きみにかたる

香久山 ゆみ

きみにかたる

 やっほー、元気?

 ああ、元気じゃないの。そうか、そうか。年末で忙しいし、色々大変だもんね。そっか、そっか。大丈夫かい。だいぶ落ち込んでいるね。つらい時に、いっそう自分を追い込んでしまうのは、悪い癖だよ。そんなに自分を貶めることないさ。誰だって愛されて生まれてきたんだ。かけがえのないきみなのだから。

 え? ああそうだね、人にはそれぞれ家庭の事情ってものがあるものね。皆がみんな、家族や周囲から愛されたとは言い難いかもしれない。けど、これだけは間違いなく言えると思うんだ。この世界に生まれてきたってことは、間違いなく神様からは愛されているって。

 あれ、なにその顔。信用していない? きみってそういうニヒリストなとこあるよね。厭世的というか、天邪鬼というか、ひがみ根性というか。ほれ、この間もどこぞで熱弁を振るっていたじゃない。いやあ熱かったね。一言一句覚えているよ。

 ――蔑ろにされやすい人間っているんですよ。どれだけ頑張ったって、軽んじられて、舐められる。たとえば仕事にしたってそうです。「忙しそうだね、大丈夫?」そう聞いておきながら、「いえ大丈夫じゃないです、回りません」とこちらが素直に報告したとする。そしたら何と返ってくるか。「一人でやろうとするから駄目なんだよ。ちゃんと周りに振らないと」なんてお説教が始まる。そもそもこちらにばかり仕事を振ってくるのはあなたじゃないか。そう言うとまた長くなるから、黙る。次に同じ質問をされたって、黙すことになる。素直に意見を言っても否定されるだけだから。言わなきゃ言わないで、「ちゃんと声を上げなきゃ」なんてのたまうかもしれないが、どちらにせよ否定されるならば、労力の少ない方を選ぶ。そうして我々は沈黙する。私は、そんな人達と語り合いたい。「分かるー」と共感し合いたい。たとえば、ほかにも。私が意見を言うと「文句言っても仕方ない、黙って働け」と返したくせに、声の大きな人が同じ意見を出すと「確かにそうだね」とあっさり通る。文句言わない奴だと舐めているんです。なら、はじめから意見なんて聞かなきゃいいのに。「分かるー」! けれど、そんな我々が出会うには機会がない。我々は沈黙しているから、互いを見つけることが難しい。ネットやなんかで同胞を募ることもできない。ああいう人達は常に我々を攻撃する機会を窺っているから。我々が集まるなど知れたら、舌なめずりして乗り込んでくる。そうして説教が始まれば、もう台無しだ。我々はもう一言も発することなく、さらに深い海に潜って……。

 え、なに、もうやめてって? 顔真っ赤じゃない。ごめん、ごめん。いや、悪気はないんだよ、そういう気持ちすごい分かるって胸熱ムネアツだったんだ。まじで。ごめん、もう言わない。やめとこう。

 そうそう、とある迷子の話をしよう。

 きみ、とてもかなしいことがあったんでしょう。励ましたいのだけど、あんまり素直に聞いてくれそうにないからさ……。


 その子は、とても美しい場所を見つけた。それが「国」なのか「町」なのか何なのかは分からなかったけれど、とにかく上から見た時にとても美しかったんだ。

 それで、ついに念願叶ってその場所を訪れることになった。

 入口まで来ると、上から見ていた時とは違い、ずいぶん大きな場所のようだし、植物や建物や壁や色んなものに遮られて全貌がよく把握できない。まるで迷路みたいだ。

 けれど、そんなこと気にせずにずんずん中に入っていった。とにかくあの美しいものに触れたかったんだね。

 地図はいずれ手に入るだろう。そう思ったけれど、どこにも配っていないし、貼り出されてもいなかった。

 誰か知っている人がいるだろう。そう思ったけれど、思うように他人に出くわすこともなかったし、たまに人を見つけても誰も道を知らなかった。誰も彼もがあの美しいものを求めて、その場所を彷徨っていた。

 けど、へいきだった。

 入口を越える時に、その子の手を繋いでくれる人がいたから。ずいぶん小さかったので、心配したんだろうね。まあ残念ながら、その人も美しいものへの道は知らないようだったけれど。

