私たちにクリスマスはない

南村知深

 

 十二月二十四日の夜。

 世間はクリスマスだデートだディナーだプレゼントだと盛り上がっていることだろう。

 そんな中、年季の入ったエアコンが心なしか苦しそうに温かい風を吐き出しているワンルームで、私はひたすらパソコンの画面を凝視し、原稿にベタを塗っていた。

 スキャナーで取り込んだ分のベタ塗りを一通り終えると、ふう、と息をつく。これからスクリーントーンを貼る作業に移行するのだが、その前にちょっと休憩だ。手元のマグカップのココアを一口すすり、完全に冷めてしまっているそれにじゅうめんを作る。

 入れ直すか、我慢するか。

 その選択を、この部屋の主にゆだねることにする。


「ねぇ、マコちゃん。ココア入れるけど、いる?」


 窓際まどぎわのデスクに向かって原稿にペン入れをしているマコちゃんに問いかけると、せわしなく動かしている手をとめることなく「いる!」と元気よく答えた。

 その返事を受け、自分のマグカップとマコちゃんのマグカップ――一口も手をつけないまま冷たくなっていた。集中しているときはいつもこうだ――を持ってキッチンに向かう。

 自分の空になったマグカップにマコちゃんの冷めたココアを移し、電子レンジで温め直す。マコちゃんの分は電気ケトルで沸かしたお湯で新たに入れて、作業の邪魔にならないようデスクの隅に温かな湯気の立つそれを置いた。


「あとどれくらい?」

「んー……わかんない」

「わかんないって……」

「あたしのやる気が続けば間に合う。ミスとか修正とかが入ってくると、場合によってはアウト」

「要するにいつも通りってことね。りょーかい」


 ポンポンとマコちゃんの肩を叩いて、今日も徹夜になりそうだと苦笑する。


 マコちゃんは大学時代に同人漫画を描き始め、盆と年末のイベントに参加するようになった。もちろんこの年末のイベントにも参加予定で、私はそれを手伝っている。

 学生時代はそれなりに時間があったのでわりと余裕をもってイベントに参加していたのだが、二人とも社会人になり、日々の仕事に追われながらの同人活動は正直いっぱいいっぱいだった。それは会社から戻ったマコちゃんが着替える時間も惜しんで仕事着スーツのまま原稿に向かっていることで察せられる。本当に時間がないのだ。それこそ、クリスマスにケーキを食べたりシャンパンを飲んだりする余裕すらないほどに。


「同人漫画描きにゃ、クリスマスなんてありゃしねぇんだ」


 とはマコちゃんの口癖くちぐせ(ただし借り物)である。

 それならもっと早くから準備し、スケジュールを立ててやればいいのでは? と言われることもあるだろう。確かに正論だ。

 しかし――それができれば苦労しない。スロースターターと言えば格好もつくが、ただマコちゃんは尻に火が付かないと集中できないタイプで、いくら綿密で無理のないスケジューリングをしてもそれを当人が守れないのだから無意味なのだ。

 まあ、それでも必ず間に合わせるし、なぜかミスをしないからいいんだけど。


 ペン入れが終わった原稿のベタ塗りとスクリーントーン処理を終え、時計を見るとあと数分で日付が変わる時刻だった。

 マコちゃんは変わらず原稿にカリカリとペンを走らせている。

 このごろの漫画はパソコンを使ってフルデジタルで描くことが多いと聞くし、マコちゃんもベタやトーン、エフェクトなんかはデジタル作業にしているが、ペン入れだけはアナログでなければ嫌だと言う。

 そのこだわりのせいで時間がかかっていることは当人も理解している。デジタルの便利さも十二分にわかっている。

 だけど、どうしてもそれだけは譲れないのだそうだ。ゴリゴリの十八禁エロ漫画はアナログ線画でなきゃだめだ、という謎のこだわりがあるから。

 私はただのアシスタントなのでそこに文句を言う気はないし、だからこそマコちゃんの個性が漫画に出るのだろうと解釈している。


「マコちゃん、スキャンした分のトーンとエフェクト終わったよ」

「ありがと、さすが仕事が速い。こっちはあと六ページ。ごめんね、待たせちゃって」

「いいよ。待ってるあいだにこっそり買っておいたケーキとシャンパンを楽しむから。メリークリスマス」

「イヤミか貴様ッ!」


 張り詰めた空気を和らげるような軽妙で何気ないやり取り。追い込まれているはずなのにそれを感じさせないマコちゃんの雰囲気。カリカリと原稿を引っ掻くつけペンの音。

 それらがすべて詰め込まれているこの部屋にいるのが、私はなによりも好きだ。

 もちろん、それにはも含まれている。


「ねえ、マコちゃん」

「ん?」

「マコちゃんってずっとエロ描いてるけどさ、実際に男の人とことあるの?」

「ないよ。全部想像。だから数少ない読者に『絵はエロいのにリアリティがなくて抜けない』とか言われてんでしょーが」

「あはは。そうだったね」

「というか、あたしが男子と付き合ったことないの、高校時代からずっとあたしのやってるナッキーあんたが一番よく知ってんでしょ」

「まあね。だったらさ、百合でエロ描けばいいんじゃない? それなら経験あるわけだし」

「それは……無理」


 ぴたりとマコちゃんの手が止まる。


「どうして?」

「描こうとするとナッキーの顔が浮かんで、恥ずかしくて描けなくなる」

「あー……じゃ、恥ずかしくなくなるくらい、いっぱいしよっか?」

「いいぜ。ただし、原稿のあとでな」


 ハードボイルドなセリフとはうらはらに、後ろから見てもわかるくらい耳を真っ赤にしたマコちゃんが小さくうなずく。エロ漫画描きなのに案外純情ウブなのだ。

 しかし……原稿が完成してからってことは、もうしばらくおあずけってことか。今日中には無理かもしれない。

 まったく、マコちゃんが言うとおり私たちにクリスマスイチャラブタイムはないらしい。





       完


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私たちにクリスマスはない 南村知深 @tomo_mina

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