神龍軒に雪は積もる

月見 夕

雪の日の出前

 珍しく昼前に番台の黒電話が鳴って、兄貴は怠そうに手を伸ばして受話器を取った。

「はーい神龍軒ですー……ああどうも。今日は早いですね、ええ、ええ……」

 俺は中華鍋を振りながら耳をそばだてる。兄貴の口振りを聞くに、いつもは夕方にかけてくるいつものからの電話らしい。

 今日は何を頼まれるんだと、チャーハンを皿に盛りながら俺は少しげんなりしていた。


 その客は山の上に聳える病院に長期入院しているどこかの令嬢らしい。毎度注文の電話で無理難題を吹っかけてくるのだ。

 ドレスドオムライスだの、ラザニアだの……電話のかけ間違いを疑うレベルのオーダーは、夕方十七時すぎにかかってくるのが定番だ。なぜか絶対に中華は頼まない。うちは中華屋なのに。

 毎回叶えてやる俺もどうかと思うが、ここは毎月赤字の老舗中華屋だから固定客を失うのは非常に痛い。令嬢は苦労に見合う相応の対価を毎回支払ってくれていた。

 それに数ヶ月も続けば自ずと料理の幅も広がってくる。この冬に季節限定メニューとして開発したパエリア風チャーハンなんかはそれなりに人気で、SNSで拡散されたのかぱらぱらと新規客を呼び込んでいるから悔しい。


 だから無下にもできず、ひいひい言いながら受注しているのだが……今日は何を頼む気なんだろう。

 電話中の兄貴に代わり、出来上がったばかりのパエリア風チャーハンを配膳しに行く。ムール貝の香りがふわりと漂うそれを笑顔で頬張る客を見届け、厨房へ戻ろうとすると、電話中の兄貴の口から耳を疑う単語が飛び出した。

「はあ、かき氷ですか、なるほど」

「だからうちは中華屋だっつってんだろ!」

 たった今チャーハンを頬張った客が驚いてその場で跳ねた。目で謝り、電話を切ったばかりの兄貴に駆け寄る。

「おう龍之介。今日は今まで見たことがないようなかき氷だってよ」

「簡単に受けてんじゃねえよ、そんな難問……」

「持ってくのはいつも通り夕方で良いんだと。良かったな、今から氷を仕込んでも間に合うぞ」

 良くねえよ。注文は「今まで見たことがないかき氷」だろ。ただ削り氷にシロップをかけただけの代物に令嬢が頷くはずはない。

「それに……」

 窓の外に目を遣る。クリスマス前らしく真っ白な雪が降り積もっている。

「こんなクソ寒い日にかき氷って」

「さすがご令嬢は庶民と発想が違うな。できたら言えよ、持って行くから」

「持って行くにも溶けるだろ……どうすんだよ」

 そこはお前が考えろ、とひらひら手を振り兄貴は番台へ戻っていった。来月のライブで披露する新曲の作成に忙しいらしく、さっきから何やらフレーズを口ずさんでいる。働けよ。

 兄貴はただ顔が良いだけのインディーズのバンドマンだ。厨房では何の役にも立たない。

 仕方がない。俺の十九年の人生経験をフル活用して、誰も見たことのないかき氷を考えることにしよう……。



 ランチの客が捌けた頃合で、俺は神龍軒の隣に建つ喫茶店「シン・カテドラル」に転がり込んだ。

「マスタぁぁぁ、助けて……」

「あらあらあら、アタシのことは「ママ」って呼びなさいっていつも言ってるでしょ――どうしたのよ中華屋弟」

 ぴっちりと髪をポマードで固めた妙齢のバーテン姿のマスター……もといママは色気たっぷりに俺に手を振った。まだ昼なのに顎には既に青ヒゲが浮いている。

 シン・カテドラルは店主の真造しんぞうさんが営む純喫茶だ。真造さん――ママの絵面の強さはさておき、コーヒーの味に関しては間違いない。絵面が強すぎて客足はうちと似たり寄ったりだが。

