約束《中編》
彼女と友人になってから、一年ほど月日が経った。
時間を見つけては彼女の元へ会いに行き、何気ない話をした。
何度か話をし彼女は自分が思っていた通り、かなりマイペースな人だ。
彼女と居るといつも、気づけば自分は彼女のペースにのせられているのだ。
そして少しずつ打ち解けたある日。自分は以前から気になっていたことを、思い切って彼女に聞いてみることにした。
「ねぇ、ネアはいつもココで何してるの?」
自分の唐突な質問に、彼女は「突然何を言い出すのか」と言いたげに食べていたパンの手を止める。が、口に含んでいたパンをすぐに飲み込んで、普段と変わらない素振りで答えてくれた。
「これといって、特に何もしてないけど……街を見てたわ」
「なんのために?」
「そうね……『思い出を作るため』かしら?」
「『思い出』……?」
彼女は遠くを見つめながら、ゆっくりと口を開く。
「私……自分の名前以外、何も覚えていないの」
彼女の衝撃的な告白に、自分の軽はずみでとんでもない質問をしてしまったと後悔した。
そんな自分に気づいたのか……彼女は少しだけ口元に笑みを浮かべ、話を続ける。
「大丈夫、気にしないで。別に記憶が無いことに対して、悲観的になったことはないわ。本当よ?」
「でも……」
「失った記憶は戻ってこないかもしれないし、もしかしたらひょんな事から突然思い出すかもしれない。でもね、リコ。私は『今』の私が好きよ。何も覚えてない『前』の私より、アナタ……リコに出会えた私はとても楽しいし、とても幸せだと思うわ」
「……本当に?」
「本当よ、ウソじゃないわ。私はリコに、ウソなんかつかないわ」
そう言って彼女は、自分の手を掴む。そして自分の小指と、自身の小指を絡める。
「以前、本で読んだの。異国ではこうやって、小指同士を合わせて互いに『約束のおまじない』をするんですって」
「『約束のおまじない』……?」
「えぇ、そうよ。私は『リコにウソをつかない』と約束するわ」
そう言って彼女は、小指をキュッと握る。
彼女は不安がる自分のために、異国のまじないをしてくれた。
なら、自分もそれに答えよう――――。
「じゃあ自分は、『ネアを忘れない』と約束するよ。何があっても、絶対にキミを……ネアを忘れない!」
そう宣言して、小指を握り返す。
その時、なにかが光ったような気がした。
チラッと見た彼女は……自分が今まで見てきた中で、一番驚いた顔をしていた。
そして少し間を置いて、彼女は吹き出すように笑い出す。
「な、なんで笑うの!?」
「ふふっ、ゴメンなさい、リコ……だって……それじゃあ、まるで私がまた『記憶を無くす』前提みたいで……おもしろくて……」
「あっ……!」
彼女の言葉に、自分がいかに矛盾し、可笑しいな約束をしたのかということに気づく。一気に恥ずかしくなり、陽射しにのぼせたように顔が熱くなる。
「待って! 今のはなしで!」
「ダメよ、もうかけちゃったもの」
「うわあああ!!」
夕日に照らされた彼女の笑顔は、初めて意識するようになった日と違い……少女のように幼い笑顔だった。
◇
彼女と友人になってから、数年が経った。
仕事の合間で彼女を遠くから見つけると、ダメ元で手を振ってみる。彼女は目がいいのか、それともたまたまなのか……必ずと言っていいほど、手を振り返してくれる。
あの『約束のおまじない』をかわしてから、自分はできるだけ毎日、彼女に会いに行った。
彼女は今も変わらず、朝から夕方まで一日中塀の上いる。
そして最近……自分はそんな彼女に対して、違和感を感じ始めた。
最初は、彼女の方が大人びているように思っていた。だからあまり分からなかったが、自分はこの数年で背が幾分か伸びた。声も少しだけ、変わった気がする。前よりも仕事でもらえる賃金も上がったことで、たまにお洒落を楽しんだりもする。
彼女を知ってから数年……彼女は初めて意識してから背も、髪も、服装も。まるで時が止まっているかのように、彼女は全くといっていいほど変わらなかった。
変わっていく自分と、変わらない彼女……それでも彼女が、自分の友人であることに変わりはない。
だからそんな些細なこと、自分は気にしないことにした。
◇
ある日のことだった。
「ねぇ……もし私が私じゃなくなったら、アナタはどうする?」
彼女が、そんな質問をしてきたのは。
近頃の彼女は、なにかに悩んでいるようだった。さらに今日は、いつもより表情が暗い。まるで、なにかに怯えているようだった。
彼女の唐突な質問に対し、自分は……正直にいうとかなり驚いた。
憶測だが……彼女は一度、記憶をなくしている。
以前は『気にしていない』と言っていたが……やはり記憶がなくなるというのは、かなり怖いのだろう。
彼女の不安を取り除きたい一方で、変なウソはつきたくない。
だから自分は――――。
「記憶をなくしても、ネアはネアだよ。ネアが記憶をなくしても、自分がネアを忘れないかぎり……自分の大好きなネアに、なんの変わりはないよ」
――――心から思っていることを、真っ直ぐに口にした。
「ありがとう、リコ……」
彼女は自分の言葉に、嬉しそうに笑顔を返してくれた。自分の言葉に、少しでも安心してくれたらいいのだが……。
◇
それから数日。
「ネア……それって、どういうこと?」
「とても大事な用事ができたの……だから、今日でお別れなの……」
彼女は突然、街を出ると言ったのだ。
「……なんで? どうして、なんで相談してくれなかったの!?」
彼女を責めたり、罵倒したかったわけじゃない。
ただ一言、友人として自分にも相談して欲しかったのだ。
「ごめんなさい……」
申し訳なさそうにうつむく彼女を、それ以上責められなかった。
「……ねぇ、ネア。また、会えるよね?」
「……多分……私とアナタが会えるのは、今日が最期だと思う」
何故なのか、理由を知りたかった。
彼女にとって、自分はたたの友人。彼女が一生懸命に考えて決めたことに、軽々しく口出しなんてできるわけない。
……でも、こんな形でさよならは嫌だ。
「ネア……キミは今日この日を……自分と一生の別れにしようと思ってるかもしれないだろうけど、だけど」
だから自分も、最後にワガママを言わせてほしい。
「自分はずっと、ネアの友人だよ」
そして、自分の小指をネアに向けて差し出す。
「だから……自分はまた会えるのを、ずっとココで待ってる」
――――泣くな、耐えろ。
「『またね』!」
――――彼女の決断を、無下にするな。
「ありがとう、リコ……」
彼女の小指が絡み、自分は力を入れる。
「さよなら」
そう言って、彼女の小指が離れていく。
ここで引き留めなければ、もう彼女に会えない……本能がそう伝えていた。
去っていく彼女を見送りながら、自分は小さく呟く。
「……ネアは本当に、最後まで自分にウソをつかなかったな……」
行ってらっしゃい、ネア。
キミが自分のことを忘れても、自分は『アムネシア』という人物を決して忘れない――――。
次の更新予定
忘却魔法と約束のおまじない 斐古 @biko_ayato
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