第15話「第三王子、王都に向かう」

 統一暦一二一五年二月十六日。

 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ本部内。第三王子ジークフリート


 本日、グライフトゥルム市を出発し、王都シュヴェーレンブルクに向かう。

 ここからは川を下り、その後は海路を使う。四百五十キロメートルほどあるが、天候が良ければ最短四日で王都に到着できるらしい。


 早朝だが、大賢者マグダと大導師シドニウス、その他にもここで世話になった導師たちが見送りに来てくれた。


「世話になった。今後もよろしく頼みたい」


 私がそう言うと、大賢者が代表して答える。


「儂らはいつでも歓迎しますぞ。マティアス、身体には十分気を付けるのじゃ。完治したとはいえ、そなたは元々身体が弱いからの」


 それにマティアス卿が頭を下げる。


「長い間、お世話になりました。今も家族と一緒にいられるのは、大賢者様を始めとする、塔の皆さんのお陰です」


 イリス卿もその横で頭を下げていた。


 船着き場まで馬車で行くが、まだ早春というには早く、標高の高いグライフトゥルム市の風は冷たい。


 護衛はマティアス卿の直属、シュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペの精鋭約五十名だ。


 安全なグライフトゥルム市にこれほどの護衛を連れてきていることに最初は驚いたが、ラウシェンバッハ子爵領の獣人族セリアンスロープがマティアス卿のことを心配し、自発的に精鋭である黒獣猟兵団の兵士を送り込んだらしい。


 彼らとはここに来てから鍛錬を手伝ってもらっているため、既に気心が知れている。私の護衛であるアレクサンダー・ハルフォーフも彼らの能力に驚いていた。


『皆一騎当千の強者つわものです。彼らがいるなら五百人の兵に襲われても問題にはなりますまい』


 大陸最強と名高いグランツフート共和国の名将、ゲルハルト・ケンプフェルト元帥に師事し、王国内では敵なしと言われているアレクサンダーが手放しで褒めていた。


 船着き場に着くと、すぐに用意されていた船に乗り込む。

 船は小型のもので、護衛の分を合わせて五艘だ。私はマティアス卿たちとは別の船に乗り込んだ。


 グライフトゥルム市はブラオン河の上流域にあり、流れに乗って下れば、意外にスピードが出る。そのため、翌日の十七日にはグリュンタール伯爵領の領都に到着した。

 領都に入ると、領主館に向かった。


 既に馬車が用意されており、マティアス卿らと共にそれに乗り込む。


「ルーファス・フォン・グリュンタール伯爵は爵位を継がれる前にしかあったことはありませんが、基本的には豪快な方です。昨日ご説明した通りに対応すれば、何も問題はありません」


 マティアス卿が優しい笑みを浮かべてそう言ってきた。


「自信はないが、頑張ってみる」


 彼からどう対応したらよいか説明を受けているが、初めて会う貴族ということで緊張しており、言われた通りに対応できるか自信がない。


 領主館に到着すると、武の名門らしく、武骨な感じの門があった。


「グライフトゥルム王家第三王子ジークフリート殿下、ご到着! 開門せよ!」


 アレクサンダーが重々しく命じると、ゆっくりと門が開いた。

 中に入っても庭園はなく、兵士たちが訓練に励んでいた。


 屋敷の車寄せで馬車を降りると、髭面の若い偉丈夫が片膝を突いて待っていた。

 伯爵の後ろには夫人らしいドレス姿の若い女性と正装に身を包んだ家臣たちが頭を下げて並んでいる。


「ルーファス・フォン・グリュンタール伯爵にございます。ジークフリート殿下を我が屋敷にお迎えできること、我が家の誉れにございます」


「グリュンタール伯爵、出迎え大儀である。武の誉れ高きグリュンタール伯爵家を訪問できたこと、私も満足している」


 このような言い回しは初めてで、噛みそうになったが、何とか言い切ることができた。

 私としてはこのような大仰なことはしたくなかったのだが、マティアス卿からの助言に従っている。


『グリュンタール伯爵は昨年爵位を相続されました。先代の伯爵は武人として名を馳せておられましたが、伯爵自身は戦場に出る機会がなく、そのことを気にされています。そのため、伯爵は内心では自信がなく、大仰に出迎える可能性が高いです。ですので、殿下には王族として伯爵の忠誠に期待しているという感じで、同じように大仰な言い回しを使った方がいいでしょう』


 それが功を奏したのか、伯爵は笑みを浮かべていた。


 中に案内されると、すぐに応接室に通される。

 マティアス卿らが自己紹介などを行った後、伯爵が真剣な表情を浮かべていた。


「先触れから聞いた話では王都に向かわれるとのこと。危険ではありますまいか? 我がグリュンタール騎士団二千名が殿下の盾となりましょう」


 マルクトホーフェン侯爵領を通ることを懸念しての発言だ。


「伯爵の申し出はありがたいが、精鋭と名高いグリュンタール騎士団に守られねばならないほど危険ではあるまい」


 このような申し出があることもマティアス卿から予告されていたので、慌てることなく断ることができた。


「殿下がそうおっしゃるのであれば。ですが、某はいつでも王家のために命を捨てる覚悟ができております」


「卿の王家への忠誠心に対し、父である陛下に代わって謝意を伝えたい。王宮に戻った際には陛下に言上しておこう」


「ありがたき幸せ」


 そのような会話をした後、与えられた客室に向かう。

 部屋に入った後、メイド姿のヒルデガルトが私に微笑む。


「完璧な対応でした。お見事です」


「まあ、マティアス卿に言われた通りの対応だったからな。しかし、分かっていても肩が凝る。これからこういったことが続くんだろうか」


 彼女に愚痴を零す。


「まだまだ序の口でしょう。グリュンタール伯爵は反マルクトホーフェン侯爵派として旗幟を明らかにされている方です。今後はマルクトホーフェン侯爵の領地に入りますし、更に面倒なことになることは間違いないでしょう」


