心沢 みうら

1

 この世界はいつだって、くたびれた音を鳴らしている。撫でるように砂を吹きとばす風も、時々降る大雨も、それによって起き、私の足下を濡らす枯れ川の氾濫も、すべて変わり映えしない音と共に訪れる。いたずらに松の木を手折ってみればまた、普通で退屈な音が鳴る。


「私たちの先祖がこの惑星に降り立ってから約一千年が過ぎ、個体数は当初の二百倍をゆうに超え、経済・文化ともに発展を続けている。」(『地球正史』)


 もはや小さく愚かな生物と毒性の弱いウイルスしか存在しないこの星において、私たちを脅かすものはない。繁栄はこの先も長く続くでしょう。あなた方は恵まれた世代です。そう言ったのはサティナ教授だったか。


 そういえば彼女は、稀に新鮮な音を鳴らした。




 私たちのキャンバスの最南端、辺りを森に囲まれ、ひっそりと存在する区域がある。学生の立ち入りが禁止されている、「レッドゾーン」と呼ばれる場所だ。


 そこには巨大なドーム状の建造物があるのだが、特殊な防音加工が施されているらしく、地球上の生物のなかで最も耳がいい──下等生物しかいないのだから当然だが──私たちであっても中の様子を窺い知ることはできない。


 学生たちの間でまことしなやかに囁かれているのはこんな噂だった。曰く、そのドームの中では絶滅種であるニンゲンたちが飼育されている、と。そしてその担当はサティナ教授であると。


 はじめ、私はそれを一笑に付した。


 ニンゲンとは私たちが降り立つまでは地球上で最も賢く、覇権を握っていた体長二メートル程度の生物だ。互いに争い、醜く喚き、私たちが地球に降り立った際は対話を試みることもせず戦闘体制をとり絶滅していったという。

 彼らは私たちの下位互換的な形をしていて、資料を読んだ限りでは観賞用としても見るに耐えない造形であった。そんな生物を大規模な施設を使って飼育する意味がどこにある。


 けれどある学生がサティナ教授にレッドゾーンについて聞いた時、私は確信した。あの馬鹿げた噂は本当なのだ、と。


 ヂリヂリ。同胞たちの中でもかなり耳が効く私だけに聞こえた、焦りの滲んだ彼女の音。それは私の耳にこびりつき、しばらく離れなかった。




 だから私はこうして穴を掘っている。地下からそのドームの中に入るために。




 講義の合間、そして夜。一ヶ月、いやそれ以上掘り続けただろうか。警備が手薄なところを選んだとはいえ、よく露見しなかったものだと思う。ある日から、生物が生活している音が聞こえるようになった。私たちが出すのによく似た、けれど少し違った響きの音だ。


 さらに掘り進めると、規則性のある鳴き声が聞こえるようになった。それはおそらく、ニンゲンの会話だった。チリン。タランッテ、テラットゥ。面白みには欠けるが、少なくとも聞いたことがない音である。えもいえない感情に戸惑いながら、私はその場にへたり込んだ。


 その日から、ある程度土を掘り進めたあと、図書館で見つけたニンゲン語の辞書を片手に地上の音を聞くことが私の日課になった。



「沙奈、そろそろメシにしないか?」


 ソファに寝転んでテレビを観ていた修也が、気だるげに言った。それから鼻くそをほじって、ぴん、とゴミ箱に飛ばす。


「きっちゃないなーもう。……んー、ご飯ねえ、あと一時間後じゃだめ?」

「ダメダメ、もうむり腹減った」


 はいはい、分かりましたよん。子どものように暴れてみせる修也に苦笑いし、沙奈はエプロンをしてキッチンに向かっていった。


 テレビの中では、真っ赤なスーツに身を包んだ黒人がマジックショーをしていた。彼は不健康な痩せ方をした若い女をゴテゴテに飾りつけた細長い箱に押し込め、オレはこれからこの箱を切断する! と叫ぶ。画面が切り替わり、顔を覆っているアジア人の観客が映し出される。


 あー! 沙奈の素っ頓狂な声が聞こえて、修也は体を起こした。長時間同じ体制で寝転んでいた体は重たく、引きずるようにしてのろのろとキッチンに向かう。


「どーした?」

「お魚とお肉使い切っちゃってたみたい」


 修也が沙奈の後ろから冷凍庫を覗き込むと、なるほど、入っているのは野菜と冷凍ご飯だけであった。


「うわ、マジかよ。次の配給っていつだっけ?」

「確か四日後。卵ももうなくなるし、きっついなあ」


 まえに配給二日前に食材を使い切ってしまった時も相当大変だったが、その倍か。ふたりともアバウトなたちなのが災いした。


 OMG! ちょうどテレビから発せられた大声に、修也は力なく笑った。



 私の掘った通路の上に暮らしているのは、年若いアジア人のであるようだった。私たちにとってはもちろん、ニンゲンの大きさを鑑みたとしても狭い一軒家は築後かなり経っているらしく、時おり危うげな音をたてる。家の隣には畑があり、小麦のような音の作物が栽培されていた。


 虫害や獣害から徹底的に守ろうという方針なのだろうか、ドーム内にニンゲンと植物以外の生物の気配はない。




 ひとつ、驚いたことがある。ニンゲンは、情報交換とは呼べない無駄話を頻繁にする。


 もちろん、私たちも世間話ぐらいはする。だが、このつがいの無駄な会話の数はその比にならないほど多かった。朝は挨拶「おはよう」から始まって、雌の方が延々と今日見た夢の話をする。雄は気だるげな音を立てながらそれに反応し、雌に促されて自分の見た夢について語り出す。そんな生産性のない会話が農作業に出かけ、帰ってきて寝るまで延々続く。


 就寝直前、雄がすでに眠っている雌の頬を撫でて囁く。アイ、シテル、と。


「アイ」。藍、相、I、哀? 「シテ」には名詞を動詞化する働きがあって、「ル」は「イル」の省略形。つまりこの雄は、雌に対して「アイ」という事を行なっているらしかった。


 けれど辞書にある「アイ」すべてを当てはめてみても、この雄が発した「アイシテル」の「アイ」に該当しそうなものは見つからなかった。

 

 私はシャベルを穴の端に放置し、大量の文献を持ち込むようになった。あと先考えず掘り進めていたが、今、ドームの中に侵入するというリスクの高い行為を冒す理由は特にない。


 今日も二人は身を寄せ合い、無駄話をしながらスープをすすっている。



 

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