第4話

「……あ、いつの間にか十時過ぎてますね」


 年末の番組が放送されているテレビを見ながら、ふと哲也はこたつに入ったまま時計を見上げた。

 イナリも同じように視線を上げると、心なしか落ち込んだ声で言う。


「むっ? ふむ、そうじゃのう……」

「そろそろ寝ましょうか、イナリさま。俺、布団出してきます」


 数十年ぶりに出てこれたらしいし、きっとまだ遊び足りないんだろう。

 なんて思いつつ哲也がこたつから出ようとすると、イナリは静かに首を横に振った。


「いや、ワシの分はいらんのじゃ。これから稲荷神社に帰るつもりじゃからの」

「えっ⁉︎ 外、まだ雪降ってますよね?」

「まあ確かにそうじゃが……オヌシ、ワシを迷子の子供じゃと思うとらんかの?」


 呆れ顔で哲也を見てきたイナリは、幼な子に言い聞かせるように。


「よいか、哲也よ。これでもワシは雪の神さまの使いなのじゃ。この程度の雪、むしろワシにとっては福音よ」

「でも外は寒いですし、どうせなら泊まっていけばいいのに……」


 そう心配していると、イナリは立ち上がって哲也の頭をそっと優しく撫でてきた。


「ありがとうなのじゃ。しかし、どうせ朝になれば雪が溶けて、依代のなくなったワシは姿を現せなくなってしまうんじゃよ」

「え……」


 哲也は、思わず言葉を失った。

 イナリが落ち込んでいたのは、遊び足りなかったからだけではなかったのだ。

 またいつ姿を現せるかも分からないまま、別れの時間が来てしまったからなのだ。


「で、でも、こんなに降ってたら少しは朝まで残ってるんじゃ……」

「いんや、残らんよ。そもそも大して積もっとらんからのう」

「えっ? そんなわけ……」


 慌てて立ち上がってカーテンを開け、哲也はリビングの窓から庭を覗いた。

 が、そこにあった雪の量は帰り道の時とほとんど変わっていない。せいぜい多くても二センチしか積もっておらず、これではイナリの言った通り、朝になればすべて溶けてしまうだろう。


「ほれ、ワシの言うたとおりじゃろ? この雪はどれだけ降っても積もらんからのう」

「……そういう種類の雪、ってことですか?」

「いんや、ただ単に地面が温かいだけじゃ。せめてもう少し寒ければ積もったんじゃが……まあ、こればっかりは仕方ないのう」


 まるで天命だとでも言うように、イナリが苦笑した。

 そんなイナリの狐耳と尻尾はすっかり垂れ下がっており、彼女の落胆具合が垣間見えるようだ。


「そんな……」

「哲也よ。短い時間じゃったが、ずいぶんと世話になったのう。ワシはここらでおいとまするのじゃ」

「ちょっ……!」


 ──では、さらばじゃ!


 イナリはそう言うと笑顔で手を挙げ、哲也が止める間もなく消えてしまった。


「イナリさま! どこに──」


 慌ててリビングを見回すが、すでに影も形もない。

 が、哲也にはイナリがどこに行ったのか、一つだけ心当たりがあった。


「いや……もう稲荷神社に帰ったんだ」


 なら、そこまで行けばイナリに会えるはず。


 そう思った哲也は急いで分厚い上着を取ってくると、玄関から外に飛び出した。


「イナリさま! ……イナリさま、待ってください! 俺、まだあなたとゲームをしてないんです!」


 わずかな雪が降る冬空の街を駆けて、そのまま稲荷神社まで向かおうとする。が、その時。


「うおわっ! なんだこれ、なんで急に吹雪に……⁉︎」


 走り出した哲也の足を食い止めるかのように、突如として自然の猛威が襲ってきたのだ。

 それは、明らかに不自然な吹雪だった。

 みるみるうちに道路についた車のタイヤ跡を消していく雪は、三メートル先の景色すら覆い隠していく。


「さ、寒い……!」


 哲也は自分の腕で目元を庇いながら、ゆっくりと前に進んだ。が、それでも肌を刺すような風の冷たさに痛みすら感じてくる。


「い、イナリさま! あなただって、まだ遊び足りないでしょう⁉︎ せめて話だけでも──」


 叫んだ哲也の声が聞こえたのだろう。

 さらに強くなった吹雪に襲われて、哲也は「くっ!」とたまらず声を上げた。


(このままじゃ、さすがに危険だ……!)


