雪雲の彼方に

碧月 葉

雪雲の彼方に

 鈍色の厚い雲が空を覆い、無数の雪片が舞い降りてくる。

 柔らかいそれは私の熱を奪って溶けていく。

 空の景色は、いつの時代もきっと変わらない。

 どの時代のどんな人も、こうして空を見上げたのだろうか。

 ……私はちっぽけだな。



 ああもう!


 私は手のひらで雪を掬うと、ギュギュッと玉にして岐阜城我が家の石垣に投げつけてやった。


 1個、2個、3個……10個と繰り返し投げつけるうちに手がじんじんしてきた。


「姫さま、そろそろ帰りましょう。しもやけになりますよ」


 よりにもよって忠三郎が来るなんて。

 思いやるような温かい声がかえって勘に触る。

 私は反対側にパッと駆けて距離を取ると、腕を組んで彼を睨んだ。


「姫さま。早く戻られないと上様の御訪問に間に合わなくなります」


 忠三郎は困り顔で呼びかける。

 鬼ごっこのように逃げ回るのが、八つ当たりだと分かっている。

 でも、あっさり言うことを聞くのも癪だ。


 雪玉を硬めに握り忠三郎めがけて投げてやった。


 ばしっ


 雪の塊は、忠三郎の顔面に命中した。

 なんで避けるとか払うとかしないのよ!


 忠三郎はがくりと片膝をついた。

 やばっ、当たり所が悪かった?

 大事な人質、父のお気に入りに万一の事があったら、要らぬ争いを引き起こしてしまうかも……。

 

 焦った私は忠三郎に駆け寄る。

 前髪についた雪を払って謝った。


「忠三郎ごめん。目に当たったりした?」


「捕まえました」


 忠三郎は私の手を握った。

 くすりと笑う顔は、乙女心をざわつかせる。

 忠三郎は類まれな美少年なのだ。


「騙すなんて狡いよ」


「姫さまこそ、らしく無いですね。駄々をこねるだなんて」


「……忠三郎も知っているでしょ、お父様が何の話をしに来るのか」


「ええ。ですから尚更早く戻られた方が良いと。おタカさんも気をもんでいました……ほら、こんなに冷えてしまって」

 

 忠三郎は私の手の平に、はぁと温かい息を吹きかけた。

 こちらはぎゅうっと胸が締め付けられているというのに、彼は素知らぬ顔。私は悔しくて思い切り顔を顰めた。


「このイライラの半分は君のせいだぞ」と言ってやりたい。でも言っても困らせるだけだ。


 私は恋をしている。

 5つ年上のこの少年に。

 私は9つ。彼は14。

 意識しているのは私だけ。

 当然だよね。

 「恋」を語るには幼すぎる。


 まして……。


「早すぎるよ、結婚なんて」


 今日、父は花婿候補を何人か連れて来るという。


「きっと良いお相手を選んで下さっていますよ」


 忠三郎……。

 そうじゃないの。ここに居たいの。

 あなたの側に。


「怖い。行きたくない」


 彼の手を引く。

 忠三郎はきゅっと手を握り返して微笑んだ。


「大丈夫です。上様は姫様を可愛がっておいでですから心配は無用です」


 切ない。

 でも、これ以上ゴネても、困らせるだけ。

 私は観念して忠三郎に手を引かれていった。



 候補としては与一郎が筆頭だろう。

 あいつ、とにかくは良い。

 まあ、頭も良い。

 そして血筋も良い。度胸もある。


 婿候補の中では飛抜けて秀でているのは間違いない。

 でもちょっと、ではなく、かなり厄介な性格だから嫌なんだよ。



 

「お、お父様みたいな方が良いです!」


 以前、父に希望を聞かれて、そんな風に答えてしまったのが拙かった。

 それからしばらく父の機嫌が良くて、家臣達からはすこぶる感謝されたのだが……。

 父はかなり気合いを入れて、私の婿候補を吟味しているらしい。


 素直に言えば良かったのかな。

 「忠三郎」がいいって。


 私の結婚は父の戦略のひとつだ。

 だから、多少の希望を聞いてくれたとしても、わざわざ人質の少年に私を嫁がせたりはしないだろう。

 下手に私が忠三郎を好いているなどと言えば、彼を切って捨てる可能性も否めない。

 そう思って飲み込んだんだけれど……。


 

「綺麗ですね」

 

 忠三郎がふと立ち止まり呟いた。


 えっ。胸が高鳴る。


「ほら、花が降ってきているようで」


 見上げた空からは、ふっくらとした雪がふわりふわりと舞い降りてきている。


「本当だ、大きな花びらみたい」


 雪、ね。

 ……私のことを綺麗なんて言うはず無いもの。

 でもね、もうちょっと待っていてくれるなら、私ちゃんと綺麗になると思うんだ。

 天下一の美貌と讃えられている、叔母の市様に似ているってよく言われるもの。


 もっと時間が欲しい……。

 

 あの雲のずっと奥には春が居る。

 それが訪れる頃には、この恋も雪と一緒に溶けて綺麗に無くなっていますように。


 私は、愛しくて憎らしい繋いだその手を力いっぱい握ってやった。



               

                  【了】


 

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雪雲の彼方に 碧月 葉 @momobeko

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