「お腹すいた」

 その子が言えば、繋いだ手がおにぎりを食べさせてくれた。日は昇り始めたところだけれど、まだ何も口にしていなかったし、歩き通しだからね。

 その人はほんのり甘い匂いがして、たくさんの食べ物を持っているのだろうか、嗅げば安心した。

 たまにおやつを食べては、あちこちめずらしい景色を見ながら、のんびり歩き続けた。

 いつかは到着するだろうって。

 けど、いつまで経っても到着しなかった。

 ついに日は南中したのに、いっこうに目的地は見えないし、ヒントさえない。自分が今どこにいるのかさえ定かではない。

 太陽はここからゆっくり高度を下げていくだろう。

 急に不安になってきた。このままではどこにも辿り着かないまま、日が落ちてしまう。

 不安は不満となって表出する。

 その子は、憤懣を繋いだ手にぶつけた。

 なんとなく様子が分かってきて、自分があっちに進みたいという時に、繋いだ手に遮られることがたびたびあった。もしもあの時、あの道を進んでいたら、目的地に到達していたのではないか。その道はかつて進んで失敗した道だと、その手は言うけれど信じられない。自分の力で確かめたい。

 それで、けっこうひどい言葉を吐いて、その手を振り切り、ひとりでその先を進んでいった。

 妙にいらいらしていた。お腹も空いていた。いつの間にか体も大きくなり差し出される食料では足りなくなっていたんだ。

 とはいえ、思うままに道を行くのは爽快だった。

 ぐんぐん進んだ。

 潮の匂いを感じれば、そちらへ進み、海を見た。ただ、泳げないし、水平線の向こうを見晴るかしても島ひとつ見えないので、引き返した。

 樹木の匂いを感じれば、そちらへ進み、森に入った。遭難しそうになったが、なんとか抜け出した。お腹だけはたらふく膨れた。

 たくさんの行き止まりにぶつかり、引き返した。何度も同じ行き止まりに至ってしまったりもしたが、少しずつ行き止まりの見分けが付くようになった。

 楽しいのは、最初のうちだけだった。

 出会った人と同行することもあったが、ケンカ別れしたり、そうでなくても途中で思い思いの道へ進んだ。どちらが正解かなんて分からないのだから。

 それで、その子はひとりぼっちだった。

 日はすでにずいぶん傾いていて、昼間には白い光で世界を包んでいた太陽は、ほのかに赤色を帯びていた。

 どうしよう、どうしよう。焦燥感が迫る。

 とてもひとりでこの恐怖に立ち向かえそうにない。

 あの手を思い出した。最後まで繋いでいてくれようとしたのは、あの手だけだった。なのに、ずいぶんとひどい言葉を投げて別れてしまった。自分があの手を離さなければ、今頃ふたりで安全な場所へ辿り着いていたかもしれない。

 激しい後悔に襲われたが、どうしようもない。

 もう二度とあの手には会えないのだ。

 長い一日を送って、その子は――いや子というにはもうずいぶん成長したのだが――、気付いていた。あの手は、自分が繋いでいる間だけそこに存在することができたのだ。だから、もう会えない。

 後悔は諦観となって心を静めた。

 真っ赤な太陽が水平線に吸い込まれていくのを、ただ静かに眺める。

 徐々に空が暗くなっていく中、ふっと微苦笑が漏れた。

 そういえば、美しいものを探して歩いていたのだった。そう思い出した。

 ひとりであちこち歩き回るうちに、いつしか目的をすっかり忘れていた。馬鹿だな。けれど、まあいいや。ずいぶんいろんな景色を見られて、面白かった。

 もううすうす気付いている。欲しかったものは手に入らない。アレは、そういうものではなかったのだ。夜が来れば、自分自身もいつか光になるのだろう。

 にわかにその子は立ち上がり、また歩き始めた。日が沈むまでには、まだ僅かばかり時間がありそうだ。行けるところまで行ってみよう。

 もう夜も怖くなかった。

 何度もあの手を思い出しては、自らの至らなさを後悔して歯噛みした。あの手はあんなにも優しく自分を慈しんでくれたのに。繰返し思い出しては苦しむうちに、しだいに後悔は薄れていって愛された記憶に満たされるようになった。大丈夫。うん、大丈夫。自分は愛されていた。半日の間ずっと仲良くしていたじゃないか。あんな最後のケンカ一つで台無しになるような仲じゃない。

 ふっくら柔らかかったあの手の温もりを思い出す。

 自分も星になったら、同じように誰かの道を照らそう。その子が自分の足で歩けるようになるまで、なるべく安全に進めるように。

 遠い夜空には一番星が輝き、夜気には懐かしい甘い匂いが溶けていた。

 もう、夜は怖くなかった。


 ――どう? 

 あれ、寝ちゃったの。まあいいか。

 伝わっていればいいけれど。きみも愛されているのだって。

 だいいち、きらいな相手にこんな長々話したりしないでしょうよ。安心して寝ちゃうなんて、きみもなかなか可愛いじゃないか。

 さあ、ゆっくりおやすみなさい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きみにかたる 香久山 ゆみ @kaguyamayumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