 俺の十九年の人生経験なんてたかが知れてる。頼れる人なんて半径二十メートル以内にしかいない。

 俺は先程かかってきた無理難題の出前のことを洗いざらい話した。ママにはよくこの手の相談をするので、彼は令嬢の出前のこともよく知っている。

「ほんほん。かき氷ねえ」

「普通のじゃねえ、今までにないやつなんだと。なーんも思いつかねえよ」

「かき氷機はウチにあるから使って良いけど。まぁた難題ねぇ」

 ママは顎を撫でながらうーん、と考え込む。

「かき氷といえばいちご、メロン、ブルーハワイにそれから抹茶あずきでしょ、変わり種だとアフォガートなんてのもやったわね。前に」

「アフォガートってどんなの?」

「バニラ氷にエスプレッソかけるやつ〜。それなりに評判良かったわよ」

 それはそれで美味しそうだ。バニラとコーヒーの組み合わせなら間違いなさそうだし。問題は新規性があるかどうか。そしてもう一つ――

「中華料理の入る隙がねぇな……」

「その縛りプレイ、何とかならないの〜?」

 そう。どんなに難しいお題を課されたとしても、俺は中華料理であることを諦めたくはなかった。これは町中華として暖簾を出してる料理人としてのプライドだ。たとえパエリアを頼まれようと頑張ってチャーハンに寄せる。そこは譲りたくない。

 しかし今回はデザートだ。削った氷に何かをかけて完成する、誤魔化しの利かない料理。中華料理の知識で何とかしたいが、今回は特に難しい。

 カウンターで頭を抱えた俺に、ママは見かねたように冷蔵庫から何かを取り出した。

「まあアタシの新作食べて元気出しなさいよ。凝り固まった頭は甘ぁいデザートでリフレッシュさせなくっちゃ」

 目の前に出されたひと皿を見て、俺は電撃が走るような衝撃を受けた。

「……これだよママ」



 諸々の材料の買い出しを兄貴に頼み、俺は先にできる準備に取り掛かることにした。

 ボウルにあけた牛乳に砂糖を加え、溶かすように混ぜる。きらきらと厨房の光を返す上白糖が瞬く間に溶けていく。よく溶かし、半分を製氷皿へ。

 ボウルに残った牛乳に、エスプレッソを注ぎ入れる。これはママから分けて貰ったシン・カテドラルの特製コーヒーだ。今回、ママにはかき氷機を貸してもらうだけでなく材料の提供や監修までしてもらっている。本当に感謝してもしつくせない。

