法廷無双

無名

法廷無双

正面の扉が開き、裁判官の黒い法衣が翻る。皆一斉に立ち上がるが、彼だけは立ち上がらなくて、両脇に立つ制服姿の男たちに腕を引っ張られていた。一同が礼をしたときになってやっと彼は立ち上がって、その彼の側頭部に、左隣の刑務官の右肘がぶつかりそうになる。

「今日は予定どおり、被告人質問からでよいですよね?」

全員が着席したのを確認して、裁判官が口を開く。検察官と弁護人が頷くのを待って、裁判官は彼に目を向けた。

「被告人は証言台の前に」

手のひらで彼を促す。彼は証言台の前に歩み出たが、椅子を引くことはない。裁判官が眉を寄せて彼を見る。次の瞬間、彼の右手が高々と掲げられる。

「宣誓っ!」

彼の咆哮が法廷に響き渡る。

「私は!我が国のぉ平和と!独立を……」

「あなたは宣誓しなくていいんですよ」

裁判官が淡々と遮る。

「始めてください」

裁判官はもう彼の方は見ていなくて、しかし視線を向けられた弁護人は、椅子に尻を付けたまま口を開けたり閉じたりするだけで、彼の前の刑務官たちも、中腰になったり座ったりを繰り返していた。検察官はと言えば、惜しみない同情の眼差しを弁護人に送っている。

「裁判長!」

彼が再び叫ぶ。

「自分は、宣誓しなくて!いいんですかぁ!」

「そんなに大きな声でなくても聞こえますよ」

裁判官が弁護人の方に顔を向けたまま言う。

「それに、裁判官は私だけです」

その間に弁護人は鷹揚に立ち上がり、手元の書類を開いた。そこに書かれた質問をつらつらと読み上げる。弁護人はもう自分を取り戻したように見えて、しかし実際は文字を目で追うのに必死だった。

「交差点のところで、警察官から停止を求められていますが……」

「警察官じゃありません!神奈川県警ですっ」

「はあ」

想定外の一撃をまともに食らった弁護人は、慌てて次読むべき一文を探して、台本の上に視線を這わせる。

「その後、駐屯地のフェンスに……。ここ、昔の勤務先ですよね?」

「そうです!」

「どうしてここの駐屯地にダンプカーで突っ込んだんですか?」

「懐かしくなったからです!」

「懐かしい、それはまた、どうして?」

「久しぶりに!自分を解放したので!」

そう言って、彼は首回りが伸びたトレーナーの裾を引っ張る。刑務官たちがまた、そわそわと腰を浮かせ始める。

「フェンスにバックで突っ込んでますが……どうして正面から入らなかったんですか?」

「だって!丸腰だったんですぅ!」

彼が小刻みに足踏みをする。かと思えば急に袖で顔を拭いだし、弁護人は何も言えなくなって質問を終えた。代わりに、検察官が分厚いドッチファイルを手に立ち上がる。

「あなたも、『自衛隊の警察』と呼ばれる仕事をしていたわけで、法律には詳しいと思いますが……」

彼はまだ両手で目元を擦っていた。

「だって、お、お巡りさんだって、きっと全部出したいときは、あるじゃないですかぁ。検事さんだってありますよね?」

「ありません」

検察官は素早く、短く答える。彼は唇をへの字に曲げて、それ以上何を聞いても答えなくなってしまった。検察官も端から期待していないようで、さっさと質問を切り上げる。弁護人の前に戻った彼は、とっくに涙は乾いていて、刑務官たちに椅子の上で押しくらまんじゅうを挑もうとして睨みつけられていた。

「次回、結審で、いいですかね?」

次回の期日を決め、裁判官はそそくさと立ち上がる。裁判官が一礼しても、彼はおどおどと周りを見渡していて、やにわに右隣で敬礼をする刑務官の左耳に口を寄せ、囁く。

「左手は……グーだよっ」

刑務官は彼に見向きもしない。弁護人は彼に声を掛けることもなく、逃げるように法廷を後にする。刑務官たちに手錠と腰縄を付けられて連行される彼の口角が、わずかに持ち上がって見えた。

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法廷無双 無名 @mumei31

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