五月女宗吾

飯田太朗

五月女宗吾

 皆さんは奇跡の人をご存知だろうか。

 例えば、イエス・キリスト。言わずと知れたキリスト教の開祖である。彼は手をかざしただけで患者の病を当て、治したという。

 仏教の開祖、ブッダにも同様の伝説がある。とある国の王様が、額が膨らむ奇病に悩まされていたところ、ブッダがその額に人差し指を当てた。毎日それを続けた結果、王様の額は元通りになったという。

 これから紹介する五月女そうとめ宗吾そうごはそんな奇跡の人、いや、現人神あらひとがみである。



 まぁ、はっきり言って小説家なんてのは食えない。

 よほど売れない限り専業なんて不可能。芥川賞や直木賞を受賞したような作家だって年収四百万行くか行かないかくらいしか稼げないらしい。それだけ稼げれば十分? 馬鹿言え、芥川賞だの直木賞だのなんてのは小説家の中でも上澄みも上澄み、多くの作家はその年収の十分の一以下で暮らさないといけないんだ。年収四十万だぞ? 中堅サラリーマンの月収くらいだ。若い頃の僕がどんな苦労を強いられたか、想像するに難くないだろう。

 まぁ、余談はともかく本題に入ろう。

 三十代が向こうに見えてきた頃の僕は、明確にどん底だった。一年がかりで仕込んだ小説が鳴かず飛ばず。まぁ、書いている時から嫌な予感はしていた。とある出版社にて僕の担当をしてくれている宮沢みやざわ賢二けんじさんという人が持ち込んできた、「日本神話を元にしたミステリー」という企画。苦労して一から日本神話を学び、そこら辺の日本史学者や民俗学者より詳しくなったぞ、となったところで〆切まであと二ヶ月。急ピッチで書き上げることになったが宮沢さんの勘違いで〆切が急遽一週間縮まり、どうにかこうにか書き切った作品が『桐の家』という作品だった。トリック自体は何ということはない、例えば部屋の間取り図を見せられると人はその建物を二次元的に捉えることはできるが代わりに三次元的捉え方を失う。この錯誤を利用したトリックだった。まぁ、出来としては七十点といったところか。ただ〆切にせっつかれたからかとにかく文章の出来が悪く、こちらの方は三十点つけばいい方だった。合わせて百点、なんて成績不良の学生みたいな冗談が出てきそうなくらいだった。

 さぁ、そういうわけでその一年の収入がパァ、金欠になった僕のところに、宮沢さんと交代である女性編集者がつくことになった。

 その女性編集者こそ、我らが与謝野よさの明子あきこくんである。

「せんせーい、アルバイト探してるって言ってたじゃないですかぁ」

 いつの間に作ったのだろう、僕の部屋の合鍵を使って躊躇うことなく侵入してくる彼女はまるで押掛女房だったが、生憎僕には心に決めた女性がいた。なのでやましい関係になったことは一度もない。

五月女そうとめ宗吾そうごさんってご存知ですかぁ?」

「知らん」

 この時僕は腕立て伏せにハマっていた。一口に腕立て伏せと言っても色々ある。この日僕が励んでいたのは自衛隊式腕立て伏せだった。腕で床を押しながら僕は与謝野くんに応対した。

「小説家か?」

 僕が訊ねると与謝野くんは堂々と僕の隣にあった椅子に腰掛けた。もうほとんど我が家みたいなものだ。

「違うんですー。何か宮城県? かどこかに暮らしてらっしゃるお年寄りみたいなんですけどー」

「ファンか何かか?」

 僕は呼吸の合間に訊ねる。しかし与謝野くんは「いえ」と話を続けた。

「何でも奇跡の人らしいんです」

 ばたり。

 腕が限界を迎えて僕は床に突っ伏した。それから返す。

「奇跡の人?」

 与謝野くんは口を尖らせたまま頷いた。

「はい。何でも手をかざして『いがす』って言うだけで万病が治るのだとか……」

「『いがす』」

 何だか東北の方言にありそうな響きだな。察するに「いい」というニュアンスだが、日本語においてこの「いい」は「Good」も「No thank you」も意味するから難しい。

 なんて考えていると与謝野くんが続きを話した。

「何でもその五月女さん、自叙伝を書きたいとかで……」



 夏。

 僕たちは兵庫県にいた。五月女宗吾、伝説のその人に会いに行くためである。

 宮城県に住んでいる人間なのに何故兵庫県なのか。理由は少し、混み合っている。

 東京大学の澤部さわべ真次郎しんじろう医学博士が、この奇跡の人、五月女宗吾に目をつけたらしい。何でもこの奇跡の御人、「医者も無視できないレベルの実績」をあげているらしく、地元宮城の医者たちが声を上げて東京の偉い先生に研究するよう求めたようで、足掛け二年に渡る要請に応える形でこの度、研究と相成ったそうだ。

