忘却魔法と約束のおまじない
斐古
約束《前編》
気づいた時には、一人で街を見渡せる塀の上に座っていた。
自分の用事もあり、日をまたいで何度か彼女を見つけた。最初こそ一日中、塀の上に座っている『物好きなヤツ』としか思っていなかった。
座っている彼女は微動だにせず、そのせいかどこか人を寄せつけない雰囲気を持っていた。
そして日が経つにつれ、彼女のその姿は自分の中で徐々に『日常』へと変わっていった。
だから彼女を『初めて見た日』が、いつだったかはあまり覚えていない。
だがそんな彼女を『意識するようになった日』は、鮮明に覚えている。
◆
とある冬の昼下がりだった。
連日続いていた雪がようやく降り止み、灰色の雲に覆われた空から少しだけ光が差し込んだ。
――――その光の先に、彼女がいたのだ。
時間にすると、一分にも満たなかっただろう。だがその一瞬がまるで『この世界の全てだ』と錯覚してしまうほど、あの時の彼女は神々しく……とても美しかった。
◆
それから、彼女をよく目で追うようになった。
晴れの日はもちろん、雨や雪が降れば傘をさし。朝から夕方まで……ずっと一人で一日中、塀の上に座っていた。
彼女を目で追うようになってから、いくつか気づいたことがあった。
彼女は一日中、街を見ているわけではなかった。ある日は読書を、ある日はスケッチを。またある日は鳥にパンを取られ……そのまたある日はうたた寝をして塀から落ちかけていたり。
……という姿を見て、彼女は自分が思っているよりもずっとマイペースで危なっかしい人なのかもしれない。
そう思ったある日、思い切って彼女に声をかけてみることにした。
「あ、あの……」
「………………」
聞こえなかったのだろうか。もう一度声をかけてみる。
「あの、さ!」
「………………」
「今日はいい天気だね!」
「………………」
「………………」
「………………」
先程よりも大きな声で話しかけてはみたものの、彼女からの返事は無い。それどころか、完全に無視されている。
それはそうだ。自分が一方的に彼女を知っているだけで、彼女自身は自分のことなど知らないだろ。
「………………」
知り合いでもなんでもない自分が声をかけたところで――――。
「…………ねぇ」
「……もしかしてだけど、私に話しかけてる?」
振り返れば、先程まで全く反応のなかった彼女が、自分の方へと上半身を向けていた。
「……あれ、違った?」
「えっ……あっ、そう!」
慌ててそう答えると、彼女は「そう……勘違いじゃなくて良かった」と少し笑う、
「……ヒトに話しかけられたのは初めてで。無視したみたいになっちゃった。気を悪くしてしまったら、ごめんなさい」
「いや! 知らない人から話しかけられたら、自分も同じことするだろうし! こっちこそ、急に話しかけてゴメン……」
彼女は首を横にふると、まるで隣に来ることを促すようにポンポンと塀を叩く。自分はおずおずと彼女に近づくと、隣に腰を下ろした。
「……私、アナタを知ってるわ。いつもあそこに居るでしょ?」
「自分を知ってるの!?」
「えぇ、ココは街がよく見えるから」
彼女の思いがけない言葉に驚いた。しかしよく考えてみれば、自分から彼女の位置が見えているのだ。彼女から自分が見えていても、何もおかしくないのだということに気がついた。
「実は自分も、キミがいつもココに居ることを知ってて……」
「あら? 私がいつもココに居ると気づいていたの?」
彼女が首を傾げて、自分は気づく。今、いかに自分が気色が悪いことを言ったのか……と。
「ご、ゴメン……」
「気にしないで。私だってアナタを知っていたのだもの、アナタが私を知ってても何も不思議ではないわ」
彼女は何も気にしない素振りで「奇遇ね」と笑う。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私の名前はアムネシア。ネアと呼んで。アナタは?」
「自分はリコード。周りからはリコって呼ばれてるよ」
「そう、リコ……覚えたわ。よろしくね、リコ」
彼女から差し出された手に、少し戸惑いつつも自分の手を差し出して握る。
その日、自分は彼女――ネアと友人になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます