りリビングへ戻るとソファに座った。
『昔話でもしようか。聞きたいか?』
『はい。』
『うん、フフ。カイルはシヴァから私のことはどう聞いている?変わったラミアとでも聞いたか?』
『いいえ、ティルさんは美しい方だとは聞きましたが。シヴァは昔の話はあまりしないから。多分・・・私たちは長生きしすぎて語るには時間が足りないからじゃないかなって思ってます。』
『そうだな。私も不死ではないが長寿だ。私がシヴァと出会った頃、私は美しいエルフに心を奪われていた。美しくて喉から手が出るほどに欲しくて仕方なかった。』
ティルは長い髪を両手で後ろへ流す。
『それでも恋と言うのは気まぐれで私の前に幾つものときめきを運んでくる。シヴァはある日カフェに現れた。座っているだけで目を引く男だ。皆ソワソワしていた。私は高鳴る胸を抑えてシヴァに声をかけたんだ。』
『・・・なんてですか?』
『・・・。』
ティルはふと目を閉じる。瞼に映るのはあの日のシヴァだ。
晴れた日だった。晴天に近い空を見上げてティルはいつもどおりの道を歩く。
道沿いにあるカフェに複数の女たちが視線を送っている。何事かと思ってそちらを見るとティルの心臓が一瞬止まった。そして突然動き出すと体中が熱くなった。
美しい顔に長い睫毛、すらりとした体にパリッとしたシャツ。長い指先で本のページを捲っている。青白いからヴァンパイアだろうが、これほどまでに美しい男を見たことがない。
ティルは女たちを押しのけてカフェに入るとその美しいヴァンパイアの前に立った。本を読んでいたその瞳がゆっくりとティルを捉える。
『何か?』
少し低めの優しい彼の声にティルは口を開いた。
『・・・綺麗だ。』
熱に浮かされたままのティルにヴァンパイアはフフと笑うとまた視線を落として本を読む。
そんな出会いだった。
『ティルさん?』
『綺麗だ・・・と。私はシヴァの前に立つと言葉がうまく出なかった。それくらいにドキドキしていた。笑うか?』
『いいえ。私もシヴァの目を見つめているとドキドキします。』
『そうか。それからカフェで会うたびに私は恋人になって欲しいと願ったんだ。ところが奴は不機嫌そうに笑うだけ。』
『シヴァらしいですね。』
『そうだな。』
ティルは俯くと瞼を閉じた。
カフェのテラスの傘の下、シヴァはゆったりと椅子に座って本を読んでいる。
ヴァンパイアのくせに当たり前に日中活動するのはこの頃は当たり前らしい。
ティルは彼の前の空いている席に座ると、注文をとりに来たウエイターにコーヒーを頼む。それを聞いてシヴァが顔を上げた。
『・・・こんにちは。』
優しく微笑む顔にティルの胸がざわついた。本当にこの男は・・・。
『いつもこの時間はここにいるんだな?』
『フフ。そうだな。』
ティルのそっけない質問にもシヴァは答えてくれる。しかし視線が上がることはない。
先日やっとのことで落としたエルフの恋人が言っていた。
『あいつは無理だよ。ティルが色仕掛けしたって無理。』
恋人はベットの中でティルにキスを落としながら優しい目をして言う。
『無理だよ。』
呪いの言葉のように繰り返される希望のない言葉。ティルはそれでもと何度かそれとなく誘い文句を口にしていたが、この日ティルの言葉が強くなったのを感じてシヴァは怪訝そうに笑った。
『だから?』
やっと顔を上げたかと思ったらその目には怒りが満ちている。
『恋人になって欲しいと・・・。』
ティルがたじろいで言葉を紡ぐとシヴァは持っていた本を閉じて立ち上がった。
『・・・君は、欲望に忠実なあまりに大切なものを見失う。』
鞄に荷物をしまうと伝票を取り上げた。
『友達にもなれそうにない。』
それから彼がカフェに現れることはなかった。ティルが次に彼を目にしたのは雑誌の表紙だ。
昔話を終えてティルは大きく溜息をつく。今になってシヴァの言葉が身に沁みた。確かにあの頃、ゼロとシヴァを両天秤にかけていた。欲しくてたまらなかったのは確かだが。
隣に座るカイルはティルの話を聞いて小さく、そっかと呟いた。
『私はティルさんもシヴァも好きです。』
『ん?』
ティルはカイルの顔を覗きこむとカイルの顔が優しく微笑む。
『人恋しい時って体を重ねたり抱きしめたくなったりします。こうやって触れて好きだよって伝えたくなります。』
カイルの指がティルの指に触れた。
『今はそんなに思わないけど、初めて会った時ティルさんは少し寂しそうに見えました。そんなことはないんだろうけど、少しだけそんな風に見えて。』
『・・・そうだったか?』
『ティルさんは優しいです。私が倒れた時も、今だってこうして。私はティルさんのことお友達だって思っています・・・。』
『・・・友達。』
『駄目ですか?』
