お受験

下東 良雄

お受験

 西暦二〇✕✕年。AIがヒトと身近な存在になった近未来。ヒトはAIの知識や知恵を借りながらも、車が空を飛ぶこともなく、今とさほど変わらぬ日常を過ごしていた。


 木枯らし吹き付ける寒い冬の週末の朝、郊外のベッドタウンに立ち並ぶ住宅の一軒から、男女の言い争う声と子どもの泣き声が聞こえてくる。


「ほら、じゅん! もう一度、面接の受け答えの練習!」

美沙みさ、もういい加減にしろよ! なんで健人けんとじゃなくて、俺が練習しなきゃいけねぇんだよ!」


 家の居間で言い争っている夫婦、淳と美沙。そして、それを不安そうに見ている息子の健人。


「私と健人はお受験対策、完璧だもの。あと問題は父親である淳だけなの! アンタ、六歳の健人に負けてくやしくないの?」

「小学校なんか普通の公立でいいだろうが! なんでわざわざお受験なんてしなきゃいけねぇんだ! 勝手に何でも決めやがって!」


 美沙の目元がピクリと反応する。


「淳が育児にまったく参加しないからでしょ! 勝手に決めてるんじゃなくて、淳が相談に乗ってくれないんじゃない!」


 淳の目元もピクリと反応する。


「俺が口出すと嫌がるのは美沙の方だろ! 馬鹿が伝染るとか、三流企業でしか働けない男は父親の資格がないとかって言って!」

「だってホントのことじゃない。健人には輝かしい人生を送ってもらいたいんだから。淳と違ってね」


 不敵な笑みを浮かべながら暴言を吐き続ける美沙に、淳は顔を真っ赤にした。


「ふざけんな! 健人を自分のマウント取りのネタにしたいだけだろうが!」

「なんですって!」


 図星を突かれたのか、美沙も顔を真っ赤にした。


「近所のママ友相手にマウント取りたいだけだろ! あとはSNSで『いいね』が欲しいだけだろうが!」

「それの何がいけないのよ! 子どものステータスは、母親のステータスなのよ! 私が産んであげたんだから、私の言う事聞くのは当たり前じゃない!」

「開き直りやがった! 美沙、子どもをアクセサリー代わりにするオマエなんか母親失格だ!」

「淳、アンタだって浮気してるじゃない! 残業じゃなくて、キャバクラ行ってアフターやら何やらで散財してるの、私知ってるんだからね! 沁みったれた安月給の甲斐性無しのくせに若い女へ貢いで! 馬鹿じゃないの!」

「なんだと!」


 それを見て泣いていた健人が、両親の様子に号泣し始めてしまう。

 そんな健人を睨みつける淳。


「黙れ、クソガキ!」


 父親の恫喝に泣き声が大きくなる。


「黙れって言ってんのが聞こえねぇのか!」


 バシンッ


 健人の頭を引っ叩く淳。

 叩いた勢いが強かったのか、思わずそのまま床に倒れた健人。泣き止むわけがない。

 そんな健人に寄り添う美沙。


「健人に何すんのよ! 叩いた跡が残ったらどうすんのよ! 明日のお受験に差し障るでしょうが!」

「そんなにお受験が大事かよ!」

「当たり前でしょ! 私のステップアップのひとつなんだから!」


 自分を心配しない母親の姿に、健人はさらに泣き声を強めた。


「馬鹿くせぇ! やってられるか!」

「ちょっと待ちなさいよ!」


 居間から出ていく淳。

 美沙はその背中を追うことなく、健人を睨みつけた。


「健人はいつまで泣いてんの! 泣き止まないとヒドいよ!」


 美沙は、健人のシャツを捲りあげて、脇腹を強くつねった。

 泣き叫ぶ健人。


 普段は服で見えない健人の脇腹は、痣だらけだった――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「はい、試験はこれで終了となります。お疲れ様でした」


 その言葉で、パチリと目が覚める淳と美沙。

 四畳半もない程度の狭い真っ白な部屋。病院の診察室にあるような簡易的なベッドが二台並び、そこにブルーの検査着姿でふたりは寝かされていた。ベッドの横には白衣の男性がひとり立っている。


「更衣室で着替えて、そのままお帰りになっていただいて結構です。結果は、二週間程度で登録していただいた住所に書留で郵送いたします」


 白衣の男性の説明に、ふたりは身体を起こしてベッドを降り、男性へ軽く頭を下げて、扉から部屋を出ていく。ふたりが出ていった扉の上には「審査室 No.49」というプレートが掲げられていた。更衣室に向かう廊下には「審査室」の扉がたくさん並んでいたが、その廊下には人っ子一人いなかった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 白い部屋にひとり佇む白衣の男性。他には誰もいない。


「被験者JMY08−257465、被験者JFY23−801934、この二名について『SAKURAサクラ』の試験は正常に終了していますか?」


 誰もいない部屋で、はっきりとした口調で声に出す男性。


《こんにちは、「SAKURAサクラ』です。はい、試験は正常に終了いたしました。エラーは発生していません》


 どこか無感情な若い女性の声が部屋に優しく響く。

 そんな声と会話を続ける白衣の男性。


「『SAKURAサクラ』による審査は完了していますか? それともまだ審査中ですか?」


《審査は完了しています》


「審査の結果を教えてください」


《判定は「E」。不適格と判断します》


「その理由を教えてください」


《前回の試験から一年間に渡り、ふたりの行動と身体状況をトレースし、その思考を予測。それによる計算上での育児予測と、今回の仮想育児上での行動や思考、及びその結果がほぼ合致。児童虐待に及ぶ可能性は90パーセントを超え、親として不適格と判定しました》


