第14話「軍師、西の防衛に危惧を抱く」

 統一暦一二一五年二月十五日。

 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ本部内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵


 南の敵国レヒト法国が同盟国グランツフート共和国に侵攻するという情報が入った。このタイミングで私とジークフリート王子は王都に向かい、共和国への援軍に同行することを提案した。


「私も王都に向かうのでいいのよね」


 イリスが聞いてきたので首を横に振る。


「マルクトホーフェンまでは一緒だが、そこから子供たちと一緒に直接領地に戻ってもらいたい」


「マルクトホーフェンまで?」


「その通り。私はジークフリート殿下と王都に向かう」


「なるほどね」


 イリスはすぐに納得したが、王子は理解できないようで難しい顔をしている。


「それはどういう意味なのだろうか?」


千里眼アルヴィスンハイトのマティアスがジークフリート殿下と懇意だと周知するのです。私の虚名は割と大きいですから、マルクトホーフェン侯爵派は危機感を持つでしょう。そうなれば、彼らに焦りが生じ、思わぬミスをする可能性があります」


「虚名ではないと思うのだが、意図は理解した。しかし、それでは私が王位を狙っているように見えるのではないか?」


「そうかもしれませんが、殿下が王都に向かい、その後共和国に出陣すれば、誰もが王位争いに加わったと思うはずです。ですので、陛下と王太子殿下には殿下の口からその意図はないということと、王太子殿下を守るためにマルクトホーフェン侯爵の目を自分に向けさせたとお伝えいただければと思っています」


「分かった。父上とフリードリッヒ兄上が分かってくれれば、他が騒ごうが問題ないということだな」


「その通りです」


 そう言って頭を下げるが、そう単純な話ではない。

 国王と王太子がどう思おうが、周囲がどう考えるかは別だ。


 マルクトホーフェン侯爵派は当然警戒するだろうが、反マルクトホーフェン侯爵派や中立派もジークフリート王子に注目する。


 王太子に期待できないことは既に分かっているから、反マルクトホーフェン侯爵派は動いていない。また、中立派もマルクトホーフェン侯爵のやり方に納得しているわけではないが、敵対してグレゴリウス王子が次期国王になったら困るので黙っているに過ぎない。


 今のところ、反マルクトホーフェン侯爵派のうち、ノルトハウゼン伯爵とグリュンタール伯爵は三人の王子の誰を支持するかを明らかにしていないが、私が動けば味方になってくれるだろう。


 しかし、中立派の大物、ケッセルシュラガー侯爵を味方に引き入れるためにはジークフリート王子が次期国王となり得ると知らしめなければならない。

 そのために王子の存在を目立たせる必要がある。


 イリスが更に聞いてきた。


「私はただ領地に戻るわけじゃないわよね? お義父様たちにあなたの考えを予め伝えておくということかしら?」


「それもあるけど、今回の遠征に連れていく義勇兵の選定と物資の確保も頼みたい。それと今後の動向が不安だから、デニスたちに自警団を派遣できるように準備を依頼してほしい」


 デニス・ヴォルフはラウシェンバッハ子爵領の獣人族の取りまとめ役だ。

 獣人族入植地は人口が増加し続け、ラウシェンバッハ騎士団と黒獣猟兵団の六千人を除いても、三万五千人を超えている。


 自警団員は一万五千だが、入植地は危険な森に近いため、最低三千人は残す必要があり、出征可能な兵力は最大一万二千人だ。


「分かったわ。義勇兵はヘルマンと相談するわ。物資の方はお義父様とモーリス商会に協力してもらうようお願いするつもり。ヴァルケンカンプまでの行軍の手配もしておくわね」


 ヘルマンは私の実弟、ヘルマン・フォン・クローゼル男爵だ。弟はラウシェンバッハ騎士団の団長でもあるので、獣人族と関係が深い。


 父リヒャルトは元財務官僚で、書類仕事を得意としている。

 モーリス商会は商都ヴィントムント市最大の商会、つまり世界一の商会だ。現商会長ライナルト・モーリスとは懇意なので、物資の手配を依頼すれば間違いはないだろう。


「助かるよ。私も王都でのことを済ませたら、すぐに領地に向かうつもりだが、時間が掛かる可能性があるから」


 そこでジークフリート王子が質問する。


「卿が王都で時間が掛かると考えるのは、マルクトホーフェン侯爵が何かしてくると想定しているからだろうか?」


「それもありますが、ホイジンガー閣下に法国への警戒をお願いしようと思っています。ヴェストエッケの防衛力強化に向けて、具体的な提案も行うつもりですが、その説得に時間が掛かる可能性があります」


 王国軍の実質的なトップ、王国騎士団長のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵は、現在では中立派に属している。


 以前は前騎士団長グレーフェンベルク伯爵と共に王国軍改革を邪魔するマルクトホーフェン侯爵に対し、反発していたが、王都で味方が次々といなくなり、今では騎士団の実務にのみ興味を示し、それ以外は侯爵の要求をそのまま受け入れている。


「私にはまだ納得できないのだが、本当にヴェストエッケに法国軍が攻めてくるのだろうか? 法国の国力で二正面作戦は難しいというのが、卿らの見解だったし、私もその通りだと納得したのだが」


