深夜の文通

花咲るん

深夜の文通

真夜中のコンビニバイトを終えた千尋は、気まぐれに寄った古本屋で妙なものを見つけた。埃を被った棚の奥に押し込まれていた古びた文通セット。手書きの文字で「宛名を書かなくても必ず届く」と記された封筒が何枚も重ねられ、使い込まれた便箋と共に箱の中に収められていた。


「こんなもの、まだ使う人いるのかな?」


手に取ると、封筒の黄ばみや微かに漂う紙の香りが、どこか懐かしさを感じさせた。特に興味があったわけではないが、値段が安かったこともあり、千尋はそれを購入して自宅に持ち帰った。


古い下宿の一室に戻り、机の上にその文通セットを広げる。半分冗談のような気持ちで便箋にペンを走らせた。


「こんばんは。この手紙を受け取る方はどなたでしょうか?もしお返事をいただけるなら嬉しいです。」


それを封筒に入れ、ポストに投函した。


千尋はバイト帰りに自宅のポストを覗いた。見慣れた広告の束に混じり、一通の封筒が目に入る。それは昨夜自分が使ったのと同じく古びた文通セットのものだった。


「え?」


驚きつつ封を開けると、便箋には丁寧な字で返事が書かれていた。


「はじめまして。手紙をありがとう。私はここにずっといる者です。あなたの手紙を受け取れて嬉しいです。」


手紙の差出人には名前がない。何とも不思議な気持ちになりながら、千尋は返事を書くことにした。


「返事ありがとうございます。でも、あなたはどなたですか?どこにいるんですか?」


手紙を書き終えると、またポストに入れた。


次の日も、その次の日も、返事は来た。手紙には、差出人がどこかこの世の人間ではないようなニュアンスが匂わせられていた。


「私はずっとここで待っています。長い間誰とも話すことができなかったから、あなたの言葉がとても温かい。」


「待っている」とはどういうことだろうか。その手紙を送ってくる人物がどこにいるのか、千尋には全く見当がつかない。ただ、やりとりを重ねるうちに、相手の言葉は次第に現実の出来事と絡み合い始めた。


「あなたの部屋の窓から見える街灯は、いつも微かに揺れているね。」

「昨夜、近くの神社で猫が何かを見つめていたでしょう?」


見覚えのある風景や出来事が書かれるたびに、千尋は背筋が寒くなった。どうしてこの相手は自分の周りのことを知っているのだろうか?


千尋は怖くなり手紙を出さないことにした。けれども翌朝、ポストには手紙が入っていた。自分から送っていないのに返事が届くようになっていたのだ。


「どうして手紙を書いてくれないの?私が寂しいのを知っているでしょう?」


文章の調子がどこか強引になり始めた。「私は待っている」「あなたしかいない」という言葉が繰り返される。


千尋は恐ろしくなり、文通セットを捨てることにした。近くの川まで行き、箱ごと投げ込んだ。しかし、その翌日、ポストにまた一通の手紙が届いていた。


「捨てても無駄だよ。この繋がりは簡単に切れない。」


千尋の頭の中に警鐘が鳴る。「この相手は何か普通じゃない……。」


やがて手紙の差出人が、自らの正体について語り始める。

「私はかつてこの文通セットを使っていた者だ。でも、途中で一つの約束を破ってしまった。それで、この中に取り込まれてしまったんだ。」


その内容に、千尋は凍りつく。文通セットはただの紙の道具ではなく、誰かの「思念」が宿り、それを使う人間を引き込むものだったのだ。そして今、千尋がその罠にかかりつつあることを示唆していた。


「あなたには選択肢がある。手紙を送り続けて私をここから解放するか、それとも……。」


千尋は最後の手紙にこう書いた。

「これで最後にします。どうか私を解放してください。」


その手紙を投函した夜、千尋の部屋で電気が突然切れ、窓から吹き込む風が全ての紙を舞い上げた。その瞬間、千尋は背後に誰かの気配を感じる――振り向いた時、何もいないはずの空間に、微かに笑う声が響いた。


その後、千尋のポストにはもう手紙が届くことはなかった。ただ、誰かが来客した時、机の引き出しの奥にしまってあったはずの文通セットがなぜか机の上に戻されているのを見たという。


「これ、どうしたの?」と尋ねられたが、千尋はその言葉を否定することも、肯定することもできなかった。



――手紙の繋がりは終わりを告げたはずなのに、どこかでそれが再び始まるのかもしれない。



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