第13話「軍師、法国の動きを知る」

 統一暦一二一五年二月十五日。

 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ本部内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵


 ジークフリート王子が私のところに来てから三週間ほど経った。


 謙虚に学ぼうとする王子に対し、当初否定的だった妻のイリスですら好意的になっている。


『あの方が王になられるなら、我が国は何とかなるわね。問題はあの方に野心がないこと。どうすればいいかしら』


 彼女が言う通り、素直なよい青年なのだが、二人の兄に取って代わろうという野心は一切ない。


『今はそれでいいと思うよ。そのうち状況が変わるだろうから』


 今は王になる気がなくとも、宮廷を牛耳るマルクトホーフェン侯爵と何やら画策している第二王妃アラベラが動けば、嫌でも玉座を目指さなくてはならなくなると思っている。


『そうね。それにしてもずいぶん頑張っているわ。私が高等部の頃には、あなたの話を殿下ほど理解できたとは思わないもの』


 彼女の言う通り、ジークフリート王子は私とイリス、そして叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの魔導師たちからいろいろと学び、知識を付けつつあった。知識だけでなく、考え方もしっかりしてきており、これまでのような少年らしい潔癖さは少しずつ改まっている。


 ジークフリート王子以外でも動きがあった。

 親友のラザファム・フォン・エッフェンベルク伯爵が北の辺境、ネーベルタール城の城代を辞任し、領地に戻ることが認められたのだ。

 この情報を聞いた時、イリスは驚いていた。


『兄様は反マルクトホーフェン侯爵派であなたに次いで警戒されている人よ。よくマルクトホーフェンが許したわね』


『宰相閣下にお願いしたからね』


 宰相であるオットー・フォン・メンゲヴァイン侯爵に手紙を出し、ラザファムの辞任を認めてほしいと依頼した。


『あの無能な宰相が、マルクトホーフェンを説得できたというのが信じられないわ』


『こう言って説得するようにお願いしたのさ。“エッフェンベルク伯爵は大した罪を犯したわけではない。自主的に辺境で謹慎しているに過ぎないのだ”とね』


 それでも妻は納得しなかった。


『そんな言葉でマルクトホーフェンが納得するとは思えないわ。他にも何か言わせたのでしょ?』


『その通りだよ。マルクトホーフェン侯爵が反論したら、こう言ってほしいともお願いしている。“伯爵が犯した罪はたかが平民の隊長を誤って処分したというだけだ。それとも宮廷書記官長は平民を誤って処罰した程度で辞任するのかな? それならば王国騎士団には何人も辞任せねばならん指揮官がおるであろうし、卿自身も以前騎士団の職権を犯したことがあったはず”とね』 


 マルクトホーフェン侯爵派の指揮官が騎士爵や平民の隊長に言いがかりをつけ、騎士団長のホイジンガー伯爵から叱責されていることは有名だ。


 また、侯爵はアラベラが雇った暗殺者集団を治安当局である王国騎士団に通告することなく、壊滅させている。このことは越権行為であると、当時大きな問題となったが、侯爵が開き直って恫喝したことから、なかったことにされた。


 しかし、ここで蒸し返されると、中立派の反発が大きくなるため、侯爵も突っぱねきれなかった。


『あの宰相に言い負かされたのだから、さぞ悔しそうな顔をしたでしょうね。それを見たかったわ』


 イリスはそう言って大笑いしていた。


 そのラザファムは既にネーベルタール城を出発しており、三日後には領地に到着する予定だ。


 そんな中、レヒト法国で動きがあったという情報が入ってきた。

 今日も情報分析室で各国の情報を整理していたが、そこに情報分析室専任のシャッテン、エルゼ・クロイツァーがメモを持って入ってきた。


「法国で動きがありました。二月一日、西方教会領の鷲獅子騎士団一万を主力とする二万の軍が領都ヴァールハーフェンを出発したとのことです。目的地は東方教会領の領都キルステン。聖都レヒトシュテットを探らせた結果、共和国への侵攻作戦が発動されたことが判明しました。侵攻軍の総数は約六万五千とのことです」


「六万五千……予想していたけど、大変な戦力ね……」


 イリスがその数の多さに独り言を呟いている。


「遂に動き出しましたか。エルゼさん、法国にいらっしゃるシャッテンの方々に、私が感謝していたことをお伝えください。それと聖都から東方教会領と北方教会領に人員の再配置をお願いします」