 エスプレッソ入り牛乳の方も別の製氷皿へ移し入れ、二つ並べて冷凍庫へ。

 さて、準備はこんなもんか。

「あとは兄貴の買い出しがいつ終わるか――ん?」

 あらかたの準備を終えて一息つくと、ふとスマホが鳴った。誰だ? 兄貴か。

 通話ボタンを押し耳に当てると、息咳切った様子の兄貴の声がした。

「悪い龍之介、事故った」

「はぁぁぁ!?」

「コーナー攻めてたらツルッといってな……」

「大事な買い出し中に攻めてんじゃねぇよ……」

「事故処理終わったから、一旦帰るわ」

「お、おう」

 電話はそこで切れた。

 どうやらスクーターで買い出しに行っていたところで事故を起こしたらしい。兄貴の口ぶりは深刻そうではなかったから、単に雪で滑って転んだだけだろうが……。

 何やってんだ、と俺は深々と溜息を吐いた。


 一時間ほどして、兄貴は帰ってきた。ミラーが折れて右半分のボディに擦り傷を作ったスクーターは自走しないらしく、押して歩いて来たようだった。

 兄貴は買い物袋を俺に渡しながら、いやぁ参ったな、と頭を振る。

「スクーターはこんな感じだし……配達、頼んだ」

「頼んだ、じゃねぇ歩いて行けよ」

「見ろよ、膝もこんなに擦りむいて痛いし、スクーター無いならどっちが行っても一緒だろ。あと――」

「……あと?」

「俺は新曲作りで忙しい」

「うちは中華屋だっつってんだろ! 働け!」

 俺の叫びに、兄貴はわざとらしく肩を竦めた。



 結局俺が配達することになり、苛立たしさを堪えながらおかもちを抱え、雪道を歩くことになった。

 山の上の病院の、最上階の病室。早めに出たつもりだったが、辿り着いた頃には日も暮れていた。

 面会時間は残り三十分。間に合った……。

 無機質な引き戸をノックして、部屋の主に声を掛ける。

「……神龍軒です。出前、持ってきました」

「どうぞ」

 鈴が転がるような、という表現がはまる、涼し気な少女の声が返ってきた。俺は電話番をしないから、声を聞いたのも初めてだ。

 意を決して戸を引くと、広い個室に大きなベッドがひとつ、そしてその上に小さな少女が横になっていた。手元のスイッチを操作すると、静かな機械音とともに枕元が起き上がる。

 ベッドの助けを借り上体を起こした少女――城之崎きのさきさんは、きょとんとした様子で俺を見上げる。

 俺よりいくつか年下だろうか。淡い髪色も抜けるように白い肌も細い腕も、すべてが儚げな印象を持たせる。伏し目がちなその瞳からは表情が読みづらい。

「あら? 今日は別の方なのね」

「いつも配達に来てるのは兄貴で……今日は都合が悪くて、俺が」

「弟さん……というと料理長ということかしら」

 彼女は小首を傾げた。どうやら兄貴から話を聞いているらしい。

 城之崎さんは俺の頭のてっぺんから爪先まで一瞥し、ぽつりと呟いた。

「……意外とちっちゃいのね」

「身長に言及するのやめてもらえます!?」

 男性平均より大幅に下回った百六十二センチの低身長を、こんな形で指摘されるとは。小学校で「外見のことをとやかく言ってはいけません」と習わなかったんだろうか。決めた。今からこいつに敬語使うのはやめよう。

 内心憤慨している俺をさておいて、城之崎さんは口を開く。

「……で? 注文の品はできたのかしら」

 そうだった。今日ここに訪れた目的を忘れるところだった。

 おかもちをベッド脇のテーブルに置き、俺は準備に取り掛かる。

「かき氷だから、作って持ってくると溶けると思って。今ここで作る」

 そう言っておかもちの中からかき氷機を取り出してみせると、城之崎さんはわっと声を上げた。シン・カテドラルのママから借りた小型かき氷機にコンセントを繋ぎ、電源を入れる。

 ガラスの皿をセットし、タッパーに入れて来た牛乳氷をかき氷機に投入した。良かった、道中長かったけど、外気の冷たさに助けられて溶けてないみたいだ。

 そのままスイッチを押すと、ガリガリゴリゴリと氷を削ぐ音が個室に響き、皿の上にふわりとした羽のような白い雪がこんもりと山を作った。同じ要領でエスプレッソ氷もかき氷機に掛ける。

 ツートンカラーの雪の山を見て、城之崎さんはほんの少しうずうずした様子でシーツを握った。まだ仕上げが残ってるから、もう少し待って欲しい。

 おかもちの隅に追いやられていた最後のタッパーに手をかける。蓋を開くと甘い乳製品の匂いが華やかに香った。泡立てた生クリームにマスカルポーネを加えて作った、特製のクリームソースだ。惜しげも無くそれをたっぷりとかき氷に回しかける。

