第5話 高嶺の花は勇者を待ち続ける

 その後メイセイオペラはアブクマポーロ不在の帝王賞を無難に勝ちきり彼に代わって地方最強の座についたものの、それは束の間のことであり同年の秋から脚の不調によりゆっくりとピーク越えを感じさせる走りを見せ始め、2000年初頭まではドバイ遠征が検討されていたが連覇を狙ったフェブラリーSで四着に敗れたことからそれも白紙となる。同時期には中央から不屈のダービー馬アイネスフウジンの最高傑作と呼ぶべき才媛ファストフレンドが台頭、脚の状態も回復しなかったことも手伝って同年の帝王賞で大敗を喫したのち、地元開催のみちのく大賞典を完勝することで応援してくれていたファンへの礼儀と代え潔く引退、種牡馬入りすることとなった。通算成績は35戦23勝(うちG1・Jpn1級レース3勝)。

 種牡馬としては産駒の勝ち上がり率こそ悪くなかったものの日本では大きな実績を残すことは叶わず、代わりに韓国に輸出された産駒が好成績を挙げたことから期限付きでの輸出が決まり、韓国に渡って以降は同じく輸出された天皇賞馬イングランディーレ共々種牡馬として韓国競馬界を賑わせる活躍を見せていた。しかし、2016年に日本への帰還を目前にしながら心不全を発症しそのまま没している。

 馬主はメイセイオペラ引退後もその産駒を中心に活動を続けていたが長引く不況によって本業の方が立ち行かなくなり倒産、馬主としては姿を消した。主戦を務めた菅原勲騎手はその後メイセイオペラが最後まで勝てなかった東京大賞典を制したトーホウエンペラーの主戦を務めるなどトウケイニセイから続く岩手の名馬の系譜を騎手引退まで任され続け、2024年現在は現役の調教師として活躍中である。

 岩手競馬も様々な経営上の問題を抱えつつ開催を継続しており、全国に覇を唱える馬こそしばらく途絶えているものの、地方では稀な芝コースを抱える盛岡と昔ながらの水沢という二場による開催で東北に残る馬事文化を支え続けている。



 冒頭にも触れた通り、メイセイオペラ以後JRAのG1を勝利した馬は現れていない。もっともそれに近かったであろうコスモバルクやフリオーソに加え、ハッピースプリント、モジアナフレイバー、ミューチャリー、ミックファイア、イグナイターといった強豪たちが続々と現れては交流競走で快走を見せているものの、フェブラリーSやチャンピオンズカップ(旧ジャパンカップダートを含む)では未だ苦戦を強いられている。これには日本のダート競走体系自体が整備の途上にあることの他に、交流競走が一般化してネット投票の導入により安定した収益を望めるようになった地方競馬では、人口の多い首都圏にあり絶えず中央馬と戦いを続けている南関東圏や、馬産地にほど近く適鞍のない有望なダート向き二歳馬がとりあえずの選択肢として入厩してくることも多い北海道以外においては中央との対決そのものが避けられる傾向にあることも一因となっているだろうか。交流重賞にも関わらず地元からの出走馬集めに苦労しているような印象のある出馬表を見かけることも少なくないが、それ自体はやむを得ないし筆者も批判するつもりはない。

 勝ち目の薄い戦いをするほど余裕のある馬主は限られていて登録にも遠征にも費用がかかるうえ、よしんば勝てたとしても今度は収得賞金上地元開催の重賞へ気楽に出られなくなりローテの選択に悩まされるという本末転倒な結果となる問題を抱えており、難易度的に簡単とは言えないからだ。

 それでも地方から中央のG1を目指す動きが完全に絶えたかと言えばそういうわけではなく、中央からの転籍組の受け皿としてレベルが高くなりやすい南関東勢を中心としてチャンピオンズカップやフェブラリーSを狙う馬の存在は今も競馬を盛り上げている。



 良い意味でも悪い意味でも世の中に永遠不変はありえない。遥かな頂に咲く花は今も新たな勇者の出現を待ち続けているのだ。



 低地から山を登り始めその頂に咲く花を唯一つかみ取ることに成功した勇者は既に大地のゆりかごの中に還り穏やかな眠りについている。



 いつの日かあとに続くものが現れることを夢見ながら。

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その誉は唯一無二〜高嶺の花を手中に収めた勇者の叙事詩〜 緋那真意 @firry

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