「承りました」


 エルゼはそう言うと、頭を下げてから指示を出すため、部屋を出ていった。

 一緒に聞いていたジークフリート王子が溜息交じりに聞いてきた。


「法国が動いたのか……東方教会領は分かるが、北方教会領まで調べさせるのはなぜなのだろうか?」


「神狼騎士団のトップ、ニコラウス・マルシャルク白狼騎士団長が戦力を増強している可能性があります。それに彼は昨年の夏頃に聖都と西方教会領を訪問していました。今回の侵攻作戦がマルシャルク団長の主導したものであるとすれば、ヴェストエッケ攻略のための陽動という可能性は否定できません」


 王子は頷くが、イリスが首を傾げている。


「陽動の可能性があることは分かるけど、ヴェストエッケを攻略するなら最低でも二万の兵は必要よ。そうなると八万五千の大軍になるわ。帝国ならともかく、法国にそれだけの軍を動かせる兵站力があるとは思えないわ」


 妻の指摘は的を射ている。


「もっともな指摘だね。ただ、東方教会領ではかなり前から準備が行われているし、北方教会領は海沿いだから船による補給ができる。実際、十二年前のヴェストエッケ攻防戦では船を使って攻城兵器を運んでいるのだからね」


 十二年前の統一暦一二〇三年に南方教会領の鳳凰騎士団を主力とする攻略部隊がヴェストエッケに侵攻してきた。その際、巨大な攻城兵器、雲梯車を海上輸送で運び込んでいる。


「確かにそうね。そうなると、ヴェストエッケに増援を送る必要があるのではなくて?」


「まだ確証がないから増援までは難しいだろうね。精々、ヴェストエッケに警告することと、ケッセルシュラガー侯爵家に緊急で増援が可能なように準備をお願いするくらいだよ」


 ケッセルシュラガー侯爵家は王国西部の大貴族で、ヴェストエッケ城の北に領地を持っている。その動員可能兵力は一万人以上で、守備兵団五千と義勇兵七千のヴェストエッケ守備隊に合流すれば、五万程度の敵なら守り切ることは難しくない。


「マティアス卿はこれからどうするのだろうか? 私自身もどうしてよいのか分からないのだが」


 ジークフリート王子が聞いてきた。


「王都に向かい、ホイジンガー閣下と協議するつもりです。殿下には私に同行していただきたいと考えています」


「私も同行? もちろん構わないが、私で役に立つのだろうか?」


「もちろんです。共和国への援軍に同行していただくつもりです。グライフトゥルム王家が本気で支援していると見せるためには殿下がいてくださった方がよいですから」


「私が一緒なら地方軍に過ぎないラウシェンバッハ騎士団とエッフェンベルク騎士団でも王国が本気だと見えるからか……なるほど」


 王子はそう言って頷くが、イリスが別の意味があると付け加える。


「この人は殿下に経験を積んでもらうことを考えているのですよ。兄やハルトムートの指揮を間近に見るだけでなく、ケンプフェルト閣下とも面識を得る。そうすることで、殿下が成長されることを期待しているのです。そうでしょ?」


「その通りだね。ラザファムとハルトムートは殿下の剣となる者たちです。彼らの戦いを見てその力を知り、今後どのように殿下が命令を出したらよいのかを考えていただこうと思っています。これは私やイリスに対しも同様ですよ。私たちにどのようなことを命じたらよいのかを考えながら行動していただきます」


「卿らに命令を出す……私が?」


 王子は驚きのあまり目を見開いている。


「私の力を借りたいということは殿下自らが行動を起こし、それを助けるということです。つまり、殿下が何を目指し、どのような行動を採るのか、それに対し、私たちにどうすべきか、その指示を出す必要があるのではありませんか?」


「確かにその通りだが……何をするかは卿たちに考えてもらうつもりだったのだが……」


「殿下には目的を考えていただき、その上で目標を示していただく必要があります。その目標を達成するための手段は私たちで考えますが、その前段階は殿下自らがお考えになることです」


「何となく分かった。私が何を目指しているのか、目的と目標を明確にしなければ、臣下である卿らは策を立てることができないということだな。これは一人で考えねばならないのだろうか?」


 不安そうな顔で私とイリスの顔を見る。


「そんなことはありませんよ。相談していただくことは構いません。ただ決断は殿下にしていただく必要があります。ですので、今回はそのことを念頭に置いて行動していただきたいと思っています」


 私が考えたのは実地訓練だ。

 フリードリッヒ王太子のように優柔不断な性格であれば、私たちの傀儡にしてもいいのだが、ジークフリート王子は名君になる素質がある。


 それならば、今回の王都訪問と共和国遠征で臣下の使い方を学び、経験を積んでもらう方がいいと考えた。

 それにこのような思考を繰り返せば、自らが国王にならなければ危険だと気づくはずだ。


「分かった。いろいろと聞くと思うがよろしく頼む」


 そう言って王子は小さく頭を下げた。

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