 最後にココアパウダーとを振りかけて、それは完成した。

「はい、中華風ティラミス氷。召し上がれ」

「わぁ……!」

 差し出したスプーンを半ば奪い取るようにして、城之崎さんはいそいそとかき氷を口に運ぶ。

 最初のひと口が溶けた頃合で、彼女はほう、と溜息を吐いた。

「甘くて、ほろ苦い……すっと溶けるのに、後味に何かがピリッと残る……ただのティラミスじゃないわね。何が入ってるの?」

「中華料理でよく使う香辛料の八角、それを粉にしたものをココアパウダーに混ぜてる」

 そう、秘密の粉として先程振りかけたあの粉こそ、神龍軒でも使用している八角パウダーだった。ママお手製の新作であるティラミスにはシナモンパウダーが掛かっていたから、それの応用だ。今回はこれが中華料理の入る隙の限界だった。少し悔しさを抱えつつ、城之崎さんに目を遣る。

 感想は、聞かずとも分かった。二口、三口と食べ進める手が止まらなかったから。二人しかいない部屋にはさくさくと雪を崩す音とスプーンを動かす音だけがしていた。良かった、今回も無事にお気に召したらしい。

 手持ち無沙汰の俺は白黒の雪の山が切り崩されていくのをしばらく見つめ、ふと気になっていたことを聞いてみる。

「……どうしてこんな雪の日にかき氷なんか」

 城之崎さんはスプーンを一旦置いて、窓の外に目を向けた。ここに来た時と同じようなぼたん雪がふわふわと舞っている。

「ここに入院してたお友達とね、昔こんな寒い日にかき氷食べたいわね、だなんてお話ししてたのよ。もう――その子はいないんだけど」

「それは……ご愁傷さまで」

「ああ、ちゃんと元気になって退院して行ったわよ」

 存命かよ。勝手に殺してごめん。

 ひと口食べて、城之崎さんは天井を見上げる。どこか遠い目だった。

「みーんな、私を置いてって退院して行っちゃうのよ。一緒にお散歩した子も、同じ番組を見て笑った子も……みんな私より先に退院しちゃうの。外の世界に戻ったら、入院生活なんて忘れちゃうのね。部屋を出ていったっきり、誰も会いに来ないもの」

 伏せた瞳を長い睫毛が覆う。それに何も言えないでいると、控えめな音量で面会時間の終了を告げる館内放送が鳴った。

 溶け残りを一滴残さず飲み干して、城之崎さんは空いた皿を差し出した。

「時間ね。お代はこちらにあるわ。ごちそうさま」

 ベッド脇のキャビネットから真新しい封筒を差し出したその表情からは、数秒前の憂いなど読み取れなかった。深い瞳の奥に追いやられてしまったのかもしれない。

 俺は封筒を受け取り、小さく頷く。

「……電話、掛けてくるならもう少し早く掛けてこいよ。無理難題でも、時間があったら多少何とかなるかもしれないしさ」

「それじゃ試験にならないじゃない?」

「いっつも思うけど、その試験って何だよ」

 俺の真っ当な疑問に、城之崎さんは何も答えず静かに笑みを向けた。どうやら教えてはくれないらしい。

 大俺は軽くなったおかもちを抱える。

「……頼むぜ。またな」

 手を挙げて後にした病室で、城之崎さんはどんな顔をしていただろう。振り向いて何も考えず笑顔を向けられるほど、俺は大人ではなかった。


「はー、寒い……」

 病院の正面玄関には変わらず雪が降り積もっていて、思わず身震いしてしまう。今日作ったティラミスかき氷を限定メニューとして出すのは絶対に夏にしよう。

 踏み散らした雪道をジャリジャリと下りながら、先程の少女に思いを馳せる。次はどんな無理難題を言い付けられるのだろう、相変わらず中華料理以外なんだろうな。彼女が言っていた「試験」とは一体何なんだろう。

 何ひとつ明らかにならない寒空に、真っ白な溜息がひとつ上がった。

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神龍軒に雪は積もる 月見 夕 @tsukimi0518

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