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食料が切れてから四日目の朝、予定通り配給があった。ボックス内に入っている大量の肉や魚に目を輝かせた沙奈は、さっそくその食材で料理を作り始めている。
同時に届いた生活用品を家に運び込むのは修也の仕事だ。とはいえ、今回頼んでいたのはティッシュや歯ブラシなどの細々したものが中心だったので、十分足らずで片付きそうである。
修也が最後のボックスを持ち上げると、配給を届けた荷台型ロボットは車に変形してセンターの方へと帰っていった。
終わったぞ、と修也が沙奈に声をかけると、朝ごはんあと十五分ぐらいで出来るからお箸とか用意しといてと弾んだ声で頼まれた。洒落た料理でも作っているんだろう。そう予想した修也は、普段は使わないランチョンマットも出しておくことにする。
「相変わらずキモかったねー、あのロボット」
ローストビーフのサンドウィッチを満面の笑みで頬張っていた沙奈が、思い出したようにこぼした。
「色使いとか変だよな。形もいびつだし」
「だよね! 現代アートの劣化版みたいな感じする」
言い得て妙な沙奈の表現に、修也は顔を上げて相槌をうった。それから、本当に誰が選んでるんだろうな、と呟く。修也は「世界の端」、横を見ればコンクリの壁があるような場所で生まれ育ったため、中央にある配給センターについての知識はほとんどなかった。
「割とそれ永遠の謎」
そう頷いたところを見るに、沙奈もそれは同じらしい。改めて考えると、自分たちはこの世界について何も知らないのだな、と修也は思う。
中央にはどんな人々が住んでいて、誰がこの世界を取り仕切っているのか。世界を覆っているコンクリートの先に何があるのか。それとも、何も存在していないのか。そもそも配給があるのに自分たちは何のために農業をしているんだったか。それに……。
食事に熱中している沙奈に聞こえないよう、修也は口の中で呟く。こんなに考えるのは初めてかもしれなこった。息苦しくなって、ひゅ、という音が口から漏れる。
「そろそろデザート出そっか。確かこないだ取れたフルーツ冷凍してたでしょ」
シチューを飲み干した沙奈に話しかけられ、修也は深く沈んでいた思考の海から引っ張り上げられた。うきうき、という言葉がこの上なく似合う沙奈の姿を見ていると、まあ悩んでも無駄か、という気分になってくから不思議である。
修也は考えることを放棄して、沙奈のデザートの用意ができるまでに皿を片しておこうと立ち上がった。
その瞬間、低い低い音が鳴り響いて、世界が揺れた。
◇
その日も私は、一日中穴の中で例のつがいの会話を記録していた。どうやらドームの中では食料の配給がM社──誰もが知るロボット製造最大手だ──の台車型ロボットによって行われているらしく、耳馴染みのある音がつがいの家に接近するのが聞こえた。
ドーム内には貨幣が存在しておらず、またニンゲン以外の動物がいないため自給自足も難しい状況にされていた。ニンゲンと私達は一応敵対関係にあるわけだから、反乱を防止する処置なのかもしれない。
ドームの外の私たちの存在も、どうやら知られていないようだった。
講義のほとんどを欠席し、一日中文献を漁っていた甲斐あり、「アイ」についての調査に進展があった。
それは図書館の角、埃を被っていた古い資料にあった記述──ニンゲンは求愛に際し、「アイシテイマス」という言葉を用いる。
もちろん、寝ている雌に求愛を行っても無意味だから、あの雄の「アイ、シテル」の意味は依然として謎のままだ。しかし多少のニュアンスは掴めたため、今後の調査はかなり楽になるだろう。そろそろ講義への出席を再開しようか。
そう決めて立ち上がったときだった。私の耳がたっ、たっ、という聞き慣れた音を、複数の同胞の足音を、とらえた。穴の入口へと一直線に向かって来ている。冷や汗が私の頬を伝った。
もう穴を掘ってからかなりの時間が経っている。どんなに見つかりにくい場所でも、私たちが入れる程の大きさのそれがいつまでも見落とされたままになるわけがない。考えてみれば当然の話だった。
足音はどんどんと近づいてきている。総数六。会話はなし。最後尾にサティナ教授の足音が確認できた。残りについては知らない足音だが、服の音を鑑みるに警察であるようだ。