「改善の予兆はありますか?」


《現在、判定を「D」以上にする情報はありません。判定変更は慎重を期してください》


「『SAKURAサクラ』、いつもありがとう」


《いいえ、どういたしまして。それでは、判定結果のレポートを指定のフォルダに保存いたします。最終判定をよろしくお願いいたします》


 白衣の男性は、手に持っていたファイルに目を向ける。


「このひとたちは、今年もダメだな……」


 ボソリとそう呟いて、ファイルを手に部屋を出ていった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 二〇✕✕年。ようやく少子化対策が進み始めた日本で、深刻な問題が発生していた。

 出生率の向上と共に、児童虐待の発生件数が激増していたのだ。児童相談所につながる児童虐待通報ダイヤル「189」への通報件数は年間五十万件を超えるまでに急増(令和三年の年間通報件数は約二十一万件)。児童虐待による子どもの死亡者数は、年間二百名を超える事態となり(令和四年の死亡者数は七十二名)、全国の児童相談所は通報が多過ぎて捌き切れないという完全なパンク状態に陥っていた。


 この事態にこども家庭省(「庁」から格上げ)は、総務省主導の超大型プロジェクト『RAYレイ NEUROニューロ NETWORKネットワーク(光の中枢神経網)構想』に参加。

 総務省が運用している世界でもトップクラスの性能を誇る汎用AI『SAKURAサクラ』を頭脳に見立て、超高速移動通信網『XG−aテンジー・アドバンス(進化型・第十世代移動通信システム)』を通じて、日本全国どこででも『SAKURAサクラ』を利用できるようにするという構想である。


 こども家庭省はこの構想を利用して、自ら主導して成立した「児童虐待予防法」を根拠とした『親権取得試験制度』の施行を開始した。子どもを作る前に親としての資質があるのかを『SAKURAサクラ』に判定させるというものである。施行当初は、国民の多くから反対の声が上がり大混乱となったが、大半の場合は問題なく合格して親権を得られることに加え、施行後は明らかに児童虐待の発生件数が減少傾向に向かったため、反対の声は徐々に小さくなっていった。


 試験は二段階。親権取得を自治体に申請すると、肩にナノデバイス(微小なサイズの機器)を埋め込まれる。これにより一年間に渡って心拍数や発汗状態に加え、会話の情報やGPSによる位置情報が『XG−aテンジー・アドバンス』網を通じてクラウドストレージ(インターネット上のデータ保存領域)に保存されていく。ここで収集した情報によって『SAKURAサクラ』は総合的な判断を下すことになる。これが第一段階となり、別名「内申」と呼ばれている試験だ。

 第二段階は、『SAKURAサクラ』の桁外れな演算能力により実現した脳へ直接働き掛ける「仮想育児シミュレーター」による実技試験である。被験者は夢を見ているような状態になり、その中で実際にふたりで育児をしていくことになる。

 これら第一段階と第二段階の試験の結果を『SAKURAサクラ』が分析して一次判定を下し、ヒトの手で最終的な判定を下すことになっている。


 この試験に合格することで、「親権取得者ID」が発行され、出産や育児への様々な手厚い支援や税負担軽減などの恩恵を国や自治体から得ることができるようになっている。

 なお、試験に落ちた場合でも再挑戦は可能であり、国や自治体が相談窓口を開設して、合格できない夫婦・カップルの悩み相談に乗っている。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 夕暮れの土手の上を並んで歩く淳と美沙。


「なぁ、試験の内容って覚えてる?」


 淳の問いに美沙は左右に首を振った。


「夢と同じで全然覚えてないんだよね……私たち、どんな試験をしているんだろう……」


 オレンジ色に染まる空を仰ぐ淳。


「さぁな……でもさ、今年こそは大丈夫だよ。きっと」


 淳の言葉に、美沙は笑顔で頷いた。


「そうだよね。きっと大丈夫だよね。早く淳との子どもが欲しいな」

「もう作って産んじゃおうか。無許可の産婦人科もあるみたいだし」

「……でも、かなり子育て大変だよ。ほら、合格しないで産んだヒトのSNS、最初は幸せいっぱいだったけど、二年位で心が折れてたもん。お金が足りない、行政も助けてくれない、保育園すら入園順位は最下位に回される……でも、育児を放棄することもできないから逃げ場がないって……」

「そっか……」


 無言のまま歩くふたり。


「私たち、子どもを虐待なんてしないのにね」

「そうだよな……この国は、なんでこんなことになっちまったのかな……」



 寂しげに空を仰ぐ淳は、キャバクラで入れ込んでいるツバサちゃんの姿を思い浮かべ、早く憂さ晴らししに行きたいと考えていた。


 悲しげに俯く美沙は、近所のママ友たちのマウントを取り、自分のSNSが「いいね」で溢れる未来が早く来てほしいと願っていた。



 そっと美沙の手を握る淳。


「美沙、下向いてたらダメだよ。ね」


 美沙は淳の手を握り返した。


「うん。私、淳と結婚できて本当に幸せ」


 笑顔のふたりは、空の彼方へ沈みゆく夕日に向かって幸せそうに歩いていった。



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