「北方教会領の神狼騎士団長であるマルシャルク団長は野心家です。その彼が東方教会領のためだけに動く必然がありません。共和国への侵攻作戦を囮として、ヴェストエッケに奇襲を掛けると考える方が自然でしょう。仮にヴェストエッケに攻撃が仕掛けられなくとも、防衛力強化を行っておけば、抑止力にはなりますので無駄になりませんから」


 野心家である神狼騎士団のマルシャルク団長が聖都はともかく、西方教会領に向かったということは、今回の共和国侵攻作戦に何らかの関与をしていると考えるのが自然だ。


 そして、その野心家が自らの利益に繋がらないことを行う可能性は低く、そう考えていけば、彼が何をしようとしているのか見えてくる。


 彼ら北方教会の悲願は我が王国を呑み込むことだ。その最大の障害がヴェストエッケ城であり、それを攻略できれば、王国の西部域を攻略することは難しくない。


 また、王国が西部域を奪還する場合、王国騎士団を主力とする軍を興すだろう。その場合、五万人ほどの軍となるが、王国西部に向かう西方街道は道幅が狭く、大軍を運用しづらい。


 長期戦に持ち込めば、補給線が長く、兵站能力に劣る王国軍が撤退に追い込まれることは火を見るよりも明らかだ。

 この実績をもって北方教会の総主教になり、更には法王にまで成り上がることができる。


 彼が警戒しているのは我がラウシェンバッハ騎士団とエッフェンベルク騎士団だ。近代化が図られ、更に獣人族という強力な戦力を持っており、身体強化が使える法国軍兵士といえども苦戦は免れないためだ。


 そう考えれば、マルシャルク団長が東方教会を唆し、我々を東に釘付けにする策を弄した後に、ヴェストエッケに侵攻することは充分にあり得ることなのだ。


 では、我が騎士団を共和国に派遣しない場合はどうなるか。

 名将ケンプフェルト元帥が率いるとはいえ、即応できる共和国軍は三万に過ぎない。二倍以上の数の法国軍と戦えば、長期戦になることは必至だ。


 そうなれば、共和国から救援要請が来ることは明らかで、東の大国ゾルダート帝国が大人しい今、ラウシェンバッハ騎士団を派遣するという選択になることは間違いない。


 どうせ派遣されるなら、短期決戦で勝利し、王国に取って返して北方教会領軍に対応した方が合理的だ。


 このことを説明すると、ジークフリート王子は唸りながら考え込む。


「……卿はヴェストエッケが陥落することを前提と考えているのか? そこまで分かっているなら、ヴェストエッケに増援を送るべきだと思うのだが」


「王国騎士団から二個騎士団一万を派遣するか、ノルトハウゼン騎士団とグリュンタール騎士団の計六千を今すぐ派遣できれば、ヴェストエッケの防衛に成功する可能性はあります。しかし、その前提はヴェストエッケ守備兵団が以前と同じ力を持っているということです。フランケル将軍が退任され、ユリウス・フェルゲンハウアーがいない今、多少の増援を送った程度ではマルシャルク団長率いる準備万端の神狼騎士団の敵ではないでしょう」


 前兵団長ライムント・フランケル将軍は西の守護神と言われた名将ハインツ・ハラルド・ジーゲル将軍の跡を継いだ指揮官だ。引き継いだ当初は指揮に不安があったが、その後、堅実な手腕で兵団を鍛え、ヴェストエッケの守備に不安は全くなかった。


 その将軍も六十歳になったことから退役した。このこと自体は予定通りだったが、問題はその後任がマルクトホーフェン侯爵派の伯爵になったということだ。実戦経験もほとんどなく、指揮能力は未知数で不安しかない。


 ユリウス・フェルゲンハウアーは私たちの学院高等部時代の同期で、“魔弾の射手フライシュッツェ”の異名を持つ弓の名手だ。弓だけではなく、防衛戦においては抜群の才能を示し、フランケル将軍の跡を継ぐと思っていた。


 しかし、東の要衝リッタートゥルムの守備兵団長に栄転した。

 帝国の動向が不明であるため、おかしな人事ではないのだが、西の要衝から優秀な彼を引き抜いたことに違和感を抱いている。


「卿がヴェストエッケに行けば、何とかなるのではないか? 十二年前は大勝利に導いているのだから」


 確かに十二年前の統一暦一二〇三年八月のヴェストエッケ攻防戦では王国側が大勝利だった。


「あの当時はジーゲル閣下という歴戦の将が全体の指揮を執られ、名将グレーフェンベルク伯爵と義父である先代のエッフェンベルク伯爵がそれぞれの騎士団の指揮を執っていました。しかし、今は兵団長の能力に疑問があり、防衛力が維持できているかすら分からない状況です。また、前回法国軍は王国側の情報を得られず、完全な奇襲になったと思い込み、油断していたという事情もありますが、今は守備兵団の方が油断しているでしょう。状況が全く違うのです」


「分かった。そのことを含めて、ホイジンガー伯爵と話し合いたいということだな。だから時間が掛かると」


「その通りです。まあ、時間が掛かるようならヴェストエッケ陥落を既定路線と考え、守備兵団の中級指揮官に対して戦力を温存するように密かに指示を出そうと思っています」


「そこまで危機的ということか……」


 ジークフリート王子はそう言って考え込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る