第12話「軍師、王子について語る」

 統一暦一二一五年二月二日。

 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ本部内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵


 大賢者マグダから呼び出された。


「マティアスから見て、ジークフリート王子はどうかの? 管理者ヘルシャーになれる芽はあるかの?」


 彼女は神である管理者ヘルシャーの補佐役、“助言者ベラーター”として、管理者の復活を悲願としており、ジークフリート王子に期待している。


「私にできることは組織の指導者としての心構えを説くことと必要な知識を与えることだけです。国王はもちろん、ヘルシャーになり得るかと問われても、答えようがありませんよ」


 私の答えに大賢者も聞き方が性急だったと思ったのか、苦笑を浮かべている。


「儂の聞き方が悪かったの。そなたの王子に対する印象を聞きたい」


「殿下は真っ直ぐな性格で心根も優しく、人を思いやる人柄は非常に良いと思います。それに最近では自ら学び、考えるようになってきていますから、最初の頃に感じた危うさはあまり感じていません」


 まだ十六歳の少年であり、最初に話をした時には、自らの思いが前面に出ており、人のことを慮れないのではないかと危惧を抱いたが、話をするうちにその危惧も薄れている。


「それは重畳じゃの。では、もう一つ質問じゃ。そなたから見て、王子には何が足らぬと思うかの? イリスは覚悟が足りぬと申しておると聞いておるが」


「覚悟については私も否定しませんが、すぐに身に付くものでもないでしょう」


「そうじゃの。で、そなたはどう思っておるのじゃ?」


「圧倒的に足りないのは人との付き合いですね。辺境のネーベルタール城に閉じ込められていたので仕方ないのですが、周りに好意的な人物しかいなかったからか、悪意に対しては概念的といいますか、観念的な感じでしか理解されていません。実際に悪意を受けた時にどう反応されるのかが気になります。過剰に反応されるのか、それともほとんど気にされないのか」


 私が危惧しているのはコミュニケーション能力だ。

 彼は十二年前の今日、第二王妃アラベラによって母である第一王妃マルグリットを殺されている。それも彼の目の前で。


 アラベラの実家マルクトホーフェン侯爵家が手を回し、彼女が処罰されることはなかった。そして、アラベラは王妃という立場にありながら、自らの手で殺人に手を染めるような短絡的な人物だ。


 そのため、彼は王都にいることができず、北の辺境ネーベルタール城に隠された。

 その結果、五歳から十六歳までごく限られた側近としか話をしておらず、その者たちも全て味方だ。


 当然、彼に対して悪意をぶつける者はおらず、彼が悪意を感じたのはアラベラからの憎悪だけだ。


 その記憶は鮮明にあるようだが、殺意の篭った目の印象ばかりで、嫌味のような言い回しや感情に対して、どのような反応をするのか、不安を感じている。


「うむ。確かにこれまでずっと守られてきておる。ここに来る時に襲われたそうじゃが、その時の暗殺者たちも殺意はあっても王子に対する感情はなかっただろうからの」


「人付き合いに関連するのですが、肉親に対する感情がどちらに向かうのかも不安要素です。国王陛下と王太子殿下に対し、親愛の情を抱くのか、憎悪の念を抱くのか、それによっては今後の戦略にも影響しますので」


「それももっともなことじゃの。特に国王に対しては複雑な感情を抱く可能性はあるの」


 大賢者も私と同じ危惧を抱いていたようだ。


「今現在と付けさせていただきますが、ジークフリート殿下には至尊の地位に就いていただきたいと考えております。国王陛下はもちろん、王太子殿下、グレゴリウス殿下よりも王国を守るという点では最も期待できるからです」


「今現在としておるのはなぜじゃ?」


「今のところ、殿下には暴君や暗君になる危惧を抱くようなことはありません。ですので、今のままであればよいのですが、王都に行き、さまざまな人と話をすることで、どのように変わるのかが分からない状況です。特に自分の思いが裏切られたと感じた時にどのような性格になるのかを危惧しています。妻とも話をしていますが、ジークフリート殿下に期待できない場合はフリードリッヒ殿下を支援した方がよいと考えています」


 現状ではジークフリート王子が最も好ましいが、裏切られた反動で性格が歪むと冷酷なグレゴリウス王子より性質たちが悪くなる可能性があるためだ。


「なるほどの。確かにあり得る話じゃ。以前にもそのような者がおった。愛する者に裏切られて誰も信じられなくなった者がの……」


「私も妻もできる限りフォローしますが、人の心は扱いが難しいものです。我々がよかれと思っても傷つけることもあり得るからです。ですので、大賢者様も性急に結果は求めず、十年、二十年単位で見ていただければと思います」