 研究は兵庫県にある神戸総合医療研究センターにて行われることになった。この研究所、とある特殊な検査機器がたくさん集まっていることで有名な施設だった。これからその検査機器の中でも選りすぐりの二つを紹介しよう。

 その装置をイメージするには、ざっくり剣山(活け花に使う道具)をイメージしてもらうと分かりやすい。

 装置は箱の形をしている。この箱は下方が開いていて、上から検査対象に被せることができる。縦横奥行き十メートルはあるそうなのでさながら小さな部屋だ。この部屋に入って、まず北の方を向いたとしよう。すると東側と西側の壁一面が剣山のように全面針で出来ているのだ。ただ肝心なのがこの剣山、触れたものの表面に合わせて凹んだり出っ張ったりできる。例えばこの剣山にボールが振れれば、剣山はボールの形、半球型に凹んだ状態になる。つまりこの剣山の壁が両側からボールを挟めば、完全な球体、そのボールを三次元的に捉えることが可能というわけである。

 この装置は先述の通り対象を三次元的に捉えて凹凸を認識する他、針の先についた様々なセンサーが触れた対象の内部を多種多様な機能で検査することも可能である。例えば検査対象が生体であれば表面体温から深部体温、心拍数や発汗の度合いを調べられたり、検査対象が固形物なら強度や構造上の弱点、表面の成分から内部構造までも調べられたり、はたまた検査対象が食品なら検針を差し込んで深部温度を調べられたりと、様々な使い方ができるのである。

 僕は五月女宗吾氏のことよりも断然こっちの測定機器の方に興味があったのでがっつり取材させてもらったのだが、この検査機器「VISION-R2」は様々な物体を検査対象にする関係でとにかく維持費がかかるらしく、検針たる剣山の針の洗浄マシンがめちゃくちゃに高かったとのこと。「VISION-R2」は最初無味乾燥な立方体の箱なのだが、検査が始まると両側の壁が展開して一面が検針になり、物体を検査する。終了後は検針が引っ込みもとの壁に戻り、このタイミングで壁の内側にある洗浄装置が検針全てを洗浄する仕組みになっている。

 さて、続くもう一つの特殊な検査機器だが、これは本研究所の切り札的存在である。

 言ってしまえば「めちゃくちゃ高性能な顕微鏡」である。

 例えば、そうだな。僕はミステリー作家だから殺人を例にとろう。ハンマーで被害者を撲殺。犯人はそのハンマーを綺麗にしたとする。この「綺麗にした」にはルミノール反応をも回避できるような化学的洗浄も含まれる。すなわち、一般的な科学捜査では「そのハンマーを使って被害者を撲殺したかどうか分からない」レベルの洗浄だ。

 しかしこの超高性能顕微鏡「LOOKUP」にかかれば、そんな誤魔化しなど無に帰す。この顕微鏡は物体をナノレベルまで観察することができる。十億分の一メートルと言えばどれだけ小さなものまで拾えるか想像がつくだろう。この顕微鏡を用いれば、先程のハンマーの例で言うとハンマーを構成する鉄の分子にくっついた血の成分を見つけることが可能なのである。これは如何なる洗浄方法を用いても拭いきれない汚れであるため、殺人の決定的証拠になる、そういうわけである。

 神戸総合医療研究センターは、治療に役立てる医学的検査の他に新たな治療法の確立・開発の為の研究施設も兼ねているため、他にも様々な検査機器がある。この度、五月女宗吾の研究にあたってこの設備力が目をつけられた。五月女宗吾氏には御足労願ったというわけである。

 さて、問題の五月女宗吾氏であるが、研究の都合上、検査前には極力人との接触を絶たねばならぬらしい。何でもイカサマの介在する余地をなくすためだとのことだが、僕の方としては上がったり、仕事をしに神戸にまで来たのに肝心の仕事相手に会えないとなっては完全に無駄足である。

「この研究が終わった後じゃ駄目だったのか」

 与謝野くんにそう訊ねると、「えー、でも先生こういうマシンとか好きそうじゃないですかぁ」と割と核心をついたことを言ってきたので黙った。この女、短期間でどうやって僕のことをここまで見抜いたんだ。