 寒さに震え出した身体を小さく縮めながらも、欠片も見えない前方を睨む。


 しかし、強く吹きつける風が行手を阻む。

 足はちっとも進まず、対する相手は神さまの使い。

 おそらくこの様子では、どんな防寒具を着ていても結果は同じだったのだろう。


 哲也はハァ、と白い息を吐いて、手のひらを強く握り込んだ。


「…………クソッ」


 握りしめた拳は、寒さのせいか。それとも怒りか、悲しみか。

 どちらにせよ、振り上げる先はない。

 哲也はそのまま肩を落として、温かくも、どこか冷たい自宅に帰った。




「……やっと帰りおったか、あの頑固者め」


 稲荷神社の鳥居の上に座って哲也の様子を伺っていたイナリは、ゆっくりと吹雪を緩めながらホッと安堵の息をついた。

 いかに神さまの使いとはいえ、哲也に危害を加えるようなことはできないからだ。


「しっかし、まさかワシを追ってくるとは思わなんだ! 色々と周りを気にしていた癖に、とんだアホじゃのう、アヤツ!」


 かかかっ、と笑ったイナリは、すぐにその豪快な笑みを引っ込めると。


「……ありがたいことじゃな、本当に」


 そう、ポツリと呟いて微笑むのだった。


 稲荷神社に戻ったイナリの時間は、哲也の家にいた時とは正反対に、やけにゆっくりと進んでいた。

 哲也にもらった充電式カイロだけが温かい冬の夜は、無言のままに更けていく。


 そして朝が近づくにつれてカイロは冷たくなり、ほんのわずかに積もっていた雪もゆっくりと溶けていった。




「……さて、そろそろかの?」


 ようやく長かった夜が開け、朝日が見え出した頃。

 稲荷神社の屋根に登って最後に残った雪の欠片を眺めていたイナリは、とうとうすべてが溶けたことを見届けた。


「さてさて、次はいつ姿を現せるかのう。今度は眠らぬようにせねば」


 なにせ、これからは哲也を見守ってやるつもりなのだから。


 イナリはくっくっくと悪戯げに笑いつつ、まだかまだかと自分の姿が消えるのを待っていた……のだが。


「むっ? なんじゃ、まだ消えんのう」


 不思議に思って小首を傾げるイナリ。どうやらまだ雪が残っているらしい。

 しかも、その雪の気配を哲也の自宅から感じるのはどういうことなのか。


「──イナリさま!」


 その時。

 稲荷神社の鳥居から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「むっ? その声は……」


 振り返ってみると、イナリのほうを見上げながら鳥居をくぐってくる男の姿があった。

 間違いない、哲也だ。

 イナリが戸惑いながら屋根から降りて近寄っていくと、哲也はホッと胸を撫で下ろし、口元を綻ばせた。


「……よかった、まだここにいたんですね」

「う、うむ。しかし……哲也よ。オヌシ、いったい何をしたんじゃ?」

「ああ、それはですね……」


 その説明によると。

 あれから哲也はもう一度外に出て、イナリが降らせた雪をバケツいっぱいに詰め込み、それを冷凍庫の中に入れておいたらしい。


「はぁあー⁉︎」


 さすがのイナリも驚愕して叫んでしまった。

 腹を抱えて笑いながら、哲也の背中をバシバシと叩く。


「お、オヌシというやつは! オヌシというやつは! まったく、とんでもないやつじゃのう!」

「うおっ! イテテッ!」

「そうか、その手があったか! よう思いついたもんじゃな!」


 痛そうに背中を押さえた哲也を褒めて、かかかっとイナリは思い切り大笑いした。

 それほどに、心の底から嬉しかったのだ。


 ひとしきり笑ってから、イナリは稲荷神社の前で哲也に真っ直ぐ手を差し出して、昨夜のように叫んだ。


「よし、ならば哲也よ! 今からワシと一緒に、げえむとやらの続きをしようぞ!」

「……はいっ!」


 哲也もまた笑い、イナリの手をそっと掴んでくる。

 イナリは繋いだ手をしっかりと握り返すと、ニイッと満面の笑顔を浮かべ──


「なんせ、ワシはまだまだ遊び足りんからのう!」


 そう声を弾ませながら、あの温かい家へと引っ張っていくのだった。

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雪の狐巫女は遊び足りない 平川 蓮 @rem0807

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