色無き風

みあ

第1話

 

 新聞は戦果を大見出しで報じていてその少し下の方に、若者の自殺率低下!という小見出しが見えた。最近は栄養失調や病気で死ぬ人も増えた。それに、自ら命を絶つ行為をしなくても兵隊になれば死ねるからだ。自殺なんてしようならば近所に非国民と噂されてしまう。家族からの虐待から逃げたければそれでもいいかもしれないが。

 ベッドに腰掛けて壁にもたれかかり、窓枠に頬杖をついて開けた窓から流れてくる風に当たる。窓の外はここ数年で少々貧しくなった。人が少なくなったこともあるが、下品とも言われそうな夜でも昼のようなこの街が次第に暗くなってきていることも。貧しいのはこの街だけではないだろう。


「なに黄昏てんの? 」

「見て、自殺する若者が少なくなったって」


新聞を広げて見せると彼女は鼻で笑った。


「死んでる数は増えてるだろうに皮肉だね。あんた、そうやって窓の外ばっか見てるから客に勘違いされるんだよ」


 窓の外を眺めるのが好きなだけなのに、ずっと見ているからか客を待っているんだろうと言われた。毎日違う天気が作る空気が何とも表現し難い味がする。特に雨上がりと冬の朝の空気が好きだ。窓の外には昼間でも人がいてこの町で働いている者がほとんどだが、夜になれば少し様子が違う。男達が気分を良くするために恐ろしい量の嘘を吐いて女に虚勢を張り、女は興味もないそれらの嘘に過剰に反応して金を得る。酒か麻薬と同じようなものだ。そんなものを見るのも好きだった。


「……そういえば、死にたいって言ってたお客さん兵隊になったんだって」

「一度しか来ない客よく覚えてるね」

「案外そういう人の方が覚えてるの。私がちゃんと見るのは初めの一回だけ。あとは新鮮味がないから」


飽きるだろう、と毎回違うことをしてくる客もいるが、声も息遣いも触り方だって同じなのだから面白くもなんともない。


「……あんたと食事に行く時はビュッフェの方が良さそう」

「懐かしい、そんな店もうないよ。数年前にお客さんが連れて行ってくれたのが最後かな」


そんな大衆的な贅沢は数を減らしているのに何故かここは無くならない。ここをなくすと無法地帯になるとでも思っていそうだ。追い出されても行くあてもないからこのままでいいけれど。


「ここを追い出されたら一緒に戦場へ行かない? 」


窓から流れる風が一層強くなって持っていた新聞がビラビラと音を立てる。


「絶対嫌。給料もらえるといっても1日に何十人も相手したくない」

「あら残念。あそこなら死ねると思ったのに」

「ここを追い出されたらどうせ死ぬけど自ら精神まで殺したくない」


聞いたのは噂程度で、そもそも帰ってきた人がいないのにどうしてそんな情報が流れているかといえば、大昔の戦争の時の話だそうで信憑性は全くもってなかった。しかし先日来た怪我をして国に戻された元兵隊が同じようなことを言っていたので本当の噂の出所はそういうところなのだろう。体裁が良くないから大昔の話にしている。


「……戦争が終わればもう少し金を落とす客が来るのに」

「ねぇ、戦争ってこの世からなくなると思う? 」


いつから始まったのだろうか。明確な始まりはよく分からない。ある時から各地で衝突が起こってそれに周りが口を出し武器を出した。物価は上がり続けて生活は苦しくなった。そもそも過去の世界大戦も終わった後でつけられた名前だ。歴史はきっかけを始まりと定義する。始まりを恐ろしく重く語る癖に武器を必要としなかった時代は軽く語る。


「なくなるとは到底思えないけど。だって金儲けできるんでしょ。あんた、そんな質問するほど平和主義だっけ? 」

「うーん、どちらかと言えばどうでもいいと思っているんだけど、ほら暇だから」


思考の停止ほど人を退化させるものはないだろう。こんなことを考えても世の中が変わることは絶対ないが、ただの道楽だ。


「じゃあ、質問を変えよう。なんで戦争なんかするのだと思う?」

「そんなこと考えてなにが楽しいの?考えたってなんにもならないのに。お偉いさんの思考なんて理解できないよ」


呆れたように彼女が言う。彼女の言うことはもっともだった。今や国民の、世界中の多くの人々がそう考えているだろう。


「私は退化したくないの」

「あっそ。じゃああんたはなんだと思ってるわけ?」


「血を見たいんだと思う」


血?と怪訝そうに眉を顰める。毎晩男を相手する度に思った。彼らは何が足りないんだろうかと。


「それじゃあ殺人鬼と一緒ってこと?」

「どうかな。ただ、飢えてるんだと思うの。女は何もしなくても嫌でも血を見るでしょう?男は女を抱くか人を傷つけるかしない限り血を感じることは出来ない。血は、生きてるって直に感じられるものだから」


馬鹿馬鹿しい。と言うがそれでも話を聞いてくれるのは彼女の優しさだと思った。


「生きてるって感じるためには人の体温を感じるのが一番分かりやすいけれど、それは簡単じゃない。戦争をすれば人は死ぬから自分が生きてる実感が湧くの。前者は物理的なことだったけど後者は心理的な話ね」

「それがどこに繋がるのかと思ったら結局心理的な話になるわけ?」


ちょっと嫌そうな彼女の顔を見てふふッと笑ってしまうと余計嫌そうな顔をされた。馬鹿にしてるのかと。そういうわけでは全くないのだがそれでも聞いてくれる彼女が可愛らしくて。


「そう。だって戦争を始めた彼らは実際に血を見ることはないんだから。何人死んだ、どこを堕とした、優勢、劣勢って話を聞くと死の恐怖が身近になってくる。スリルが楽しいと感じるのってそういうことだと思うの。それの規模が大きくなっただけ。育ちがいくら良かったって学歴がいくらあったって本質的なものは何にも変わらないんだよ」

「まあ、そうだろうね。少なくとも、私たちの前では客はどんなに金持ちだろうと賢かろうとみんな同じだしね」


また彼女も私と同じように感じていたようだった。この仕事をしていればそう思わない方が珍しいかもしれない。


「ね、私の話面白かった?」

「面白いかと言われたら微妙なライン。こういう暇な時ならいいけど客にこの話をされたらたまんないね。最近変な客にでも当たった?」

「ううん。言ったでしょ、みんな同じだって。あなたなら聞いてくれると思ったの。暇つぶしになったなら良かった」


 窓から流れてきた風が端に寄せていた薄汚れたレースのカーテンを持ち上げる。風によって広がったそれが肩を撫でた。私は景色が好きなんじゃなくて風が好きなのかもしれない。巡っていく季節も、雨の匂いも、一日の時間も、街が栄えてるのも衰えていくのも、風が私に伝えてくれる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

色無き風 みあ @Mi__a_a_no_48

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

参加中のコンテスト・自主企画