 さて、そういうわけで僕たちは神戸総合医療研究センターの近くにあるホテルに泊まることになったのだが、この施設、大自然に囲まれた立地で宿泊所も碌なところがない。大学生の合宿向けの民泊みたいなところしかなく、そして案の定夏休みの学生どもで施設内はうるさいうるさい。ほとんど眠れない数日間だった。

 果たして研究が終わるその日。

 早朝。僕はドアのノックで目が覚めた。

「何だ与謝野くん。こんな時間だぞ……」

 と、ドアを開けた先にいたのは。

「おはようございます。県警の高崎たかさきです」

 警察だった。



 奇跡の人、五月女宗吾。

 手をかざして「いがす」と言うだけでどんな病も治す、現代の救世主にして現人神あらひとがみ、そんな奇跡の老人が研究施設内で、死体となって発見されたそうである。

 発見された施設は第一実験室。何となく小さな部屋を想定したかもしれないがとんでもない。体育館並みはある広い部屋である。

「前日にとある実験に参加していただいて、そのまま部屋に帰ってもらったそうです」

 県警の高崎さんはそう説明する。

「実験に参加した研究者は五人います。それぞれ、飯田さんと同じく参考人として部屋に集めてます」

 どうもそういうことらしい。僕は死亡した五月女宗吾の関係者として、容疑者の一人として集められた。

 当然ながら与謝野くんも……と思ったのだが、あの女どこぞの大学生グループと朝まで飲み明かしてたとかでバッチリアリバイが。結局部屋で一人騒音に耐えていた僕だけが召集される羽目に。まったくツイてない。

 そういうわけで研究所の応接室に集められた、僕を含め六人の容疑者は以下だ。

 医学博士、澤部真次郎。先述の東大のお偉いさんだ。宮城県の医師連盟から要請を受けて本研究の立ち上げ人となった男。ついこの間、iPS細胞を用いた脳細胞の培養研究で有名になったらしい。

 同じく医学博士、笹嶋ささじま忠弘ただひろ。専門は脳外科とかで、国内で脳外科手術の執刀例日本最多を誇るらしい。脳については、少なくとも臨床面において右に出る者がいないそうだ。

 検査技師、吉川よしかわ安奈あんな。「VISION-R2」の操作に長けた技師らしく、宮部先生きっての願いで研究に参加したらしい。

 同じく検査技師、福園ふくぞのれいな。「LOOKUP」開発に携わったとかいう若手のホープ。同マシンについては国内最高レベルの知識を持っているらしい。

 最後に助手、沓木くつぎ圭也けいや。宮部博士の助手らしい。目立った研究結果はないようだが、宮部先生の手足のような存在だそうだ。

 この五人に加えて僕、計六名の容疑者だ。

「五月女宗吾氏は昨日午後六時に実験を終え、宿泊室へ帰ったそうです。その後の足取りは、監視カメラで分かってる範囲で二つ」

 県警の高崎さんが話し始めた。

「一つ。午後七時にトイレに行っています。二つ、午後八時半に現場となった第一実験室に向かっています。七時の行動は生理現象として、八時半の行動は気掛かりです。そこで我々は、実験に伴い五月女宗吾氏に着用していただいていたウェアラブル端末に注目しました。腕時計型のこの端末には時計機能や脈拍、発汗状態などが分かる機能に加えてメッセージ機能があります」

 高崎さんはメモを片手にすらすら説明した。

「五月女宗吾氏の腕時計型端末に怪しいメッセージ等はありませんでした。しかし、送受信ボックスを見てみたところ、ゴミ箱の中のデータが外部からのコントロールで消された痕跡が残っており、科学捜査班が復元を試みたところ、メッセージの内容だけは復元できました。以下です」

〈サンジュップンゴニ ダイイチ ケンキュウシツニ コイ ハハ ガ マッテイル〉

 高崎さんはこのメッセージをわざわざA4サイズの紙に印刷して持ってきてくれた。僕はじっくりとそのメッセージを見る。

「あの、気になってたんですが」

 僕は挙手をして訊ねる。

「五月女氏はどのようにして亡くなっていたのですか?」

 高崎さんは一瞬迷うような顔をしたが、しかしすぐに目に力を入れると、「第一実験室の真ん中にて、心臓を、鋭利なもので一突きされていました」と告げた。僕は「分かりました」と頷いた。

