狩猟者の窮追⑨

「意外と、ちゃんとしてるんですね」

 時刻は14時過ぎ。改めてまじまじと部屋を見回した私の愚問に、マナブさんはハの字型に眉を変え、それでも微笑んだ。

「こんな六畳一間みたいな狭い空間ではあるけど、形だけでもちゃんとしときたかったみたいですよ」

 そこへ、金山かなやまさんがお茶を出しつつ会話に参加する。

 彼が淹れる梅こぶ茶は、今までの人生で飲んだ梅こぶ茶の中で一番美味しい。

「ほいでも、三人も集まっちまったらさすがに手狭だわぃね。ええ加減、もうちょいマシなとこに移してくれんかのう」

 金山さんはケタケタと笑う。彼は掃除夫である以上に、ここの人たちの癒しになっているに違いない好々爺だった。

「金山の爺さん、それではあなたのやることが増えて大変になりますが…」

 マナブさんが的確な指摘をする。確かにその通りなのだ。

 ちなみに、金山さん、とかお爺さん、とか呼ぶのは私とマナブさんだけだ。

 あとは全員────


「あ、ちょうどよかった!ジジイ、脚立運ぶの手伝って!これから内壁塗り替えるから」

 扉を勢いよく開けて入って来たグミマルが金山さんに頼み込む。

 そう、彼はみんなから「金山のジジイ」と呼ばれている。

 最初に聞いたときは、あまりの酷さに立場も関係なく抗議した。だが、なんとこの呼称はあくまで本人が推奨しているものであった。「ジジイ」と呼ばれることは、どういう理屈かはわからないが名誉であると考えているそうだ。それでも、さすがに赤の他人の老人に、いやそもそも人に対して「ジジイ」などと呼ぶのは私の品格と良心が赦さなかった。かろうじて「ジジイさん」と呼びかけるも周りから一斉に突っ込みを喰らい、結局私の中では「金山さん」で定着した。


「グミマル、君一人で運べるだろう。第一爺さんの老体がそれほど役に立つとは思えないが」

 マナブさんは、二人からの睨視を一身に受けた。

 ピンク色のマッシュルームヘアをした丸顔小柄な少年と、同じくらい身長が低い白髭禿頭の老人のペアは、どれだけ対抗心を剥き出しにしてもマスコット的な可愛らしさをどうしても滲ませてしまい、迫力に欠ける。

「だってぐみ、チビだしか弱い乙女だもーん。ジジイでもいいから、誰か男の人に手伝ってもらわないと。マナブンでもいいけどさ」

「老体たぁ失礼だぁのう。わっしもまだまだ油を差せば稼働するぞい」

「え、ジジイってロボだったの?今更知って草」


 二人は部屋の端に立てかけてあった脚立を仲良く運んで持って行った。

 やれやれ、とまたしてもマナブさんは眉尻を傾けた。

「すみませんね。曲者ばかりで」

「い、いえ。確かにみんな、変わってるけど。…マナブさんも」

「僕もですか?」

 こうして私は、数日前からナツコママのオフィスにお手伝いで入っている。


 あの事件の後、3日と空けず再び「Lic Dic」に飲みに行った私を、ナツコママは何の驚きもなく迎え入れた。

「来るのはわかってたわよ」

 私がカウンターに着いて早々、シャンパンを卸すと宣言する直前、ママはそう言った。

 約束を破るわけはない。ママは命の恩人なのだから。

 その場にいた客を含めた全員で私が入れたクリスタルを飲んでいたとき、ママはなんの前置きもなく唐突に持ちかけた。

「それじゃあルナちゃん。これからはアタイの仕事を手伝ってちょうだい。そうね、できれば明日から」

 これまた客を含めた全員がギョッとしてママに注目する。言わずもがな当の本人である私も。

「仕事って…このバーをですか?」

「ひゃだ!なーに言っちゃってんの。ここはゲイバーでしょ。そうじゃないわ。オフィスのほう」

「オフィス?」

「霊媒師としてのアタイをサポートしてほしいの」

「…はっ!?」

 確かに前回、私はママと一緒に霊障に立ち会った。けれどそれだけだ。解決したのもママだし、私は何一つ貢献していない。そんな私に白羽の矢が立つ理由など見つからない。

「だってアナタ、あんまり物怖じしないし、ニュートラルに物事を捉えられる人だもの。それに、霊能力も少しはあるし」

 はっ!?という声が、先ほどより幾分か強い調子で私のからだから発せられた。

 全てにおいて頷ける要素がないし、何より私に霊能力なんてない。

「ひゃだ、自分で気が付いてないの?アナタ、無意識のうちに霊のことしょっちゅうえちゃってるわよ」

 心当たりなど全くない。そればっかりは、さすがにママのハッタリだと思うが。

 最強の霊は目の前の妖怪オニババ、というりょったの揶揄や常連客の慶祝の拍手も耳に入らず、青天の霹靂に私は目を瞬かせるしかなかった。


 そういうわけで。

 何の因果か、流されに流されて意思を確認される間もなく、私はこうして「神田川ナツコ霊能オフィス」の一員となってしまったのであった。

 オフィスのスタッフであるマナブさんや金山さん、まだ会っていなかった「Lic Dic」最年少店子のグミマルなどを紹介され、私は益々得体の知れない世界へと投擲されることになった。

 ここから先、思いやられる懸念事項すら浮かばないほどに右も左も暗中だ。

 けれど一方で、私の好奇心が、訳のわからぬ奇天烈な茨の道をこそ進むべしと囁いている。


 正直、あの日電車で遭遇した不気味な男とその発言が、頭の中にちらつかないわけではない。けれど、私は神田川ナツコという人の真っすぐさを信じるに足る経験をしたし、信じてみたい。

「自分の魂が求めるところのものに従いなさい。それを信じ抜き、どんな結果になろうと受け止めるのが責任というものです。どれだけ外の情報に惑わされようが、君の魂のコンパスが君にとっての正しさなのだから」

 森野教授がゼミの最中に発言した何気ない一言を思い出す。今でも明確に理解したとは言いがたいけれど、その意味がようやく少しわかり、共感できる気がした。教授には、次のゼミの時にでもキープボトルのお礼とママとの諸々を報告してみよう。


「はーあ、くたびれたくたびれた。三途川オチコになりそうだわ」

 店と同じビルの上階にあるオフィスにママが戻ってきた。今日は、相談案件の調査2件と同時並行で、「Lic Dic」の内装リニューアル工事の日だ。(ママ曰く、業者を呼ぶ金なんてないから店子総動員ノーギャラ案件らしい)

「ルナ子、ブロンズ街にあるストリップ劇場の楽屋霊単独調査、準備できてる?」

「わ、私一人で行くんですか!?ママは行かないの?」

「当たり前じゃない!このオフィスで女の子、アナタだけなんだから。男子禁制の秘密の園に身も心も汚いおっさんが入れるわけないでしょ」

「…ママ、もしかして私が使い勝手いい女ってだけでスタッフにした?」

 今日もまた、神田川ナツコは絶えず発生する霊障と戦う。日本有数の「オネエ霊媒師」として。


 今日の空は、いかにも不吉で不穏な曇天だ。だが私は、この天気も嫌いではない。

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神田川ナツコの霊障 有馬千年 @arimasennen

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