『・・・いいや、それもいい。ただ・・・』その後に続く言葉をティルは飲み込んだ。
『ただ?』
カイルの心配そうな顔にティルは頷き微笑み返す。
『なんでもない。』
『そうですか。』
友達か。それもいいかも知れない。ティルはソファにもたれるとカイルの髪を指で遊んだ。
その夜、ティルと入れ替わりにシヴァが戻るとティルは彼に耳打ちした。
シヴァは驚いた顔をしてティルを見てからカイルを見る。ドアの向こうにティルが消えるとシヴァは少し赤い顔をして片手で口元を抑えた。
『シヴァ?』
カイルが首を傾げるとシヴァはドアにもたれて視線だけを向けた。
『・・・カイル。』
『はい?』
『・・・お茶を入れてくれ。』
『はい。』
どうしたのだろうとカイルは台所へ向かう。お茶を入れると暖かな湯気の出るカップを二つトレイに乗せてリビングに戻った。
シヴァはソファに座り額に手を当てている。
『シヴァ?どうかしましたか?』
トレイからカップを一つシヴァに手渡すと彼は顔を上げた。
『・・・ありがとう。カイル・・・その。』
『なんです?』
カイルはシヴァの傍に座りカップに口をつける。
『・・・いや、今日はどうだった?』
『はい。ドレス・・・嬉しかったです。ありがとうございます。』
『ああ、うん。私はまだ、どんなものかは知らないんだ。』
『そうでしたね。フフ、すごく素敵です。』
『そうか。良かった・・・君が喜んでくれたなら。』
シヴァが落ち着いたように笑ったのでカイルは頷く。
『良かったら見せましょうか?・・・あ、でも。』
『うん?』
『あのドレス・・・一人で着られないんです。エヘヘ。』
『そう・・・なのか?』
『はい。背中にボタンがあって・・・本当に素敵なんです。私、自分が似合ってるの心配になってしまうくらいで。』
カイルが申し訳なさそうに苦笑した。シヴァはフフと笑うと頷く。
『じゃあ、着て見せてくれ。ボタンは私が手伝おう。』
『・・・はい。じゃあお願いします。』
カイルは自室に戻ると少ししてからドアから現れた。
ドアが開くとそこには白いレースが重ねられたドレスを着たカイルが照れくさそうに微笑んでいる。
ゆっくりと彼女が歩いてくるのにシヴァは目を奪われた。
背中が開いているから両手を肩に押さえている姿が天使のようにも見える。
シヴァは両手を差し出すと微笑んだ。
『こっちへ。』
引き寄せられるようにカイルが歩み寄る。くるりと背を向けるとシヴァは彼女の小さな背中に触れた。白い背中にレースが映えている。
ウエストラインからボタンを一つずつ留めて肩甲骨辺りで指が止まった。
『・・・さっき・・・。』
『うん?なんですか?』
シヴァはカイルの羽に指を這わせた。
『カイルの背中にほくろがある・・・ってティルが言ってた。』
『え?そうなんですか?』
シヴァはまたボタンを一つずつ留めると最後を終わらせた。くるりと振り返りカイルが笑う。
『ありがとうございます。・・・どうですか?』
『うん?ああ・・・凄く綺麗だ。』
『シヴァ・・・ありがとう。』
カイルは両手でドレスのスカートに触れると嬉しそうに微笑む。フフと笑ってシヴァを見ると唇を噛んだ。
『・・・シヴァ?』
『うん?』
『あの・・・。』
カイルはそっとシヴァの手を握り俯いたまま言った。
『これ・・・一人では脱げないんです。』
『知っている。』
シヴァはカイルの手を持ち上げて唇に触れさせる。
『脱がせても?』
『・・・はい。お願いします。』
その答えを聞いてシヴァはカイルを抱き上げる。唇に優しくキスをすると微笑んだ。
『式の日も同じようになるといい。カイル?』
『はい。』
『君の背中には傷一つない。ティルは私を試したようだ。』
『え?・・・ああ、フフ。』
『うん?』
『だから赤い顔をしてたんですね。』
『ああ、私の記憶が正しければ君の背中にはほくろはない。だからもしかしたら私がつけた印かと思ったんだよ。』
その言葉にカイルは困ったように笑った。
『シヴァ・・・。』
『式の前は気をつけよう。』
カイルが頬を膨らせたのでシヴァは破顔すると彼女を抱いたまま自室へと向かった。
秋の頃、家の中で女性たちがカイルを囲んで花嫁の支度をしている。
口紅を引き終えるとカイルは鏡の前に立ち嬉しそうに笑う。
久しぶりに見る顔、その中に新郎の姿を見つけて手を伸ばした。
『カイル、綺麗だ。』
『はい。シヴァも素敵です。』
シヴァはカイルの手を腕に組ませると微笑んだ。
『さあ、行こうか。ウェディングパーティへ。』
『はい。』
親しいものたちが微笑む中、二人は顔を見合わせて嬉しそうにゆっくりと歩んでいった。
雨の日には一緒にお茶を 蒼開襟 @aoisyatuD
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