 それから、「現場を見ることはできますか?」と訊いた。やはり高崎さんは迷うような顔をしたが、しかしすぐに僕たちを第一実験室に案内した。

 そして待望の、実験室とご対面と相成ったわけだ。

 先述の通り、でかい部屋だった。

 ただ、でかいだけで周辺に機械らしきものがない。そこで五人いた研究者に訊いてみると、どうも天井に様々な検査機器が設置されており、実験の用途に合わせて天井からマシンを下ろす形をとっているらしかった。

 ドーナツ型の機械。大きな箱型の機械。筒状のものがミラーボールみたいに球体にくっついている機械。様々なものが天井にあった。

「凶器が不明なんです。杭のような何かだとは分かっていますが、具体的には分かりません」

「なるほど」僕は頷く。

「仮に杭だったとして、監視カメラの映像ではこの第一実験室に入った人間は五月女氏だけなのです」

 二度目の「なるほど」は口の中で解けて消えた。

「誰がどうやって刺殺したのか分からない。人が入らなかった以上、何らかの装置を用いて刺したのでしょうが……」

 高崎さんが周囲を見渡す。

「仮に何らかの仕掛けを使ったとして、この広大な空間の中、どうやって五月女氏の心臓の位置を遠隔的に特定できたか……」

 高崎さんの浮かべる苦悩に、僕は「ふう」とため息をついた。それから告げた。

「悩むまでもありませんよ」

 高崎さんが僕を見た。

「犯人は明白です」



 果たして「VISION-R2」の検査技師、吉川安奈さんが逮捕された。

 殺害方法は簡単だった。「VISION-R2」の中に五月女氏を入れ、マシンを作動させる。第一実験室の天井にあるたくさんの機械。その内の、箱型のマシンこそが「VISION-R2」だった。ちなみに筒状のものがミラーボールみたいに球体についているのが「LOOKUP」。

 殺害時。「VISION-R2」の検針が氏を包み込んだと同時にスキャンにかける。検針は対象の中の構造まで調べられる優れものだ。検査対象が人体か固形物かなんてのは設定次第でいくらでも機械の認識を変えられる。触れた肉の塊に心があるかなんてのは機械には分からないのだ。そうして構造検査で心臓の位置を特定すれば、後は食品を検査する時に使う検針をズブリと鳩尾みぞおちに刺してしまえばいい。骨と骨の間の肉なんてのはフライドチキンみたいなものだ。

 証拠の隠蔽にあたり、吉川さんの取った行動は完璧だった。何せ「VISION-R2」には洗浄機能がある。殺害した後の血痕は洗浄マシンの洗剤が跡形もなく綺麗にしてくれる。ルミノール反応もなくなるくらいに。

 しかしこの研究施設のある要素を吉川さんは忘れていた。

 決定打は「LOOKUP」による検査だった。

「VISION-R2」の検針から五月女氏の血液が検出されたのである。ナノ単位で検査できる顕微鏡は検針についたわずかな血液を見逃さなかった。揺るぎない殺人の証拠。そしてこの施設内に、「VISION-R2」を使いこなせる人間は吉川さんだけだった。

 広大な部屋の空間の中、どうやって刺す場所を特定したのか。刺殺したポイントという三次元的構造から、壁一面の針という二次元的構造に頭を切り替えられるか、それが鍵だった。そういう意味では『桐の家』も、書いてよかった作品だと思う。

 吉川さんはかつて宮城県に住んでいた。不治の病に罹った母を、奇跡の人五月女宗吾氏に治してもらおうとしたところ「これは四道よつどうに反するので治せない」と言われたらしい。四道とはすなわち神様、親、先祖、友人の四つの方向に対して発生する「恩」のようなものだと五月女氏は説明していたようだが……僕にはよく分からない。

 まぁ、それはさておき、わざわざ兵庫県にまで来て仕事はパァ、完全に無駄足だった僕は大人しく神奈川県に帰ることにした。

 しかし、帰りの車中。

「あ、返信きてること、気づかなかった」

 与謝野くんが独り言ちた。何事かと彼女の顔を見る。

「いえ、自叙伝の執筆にあたって五月女さんにご挨拶を送っておいたんです……飯田先生の名前で」

 こいつまためちゃくちゃしやがって……。

「で、さっきパソコン見たら、五月女さんが亡くなる数時間前に、ご本人から返信が来てて」

 と、与謝野くんがパソコンの画面を見せてくる。

〈いがす〉

 そう、三文字だけ、あった。

 いがす。これが「Good」の意味か「No thank you」の意味か。

 そういえば、僕はよくあの少ない手がかりだけで「犯人が特定できた」などと言えたものだなと振り返る。

 いがす。前者であると、僕は信じたい。


 了

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五月女宗吾 飯田太朗 @taroIda

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