短編

黒心

備忘録

 私の住む場所は綺麗なところです。山もあって、川もあって、畑はあって、親戚のみんなもいます。ちょっと歩けば、大きな町に着くところです。ちょっとだけと言ってったって、車を動かしていかないと着けない距離なのですけど、昔の人は本当に歩いていたらしいんです。


 昨日まだ陽も昇らない内に集会場にやってきたジョーニールおじさんは大都会に住む父の兄です。娘のミレンバと一緒に、父に久しぶりに会いたくなったらしいのです。意外なことに母は驚いて、急いで村の人たちを集めて村長の納屋を間借りしました。机と黒板を持ち込んで、電気技師のフェンも呼ばれていました。フェンは私の恋人で、明後日挙式を上げる予定だったのです。恋人の私も、彼のことが気になってついていきました。


 普段は微笑ましく挨拶をしてくれる村の人たちが何故か険しい顔をして納屋に集まっていました。その中心にはジョーニールおじさんがいます。私はフェンを探して、古い通信機を治している彼を見つけました。村長が捨てるのもめんどくさくなって納屋の奥の方に仕舞い込んでいたものです。みすぼらしいアンテナに、何個ものダイヤル、ちょっと間違えたら火を噴くような、厄介ものでした。


「フェン?なんでそれを治してるの?」


 気落ちしていたのかもしれません。私は納屋の殺伐とした雰囲気に震えが止まらなかったんです。


「んん、ジョーニールおじさんがこれを治せって。助けになるからって」


 フェンはとても甘そうなクッキーを取りだしました。食いしん坊な彼は都会のクッキーに目が無いんです。彼はそれを私の口元に突き出しました。蜂蜜や卵の甘い匂いが仄かに香る食べたくなる良いクッキーでした。私は以前、ジョーニールおじさんに連れられてミレンバと一緒にこれを食べたことがありました。都会の一等地に店を構える有名なクッキー屋さんです。


 思わず口にしたクッキーは少しだけ昔と違っていました。蜂蜜が少ないのか、砂糖が少ないのか、取り敢えず、私は欠けた店の刻印をみて残念に感じたのです。


「それが最後だけど、おいしいよね!」


 フェンは明るい笑顔を咲かせました。思わず私もつられて笑ってしまいました。フェンの傍に座って、真剣な村人たちから距離を置くことにしました。彼の傍に居たら、どんなことが起こっても大丈夫だと、そう確信があったんです。


「エナ、この通信機はね。古いけどまだまだ現役なんだ」


 とても楽しそうにフェンは言いました。村長が昔、テレビもない時代に村の資金を使って買ったものらしく、父や母はこれが娯楽だったと語っていました。私にはテレビのない時代が想像できませんが、懐かしく語る父母にとって幼少期の思い出深い品なのでしょうか。


「直った!」


 フェンがそう高らかに叫ぶと村人たちはこぞって私たちのところにやってきて、すぐにこの鈍重な機械を一生懸命納屋の中央に移動させました。それは電気で動かず、ガソリンを加えて動くものだったんです。それは火がつくわけです。いつも親切にしてくれている近所のおじいさんがガソリンタンクを持ち込んで、ゆっくり、ひどく丁寧にそれを入れていきました。


「フェン!これのダイヤルを0819。そっちを0608に合わせろ、急げ!」


 今までに聞いこともないジョーニールおじさんの声でした。普段はもっと静かで、優しい声をしているんです。あんな荒げるような声じゃありません。


『ザッ、ザザッ』


 村人たちは固唾を飲んで二人の作業を見守っていました。


 そのときでしょうか、私が黒板を見たのは。


 黒板には国の地図が掛かれています。特に道路が中心になって書かれているようで、白い線で特徴的に書かれていました。ところどころ赤い印でバッテンされ、青いチョークで塗りつぶされているところもありました。


 昨日の私にはそれがわかりませんでした。ですが、今の私にはそれがわかります。


 それは封鎖されている道路と、目撃した軍隊の場所でした。


 『ザッ、ザザッ。ちら……ザー。こちら戒厳指令部……ザッ』


 村人たちの顔が青くなっていくのが分かりました。私はすっかり雰囲気に飲まれてフェンの腕を強くつかんでしまっていました。彼は痛かったと言っていましたが、そのときは何も喋らなかったのです。


 『本日、未明四時二分。陸軍大将ジェルダックの武装蜂起を確認し、タームズ国家第一席は戒厳令を発令。戒厳令を発令。繰り返す、戒厳令を発令。全ての国民は外出を禁じ、その身のザッザッ』


 誰の、呼吸も聞こえませんでした。


『ザザッ……お昼のニュースのお時間です。バル国家第二主席はタームズ国家第一席の健康不振を理由に仕事を退き、その権限をバル国家第二席に継ぐことを発表しました。グスッ。以下、国民へのメッセージです』


 ジョーニールおじさんが静寂を突き破った一番初めの人だったのを覚えています。重く苦しい表情で、あの場で誰よりも緊張に眼を震わせていました。


「通信局が……乗っ取られた。もう戒厳司令部の声は聞けない…………」


「い、家の中に居たら安全だべ」


「全員、急いで荷物を纏めよう。国が変わる前に外へ逃げるんだ」


 そのあとはみんな必死でした。重たい家財は全て置いていって、思い出の家を飛び出すために必要なもの以外は用意できませんでした。フェンは通信機から動かなくって準備は私がしました。彼はずっと、通信機から聞こえてくる言葉を書き留めていたんです。


『親愛なる国民の皆様。今日は残念なお知らせがあります。愛すべきタームズ国家第一席は心労による病気により国政が困難になりました。わたくし、バルが国家、ひいては国民のために骨を砕き、身を粉にするまでタームズ国家第一席の残した使命を果たします。このわが故郷たる国家は建国68年を迎え、その国民の安寧を維持してきました。国民弁論大会による国民第一の国政運営、個々を共同体に纏めて国民一人一人に新しい風を与えてきました。この昨今の情勢に於きましては国家第一主義に置き換わり、国民のためを為すことが出来なかったことを、ここに陳謝します。おおよそ、タームズ国家第一席は国民のためと偽り、国家の基盤を破壊しようとした蛮族の働きを為しています。わが親愛なるタームズ国家第一席を翻弄した諸外国の動きは看過できるものではなく、しかし、わが国家は強固で外威を寄せつけぬものと確信しています。さらには……』


 このメモが途中で途切れているのは限界になった通信機がついに燃えだしたからです。予め用意してあった水でフェンは火を消したらしいのですが、もう直ることはありませんでした。


 私は今、故郷をはるか遠くから眺めています。


 とても見えません。


 ですがそこに必ずあるはずです。私の生まれ育った故郷が、生まれ育った長閑な村が。






 短編『クーデター』

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短編 黒心 @seishei

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