雪よ、全てを消しつくせ

京野 薫

雪よ、全てを消しつくせ

 ああ……まただ。


 私は遠くから聞こえる叫び声と怒声から少しでも逃れようと寝袋に頭をもぐりこませ、耳を塞いだ。

 いつもはこれで上手く行くのに、今日はダメだった。

 男性のクセに高い声で、その違和感のせいか妙に耳に残ってしまう。

 叫び声と「ぐきょ」と言う骨を砕き肉を潰すいつもの音。


 運が悪かったな……無駄に脳にストレス与えちゃった。


 そう思いながら寝るのを諦めて、ボンヤリと床に設置された常夜灯の明かりを頼りに恋愛小説を開く。


 私の唯一持ってきた娯楽品。

 私のたった一つの宝物。


 あの人たち何でもめてたんだろ?

 ああ、そうだ。

 気でも狂ったのだろうか? 最近奇声を上げる人がまた出てきたからんだろうな……

 特に最近、外に繋がるドアがかなり緩んできてて、誰でも開けられる状態になってる、って言ってたから、開けかねない精神状態の人間は早々に間引きの対象だ……


 まぁ、くだらない事だけど。

 死ぬのが早くなるか遅くなるかの違い。

 狂った人が居たところで、その人に殺してもらえば自殺なんて恐怖に満ちた事せずとも天国か地獄にいけるのに。


 そう思いながらも自分は死を選ぶことの出来ない現実に苦笑する。

 死んだことは当然無いけど、怖くて苦しいのは分かる。


 ここは地下シェルター。

 1年前に原因は分からないが突然発生した核戦争。

 その核爆弾によってもたらされた放射能や核の灰。

 それは地上の大多数の人類の命を奪ったが、放射能を受けながらも、地下シェルターに逃れる事の出来た少数の人類はいた。


 選ばれた人類、などと言うお上品なものじゃない。

 たまたま徒歩圏内にシェルターがあった。

 定員に割り込むため他者を押しのけ、犠牲に出来た。

 それだけだ。


 ああ……もう一つ追加すると、今居る人たちはシェルター内の食料等の物資が少なくなってきたら、見知らぬ誰かを事の出来た人。

 詳細はどうでもいい。

 こんな状態で罪を問い、裁く人などいない。

 まあ、みんな無駄な労力を使いたくないから、さっきみたいな必要に迫られた争い意外はお互いに無関心だ。


 だから私みたいな若い女性も強姦されずに済んでいる。

 もちろんそれをしかねない男性も居た。

 でも、そういう血気盛んな人はシェルター内において、和を乱す。

 生存のエネルギーに満ちた人間は、他人の食料を奪うかもしれない。

 他者を何らかの理由で殺すかもしれない。

 興奮によって酸素を大量消費し、二酸化炭素を沢山吐き出す粗野な方法で。

 そんな危機感を抱かれ、集団の生存本能によって間引かれた。


 間引くときは出来るだけ多数で行うことが暗黙の了解となっていた。

 良心の呵責? まさか。

 そんな人はまずシェルターに入る前に、弾き出される。


 単に「疲れる」からだ。

 疲れた人は、シェルター内の酸素を無駄に消費して、二酸化炭素を多く吐き出す。

 それはよろしくない。

 だから、間引く対象が寝ている時に多数で……着替えをする時のように自然に静かな呼吸で……


 私はため息をつくと、再び恋愛小説の世界に入った。

 常夜灯の近く。

 わずかな熱と光、そしてこの小説を読む時間をくれるシェルター内の楽園。

 ここを手に入れるのには苦労した。

 見知らぬ粗野な風防の男性が独占していたが、彼が食料を盗んでいると嘘の報告をし、その密告の褒美として得た場所。

 面倒だったな……


 彼に身体を提供し、愛の言葉を囁き、気を許した時に彼の寝袋に盗んだ食料を仕込んだ。

 ばれるリスク満載で、ましてや強い興奮をもたらすため厳禁となっている性行為まで。

 発覚したら私も無事ではすまない賭けだった。

 でも、どうしてもこの場所が欲しかった。

 メインとして提供された報酬は、他者よりも多く配給をもらえる「外界と隔てるドアの監視員」だったけど、そんな事よりもこの場所だ。


 光と熱は人の心に安らぎを与える。

 でもそれだけじゃない。

 一番の理由はこの本だった。


 なんて事の無い恋愛小説。

 でも……これは私が「人間」だった事の証。

 私をつかの間、女性に戻してくれるもの。


 本の世界はシェルターなんかじゃない、緑と青空と光に満ちた楽園。

 そこには優しい主人公やそれを支える男性が居る。

