私はつい昨月から、自主企画「文学の蟲」という文学的交流の場を隔週設け、多くの方々にご参加頂いております。
そこで、当サイト「カクヨム」における「自主企画」について、私なりに考える意義と遂げるべき目的について、ここに述べたいと旨します。
ここで叙述する事柄に関して、様々な方の意見や感想など頂けましたら、これもまた文学的交流の始点ともなりますから、誠に幸いに思います。
【1】自主企画の定義
当サイトにて、全てのユーザが企画、参加することが出来る文学的交流の場。
企画者は企画名と募集要項を自由小論の形式で記入し、終了日程を設定することで企画を公開できる。
※以下一節は私見
要項という「小論」は、参加者への呼びかけであると同時に、自身の文学的問題意識の表明ともなる。つまり、企画要項は一種の文芸批評でもあり、創作の方針表明の場としても機能する。
参加者は自身の創作物を選び、企画者の設けた要項条件を満たすことを確認した上で、その企画へ応募を行う。
【2】自主企画の特徴
・脱ヒエラルキ的並立性
全てのユーザが読者であり、創作者であり、また企画の創設者である。ユーザはその3つの役割から自由に選択を行い、所謂「読専」などの立場も広く受容される。
この様に企画者、参加者、読者、作者などと区分されるユーザは包括的にまたいだ立場を選び、誰しもが対等な文壇に立つことを実現することで、自主企画における自由な語り場が補完されるのではないか。私はこれを脱ヒエラルキ的並立性と示した。
・文学的実践の能動性
企画者は要項の内に、自身も当企画へ積極的に参加する旨を示したり、参加者夫々が所謂「読み合い」を行うことを推奨したり、企画者自身の作品らを紹介する場合が多く、単なる「本棚」の役割を果たす企画自体は極めて少数派である。
自主企画にては文学的主体性をもって、夫々が「書く」「読む」「語る」といった反応を残すことで、複相的な当事者意識に基づいた文学的実践を遂げることができるのではないか。
・文学的キュレーション
また企画者自身が自ら読みたいと願う内容を、そのまま企画要項とし、自分の趣味嗜好に合う傾向にある作品を応募する、検索ツールの様な役割も果たすことが可能である。
文化的カテゴライズは、その文学カテゴリの興隆を下支えし、それは創作者・読者・企画者に対しての文学的恩恵を与える。その恩恵とは「書く」「読む」「語る」の機会を創出し、それがまた新たな文学における能動的発露を生み出すと云う連続した循環性を生むのではないか。
【自主企画の本質について】
自主企画とは、「書く」「読む」「語る」を両立させながら、それを誰もが創り出せる公共の文化空間として提示する仕組みではないか。制度や組織に依存せず、自律的かつ私的な文学の部屋を構築し、それでいて、単なる私的部屋で終わらずに、他者との交差が連鎖的に起こる開かれた場ではないか。
この理念に、文学を書く・読む・語る・集まることそれ自体に創造的行為の真髄があるという、文学への理解がそこに宿っていると感じる。