私は途方に暮れた。このままでは私は投獄され、この穴は塞がれてしまう。「アイ、シテル」についてようやく進展があったというのに。
ふと、暫く使っていなかった黄色のシャベルが目に入った。
その瞬間、私はきっと何も考えていなかった。
天井に全力でシャベルを突き立てると、思いの外あっけなく、地上へ繋がる穴が空いた。
私は全身の筋肉を酷使し、ずり落ちることがないよう慎重に地上へと進んでいた。
「やめなさい!」
通路の奥から聞こえてくるサティナ教授の怒りを滲ませた叫び声と、警官たちの走る音。もうかなり近くに来ているようであった。
「やめるわけがないでしょう。私はアイ、シテルを知りたいのです」
笑顔で呟く。きっとサティナ教授には届いているだろう。彼女は相当耳が効く方だったと記憶している。
何やらとても爽やかな気持ちだった。
私が這い出た先は例のつがいの畑の中だった。私の小指ほどの小さな植物が植えられている。腹の足しにもならなさそうだったが、二人があくせく働いて育てていたものだから、出来るだけ踏まないよう注意して外に出る。
軋むような音がしてそちらを見ると、つがいの家が潰れていることに気づいた。いつ壊れてもおかしくないボロ家だったが、先程私がスコップを突き立てた際にとどめを刺してしまったらしい。
少し焦るも、つがいの心臓の音を聞き当てて私は胸を撫で下ろした。雄の方は家の外を歩き回って雌を探しており、雌の方は瓦礫の隙間で気絶しているようだった。
警官の足音はいよいよ大きくなっていた。この分ならあと五分でタイムアップだろう。まずは雄に「アイ、シテル」について聞くとして、雌を救助できるかは微妙なところか。
私が崩れた家に着いたとき、腹にこっ、と小さな石があたった。足下を見るとつがいの雄。追手の音に集中していて気づかなかったが、私の存在に気づき、瓦礫に身を隠して攻撃の機会を伺っていたらしい。
私の膝の高さぐらいの体長のその雄は、強い怒りと恐怖を鳴らしていた。
「サナ! バケモンガデタ、ハヤクニゲロ!」
この雄がこんな緊迫感のある声を出すのを聞くのは初めてだな。そう、ぼんやりと思う。手元に辞書がないことを悔やみながら、私は拙いニンゲン語を発した。
「メスハキゼツヲシテイル」
雄は怒っていて話にならなさそうであるから、取り敢えず雌の方を見つけ出そうと瓦礫に手を伸ばして。
突然足首につねられるような痛みを感じて振り向くと、雄が私の足首に噛みついていた。顔は真っ赤に染まっている。もはや恐怖もなく、雄はただ強い怒りだけを持って私の足首に噛みついていた。
得体のしれない恐怖を覚えた。
「ナニシテル」
問いかけても、雄は返答せず私の足首に歯を立て続ける。あのしょっちゅう気だるげな音を鳴らしていた雄が、強く強く首を横に振って、私に食らいついている。
「ガレキヨリメスヲトリダス、ジャマ」
そう告げると噛む力が弱まったのを感じた。どうやらこの攻撃は雌を守りたいがための行動であるらしい。
「ワタシハ、オマエタチハ、キガイアタエナイ」
柔い力で雄を足首から引き剥がすと、呆気なく尻もちをついて倒れた。
それから、私は慎重に瓦礫をつまみ上げる。雌は棚と床の隙間に倒れており、怪我はほとんどしていなかった。私は気絶したままの雌を両手で抱えて取り出し、地面へと横たわらせた。
雄が雌の方に駆け寄る。最早私のことは眼中にないようだった。
「イキテル」
雌の手を取り、脈を見ていた雄はそう力なく呟くと、その場にくずおれた。安堵から来るのであろう嗚咽は、暖かく、悲痛で、切実で、柔らかい。初めて聞くはずなのに、どこか懐かしい気がした。
これがアイ、シテルの音だと、直感的に分かった。
警官とサティナ教授は、既に穴の一番奥まで来ている。彼らの姿を見せてこれ以上ニンゲンたちを怯えさせる必要もあるまい。おとなしく戻って捕まろうと思った。
私は投獄されるだろう。いや、ドーム内に侵入してしまった以上、それだけでは済まない可能性もある。
だが、それでもいいのだ。私はアイを知れたのだから。
今は私を取り巻く全ての音が新鮮に聞こえた。
矮 心沢 みうら @01_MIURA
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