 美味しい食事や、自由な行動。

 何より……恋。


 また、この本は昔、友達からもらったものだった。

 ああ……私がこの本を読み終わって、とっても感動したと友達に伝えたら、譲ってくれたんだった。

 私がまだ生きる事を楽しめていた遠い日の事。


 この本を読んでいると、その時の景色や空気の臭い。

 そして友達や両親、年の離れた小学生の弟の事も思い出される。

 みんなもういない。

 避難できなかったのだ。

 普段は動きを鈍らせている脳も活発に動き出す。


 電子書籍を充電するための電力も制限されている中、アナログで絶滅危惧種だった紙の本をたまたま持っていた私は幸運だった。

 でも気をつけなくてはいけない。

 この中ではスマホも使えないため、人は娯楽も失っている。

 こんなものを持ってることがバレたら、奪われるくらいなら運がいい。

 下手したら……殺される。


 何十回目になるラストシーンを読み終わった私は、深い満足感と共にボンヤリと思った。

 私たちは本当に「助かった」のだろうか。

 未来も希望も無い世界。

 ただ、死ぬか殺されるのを待つのみ。

 そもそも私たちはみんな、最初の爆発の時に放射能を浴びている。


「生きてる」って何だろう?

 この小説の事を友達と話してた頃。

 私の手の中には色々あった。

「友達」「大学」「両親」「恋」

 ああ……「光」や「新鮮な空気」「綺麗な水」も。

 そして……「未来」があった。

 そうだ、私は……生きていた。


 翌日。

 配給の列に並びながら、昨夜浮かんだあの考えに浸りボンヤリとしていた私は、身体に鈍い衝撃を感じてハッと我に帰った。

 見るとまだ小学生くらいだろうか。

 男の子が私にぶつかって、怯えたように頭を下げていた。


 ふと、私の中に弟……将太しょうたの事が思い出された。

 目の前の子が弟に重なって見えた。


「すいません! ……ほら、ゆっくん。謝りなさい」


 若い母親らしき女性が賢明に頭を下げる。

 私は胸の奥がジワリ、と暖かくなるのを感じ、笑顔で頭を下げた。


「いいですよ。お気になさらず」


 その言葉を言った時。

 私は驚くほどに胸の奥が暖かくなった。

 こんな言葉……いつ言ったっけ。


 私は鼻がツン、となり目が熱くなるのを感じた。

 私……人間なんだ。


 私は再度笑顔で頭を下げると、立ち去っていく親子を見おくり配給の食糧を受け取った。

 そして寝床に戻り、寝袋に入って幸せな気分のまま小説を読もうとした。


 だけど……服の下から本を取り出した私の目が大きく見開かれた。

 息が苦しい。

 冷や汗が止まらない。


 服の下の本は……新聞紙の束に変わっていた。

 盗まれ……た。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 3日後。

 外界とのドアの監視を行う真夜中の当番の日。


 倒れている不運なパートナーの遺体を見下ろすと、私は血染めのナイフを置いて、ドアをゆっくりと……開けた。

 そしてそのまま外に出ると、ゆっくりとドアを閉める。


 すぐに肺の中を信じられないほど美味しい空気が満たしていく。

 喜びに身を震わせながら空を見上げる。


 空は満天の星空だ。

 そして……ゆっくりと雪が降ってきていた。

 黒い雪。

 私を全てから自由にしてくれる雪。


 自然に笑みが浮かび、口から笑い声が漏れる。

 楽しい。

 生きるって、こんなに楽しかったんだ。


 私は声を上げて笑いながら、走り出した。

 黒い雪は降り続ける。

 あ、思い出した。

 小学校でみんなで歌った歌……


「雪やこんこん、あられやこんこん。降っても降ってもずんずん積もる……」


 楽しい。

 笑っても笑っても止まらない。


 足元に積もっている黒いじゅうたんに寝転がる。

 また思い出した。

 子供の頃、お父さんとお母さんと将太でスキーに言った時。

 スキー場で……こうしたっけ。


 私は黒い雪を手に取ると口いっぱいに頬張った。

 美味しい。


 私は寝転がったまま笑い続ける。


 メリークリスマス。

 世界中が幸せに包まれますように。


【終わり】

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