あのあおい風

かいまさや

第1話

 つまらぬ田舎から帰る日のことであった。ぼくは母に手を引かれながら草をかいて小径になった露地をたどって、古屋のような駅舎の入戸をぬけると、線路にそったひなびた並木が面々と現れる。青い風が脆く樹々をゆすっているが、枝葉は騒つくこともなく沈黙している。


 ただ独り身の母ににて、こころもとなく手をつかむぼくは、いつも幼げに捻った表情を張りつけて不安そうな見返りツラを下げていた。


 背の低い石畳のプラットホームに二人閑散とならんで、地平からやってくる汽車をまっている。そんな廻り灯篭のともすような暖陽のまわりは、おどろ々しいほどの翳のかこう冷暗さで満ちている。ただ光のさしこむ方をめざして、母の横顔を低くから幾度となくのぞくぼくは、そんな淋しげな荷を背負っていた。


 不安の息を吐き垂らしながらこちらへ近づいてくる汽車の轟音が、だんだんと空閑を裂いて、車体の暗がりが、みるみる内に沁みて束の間の平穏を脅かすみたいな鋭利さで母の地肌を包みはじめる。それがじわ々と痛みをともなってくるので、ぼくは堪えきれずに母の掌を力いっぱいに握りしめる。母はそれに驚き悶えて、黒煙の向こうへ何かを嘆く。またそれに驚くと、ぼくは瞬に手をひいて、ひどく動揺して膝下が震えだす。


 すると列車の扉が目の前で無慈悲にしまって、ぼくは母の手もとを見失う。不吉な汽笛が耳をつんざくので、咄嗟に耳を掌でふさいで眉間が力む。


 次に眼前にひろがる景色に母のすがたはなくて、遠くから鉄線路を伝ってわずかにとどく走行音が、空の駅舎にこだまするのみである。ほのかに掌にのこる母の皺がついえて仕舞わぬ内に、慟哭で自分の居場所を合図してみるが、しかしただ轟然と響く嗚咽はとおい追憶の底へ沈んで、二度とこちらへ返ることはなかった。


 ついに漆黒が輻輳して、口元すらわからない変哲の跡と化した母の表情を、何とかひろうように手を掻くけれど、掬える感覚も空しく、ぼくの手の平は咽ぶなみだを受けるのみであった。


-さようなら、おかあさん。


 涙が頬に乾きつく頃、ぼくは拳をつくってそんな想いをささげた。目の前の並木はほのかにゆれて、青いそよ風は母の跡をおっていった。

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