 その言葉に気が重くなる。

 伯爵との晩餐ではマティアス卿とイリス卿が主に話をしてくれたので、面倒はなかった。


 翌日伯爵らに見送られて再びブラオン河を下る。

 敵地ともいえるマルクトホーフェン侯爵領に入ったが、今回は侯爵家の護衛が付くほどで問題は起きなかった。


 領都の領主館に入ったが、侯爵は王都にいるため不在で、家宰のアイスナー男爵に出迎えられた。先代のコルネールは謀略家として有名だったらしいが、現在の男爵クラウディオは誠実そうな人物にしか見えなかった。


 但し、他の家臣は私に対して敵意を抱いているようで、鋭い目つきで睨んでいる者が多かった。


「一人くらい無礼なことを言ってくると思ったのに、何もなかったわね。残念だわ」


 船着き場で侯爵家と別れた後、イリス卿がマティアス卿にそんなことを言っていた。


「私も少し意外だったね。でも、ここで問題を起こせば、面倒なことになると分かっている。私と君がいるから絶対に手を出すなと、アイスナー男爵が厳命していたんじゃないかな」


 その言葉に疑問を持った。


「卿たちがいるから手を出さなかったというのは、どういうことなのだろうか?」


「先代のアイスナー男爵とはいろいろとありましたので」


 私の問いにマティアス卿が苦笑を浮かべている。

 私が首を傾げていると、イリス卿が代わって答えてくれた。


「先代男爵が隠居に追い込まれたのは、この人が現侯爵ミヒャエルとの間に楔を打ち込んだからです。あれほど先代のルドルフに重用されていたのに、ミヒャエルは簡単に切り捨てました。そのことを恨みに思い、息子であるクラウディオ卿に注意したのでしょう」


 更に詳しく聞くと、先代同士の関係が見えてきた。

 先代のコルネール・フォン・アイスナーは先代のマルクトホーフェン侯爵、ルドルフが王国内の権力を握る際に大きな役割を果たした。


 もし彼がいなければ、マルクトホーフェン侯爵家がここまで強大になることはなかったらしく、男爵に過ぎないが、ルドルフの腹心として侯爵領のナンバーツーと言われるほど重用されていた。


 そのルドルフだが、フェアラート会戦の大敗北を受けて家督を譲ったが、その後も当主であるミヒャエルを無視して権力を持ち続けた。


 そのことにミヒャエルは苦々しく思っていたが、そこにマティアス卿が付け込み、最も危険なコルネールを排除し、扱いやすい若いヴィージンガーを腹心とするように誘導したらしい。


「凄いものだな。敵の腹心を挿げ替えるなど、普通はできないと思うのだが」


「代替わりがあれば、それほど難しくはありません」


「そうね。あなたは帝国でも同じようにやって、あと一歩で成功というところまで追い詰めたのだから」


 イリス卿の言葉に驚く。


「それはどういうことなのだろうか?」


「前皇帝コルネリウス二世には二人の優秀な内政家がいました。一人はシルヴィオ・バルツァー軍務尚書、もう一人はヴァルデマール・シュテヒェルト内務尚書です。この二人はコルネリウスに対しては絶対の忠誠を誓っていましたが、マクシミリアンに対しては最後まで気を許しておりません。これは彼が行った情報操作で、マクシミリアンに対して疑念を抱き続けていたからです。もし、バルツァーたちがそれまでと同じようにマクシミリアンに仕えていたら、帝国の内政は安定し、リヒトロット皇国の滅亡は大きく早まり、我が国も危機的な状況になっていたはずです」


 バルツァーとシュテヒェルトのことはラザファム卿から教えてもらっている。二人が病で相次いで命を落とした際、皇帝マクシミリアンは天を仰ぎ、“神は余が大陸を征することを望まぬのか”と言って嘆いたというほど、優秀な政治家だったらしい。


「そんなことがあったのか……」


「血筋や身分だけでは本当の忠誠心は得られません。特に代替わりがある場合、先代が偉大であればあるほど、次代の者は苦労します。そこに少しだけ別方向の力を加えれば、関係を崩すことは難しくないのです」


 簡単に崩れるという言葉に納得しがたい。


「そんなものなのだろうか?」


 私の呟きにイリス卿が笑いながら話す。


「簡単というのはこの人にとってということです。普通の人では思いもつきませんから、今殿下がお考えのことは間違っていないと思いますよ」


 彼女の言葉にマティアス卿が苦笑している。


「いずれにしてもここでは問題は起きませんでしたが、王都は敵地だという気持ちは忘れないでください。マルクトホーフェン侯爵は慎重ですが、大胆に動くことも厭わぬ人物です。暗殺という手段は採らないかもしれませんが、殿下を失脚させるために何をしてくるか分からないという状況に変わりはないのですから」


「そうだな。気を緩めることなく、卿らの意見に耳を傾けることにする」


 そう言って私は気を引き締め直した。

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2025年1月11日 12:00
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新グライフトゥルム戦記~運命の王子と王国の守護者たち~(仮) 愛山雄町 @aiyama

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