旋回する金魚。
総身にほどこされた豪奢な朱いろの刺青、艶冶なたてがみ、物憂げに舵取りをする胸鰭、そして天人の御引摺りのように水中をひきずって裾広がりに消えゆくばかりの尾鰭。半ば腐りかけているような美しい白桃色の膚。たなびいている羅綾が彼女の躰からじかに生えているということの残酷な美しさ……。水のたすけなくしてはありえないこんな脆美を前に、少年は悶絶している。なぜ金魚はこんな様子をしているのだろうか。誰がそれを許しているのだろうか。少年はその脆い美に感服しつつ、自分がその美しさに関わるだけの余地をさがしているのではないか。一度は油絵具でえがかれた金魚の写像を引裂いて、手のひらで丸めて握りつぶしてしまうことでその美しさに関係し、同時に関係を清算してしまう。おそらくは、関係する手立てを見出だせないままなす術もなく立ち竦んでいることの苦しさに、少年は耐えられなかったのである。だから関係を根元から絶ってしまうことを選んだのだ。
ところが、少年が本当に待ち望んでいたことは、芸術によってその美しさに関係することであったことがのちに判明するのである。はからずもそれは、彼の家を訪れていた数人の金魚商らによって実演される。少年の隠然たる意をうけて、下郎たちはなかんずく美しい一匹の金魚を、ひとまわり小さい硝子の鉢に移しかえる。するりと水中に飛び込む金魚。するとあたかも透明な時間の沼にとらえられてしまったかのように、彼女の打って変わった懸命な身悶えがはじまる。弋しているときのあの天女のような様子は失われ、一生涯の美しさをただこの一刻のなかに燃焼しつくしてしまう勢いで、髪ふり乱し、大童になって、蝶番の外れた扉のように鰓が開閉している。それが刻一刻と、ふしぎと一つの誇張された様式美にまで昇り詰めてくる。人物画がまたそうであるように、金魚の誇張された美しさが、ただ一つに定まった、少年が望んだとおりの、しかるべき姿に凝固してくるのである。
金魚商たちを咎めることが少年にはできかねた。少年がひそかに願った芸術行為は、あのファウスト博士の「時よ止れ、そなたはあまりに美しい」という叫びよろしく、金魚がその美しさをもっとも奮い立たせる瞬間を、彼の手によって造型することにあったのだが、それが同時に、金魚そのものを殺すことに他ならないことにはじめて気づいて――少年は自分が抱いた底意のあまりの怖ろしさに、ずっしりと重い彼の芸術作品――金魚玉を宙にほうり投げて、地面の上に潰えさせてしまう。