第2節

トーキーの台頭と金融資本の流入

 1926年には著しい成長を遂げてきた映画産業にかげりが見えてきた。映画の観客動員数が落ちてきたのである。新しいメディアであるラジオの普及が映画の客を減らしたとも言われている。多くの映画会社は危機に瀕した。とりわけ絶望的だったのはワーナーだったが、そのワーナーが初のトーキーである『ジャズ・シンガー』を大ヒットさせ、映画界に活気が戻るのである。トーキーは早くから技術的には可能だったが設備投資の負担も大きく、莫大な費用がかかったので映画会社各社は手を出すのをためらっていた。映画の制作、配給を兼ねていた映画会社も多く、系列の映画館に音響装置を設置するのに費用がかさんだ。映画のトーキー化は映画をビッグビジネスとしたため、大資本の後援が余儀なくされた。その際、1927年の秋には、パラマウントのアドルフ・ズーカー、MGMのニコラス・スケンク、フォックス社のウィリアム・フォックス、ユニヴァーサルのカール・レムリ、ワーナー・ブラザーズのワーナー兄弟というユダヤ系創業者が一堂に会し、2週間に渡る密会を開いたほどだった。音響装置の為に必要な数億ドルは、ニューヨークの銀行家たちの手を借りる他ない、という結論に至った。

 ここで注目してもらいたいのは以下である。金融資本とハリウッドが結びつくのだが、まず、ユダヤ系のクーン・レーブ商会はパラマウント、フォックスに出資する。そして、クーン・レーブ商会を設立したエイブラハム・クーン、ソロモン・レーブはユダヤ系のドイツ人だった。ユダヤ人の5セント劇場経営者が豪華な映画館を作ろうと思い立っても、世の銀行はあまりこの映画という得体の知れない産業に融資したがらなかったため、クーン・レーブ商会はユダヤ人の多いハリウッドにおいて重要な出資者であった。また、創業者がドイツ系ユダヤ人のマーカス・ゴールドマンであるゴールドマン・サックス社はワーナーに出資した。モーガン財閥はRKOに出資した。そしてユニヴァーサルに出資したのはユダヤ系のS・W・ストラウス商会だった。これらのように、映画メジャーだけでなく、その資本にもユダヤ人が絡んでいるのは注目すべきである。

 トーキー革命が招いた大資本の映画産業への参入により、ハリウッドでは独立系の小スタジオはつぶれて大スタジオに吸収されていく。主に残ったのは8大メジャーと呼ばれる、パラマウント、MGM、20世紀フォックス、RKO、ワーナー・ブラザーズ、ユニヴァーサル、コロムビア、UAであり、その創業のほとんどがユダヤ系移民によって成されたのは、紛れもない事実である。

 1929年には大恐慌の影響で失業者が増え、一時は安い娯楽として大衆に比較的受け入れられてはいたものの、映画の入場者数は次第に落ちてゆき、ますます金融資本の参入が加速し、1935年までに、アメリカの映画業界は、8大映画会社に集約されていった。その内訳は、「ビッグ・ファイブ」と呼ばれる、パラマウント、MGM、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザーズ、RKOの5大メジャーと、「リトル・スリー」と呼ばれた、ユニヴァーサル、コロムビア、UAの3社であった。ビッグ・ファイブだけでも売上高の総額は映画界全体の88パーセントを占め、リトル・スリーを含めると市場の95パーセントにも達した。こうしてハリウッド映画は、1920年代、30年代、40年代とかけて、週に一億人を動員するほどの巨大産業に成長したのである。そして、生き残ったのは、ユダヤ人たちが創業した会社ばかりなのである。以上から、ユダヤ人創業者たちが、映画の商業的成功に多大な貢献をしたことは明白である。では、なぜ多くのユダヤ系の創業者が映画において成功したのか。次章では、映画と結びついたユダヤ人のルーツに注目しながら、その理由に迫ってゆく。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月22日 19:00
2024年12月23日 19:00
2024年12月23日 19:00

ハリウッド映画産業の草創期におけるユダヤ人の貢献 加賀倉 創作【書く精】 @sousakukagakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