 大賢者にしてみれば、百年ぶりに現れた有力なヘルシャー候補だ。期待するなという方が酷だが、それが失敗に繋がらないとも限らない。

 私の指摘に大賢者は苦笑いを浮かべている。


「そうじゃの。千年以上も待っておるのじゃ。急いて失敗せぬよう注意しよう。そなたがおってくれて本当によかったと思う。百年前には儂が急ぎすぎたのかもしれぬ。冷静に指摘してくれる者がおるとおらぬではずいぶん違うからの」


 その後、今後の予定について話し合った。


■■■


 統一暦一二一五年二月二日。

 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ本部内。


 大賢者マグダはマティアスと話し合った後、千年来の盟友である叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの大導師、シドニウス・フェルケの部屋を訪れていた。


「どうやら期待できそうじゃの」


 満足げな表情でマグダがそう言うと、森人族エルフェの美男子であるシドニウスは優しい笑みを浮かべた。


「それはよかったですね。マティアス君が期待できると考えているのであれば、可能性は非常に高いということですから」


「うむ。ただ、マティアスは慎重であったの。特に人との関わりが薄かったことを危惧しておる。確かに家族と言えるのはカウフフェルト男爵とヒルダくらいじゃ。アレクサンダーとラザファム、小姓のティルにも気を許しておるが、それだけじゃ。もう少し人と関わるようにした方がよかったかもしれぬ」


「ですが、それは難しかったでしょう。信用できない者を近づけるわけにはいきませんし、自由に出歩ける状況でもありませんでしたから」


 ジークフリートだけでなく、ほとんどの者が知らないことだが、マルクトホーフェン侯爵が雇った真実の番人ヴァールヴェヒターの間者が、ネーベルタール城に近いカウフフェルト男爵領に何度も現れている。


 その都度、シャッテンが排除しているが、真実の番人ヴァールヴェヒターはジークフリートがカウフフェルト男爵領のどこかに匿われていると侯爵に報告している。


 そのため、ジークフリートの居場所が突き止められることはなかったのだが、人を増やせばそこから漏れ、場所を断定された可能性は否定できなかった。


「そうじゃの。過ぎたことは仕方がない。まあ、今後についてはマティアスが考えてくれておる。あの者なら最善の手を打ってくれよう」


「そうですね」


「問題は阿呆アラベラが動かぬかじゃ。あれほど脅したのにまだ何やら画策しておるらしい。どうしたらよいかの」


陰供シャッテンを増やしてはどうでしょうか? 王太子はともかく、今の段階で国王が暗殺される可能性は限りなく低いでしょう。暗殺によってグレゴリウス王子が王位についても我が塔は支援しないとマグダ様が断言しておられますので、国王に付けている陰供シャッテンを以前の状態に戻し、その分、ジークフリート王子とマティアス君の護衛に回した方がよいのではないかと思いますね」


 国王には三人の陰供シャッテンが常時配置されていたが、マティアスへの暗殺未遂があった際、五倍の十五名体制に強化した。


 また、二年半ほど前、マグダはアラベラとマルクトホーフェン侯爵、そしてグレゴリウス王子に対し、暗殺という手段が採られたら、グライフトゥルム王家から手を引くと言って脅した。


 その結果、王都ではマルクトホーフェン侯爵が雇っている真実の番人ヴァールヴェヒターの隠密の数が激減し、その分、侯爵領に回されている。また、ゾルダート帝国が雇った隠密はアラベラの周囲に配置されており、侯爵たちの動きが見えづらい状況になっていた。


「そうじゃの。マティアスがジークフリートに付いたと知れば、アラベラはもちろん、マルクトホーフェンも動き出すやもしれん。今あの二人を失うことは我らの悲願、管理者ヘルシャーの復活が遠のくということじゃ。国王よりも優先すべきじゃろう」


 ジークフリートにはヒルデガルトを長とする五名の班が警備に当たっていた。これは安全なネーベルタール城にいたからだ。現在は更に安全な叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの塔にいることから増員されていない。


 マティアスにはカルラを長とする五名が警備に当たっている。

 これはここに来たから減らされただけで、王都にいる時はこの三倍の十五名が守っていた。


「これから敵地でもある王都へ向かいます。その後も戦場に出る可能性もありますから警備を強化すべきでしょう。闇の監視者シャッテンヴァッヘに命じておきます」


 こうしてジークフリートとマティアスの警備が強化された。

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