最終話

 屋上を後にした俺は、階段を2段飛ばしで下りて、理科室へと向かう。


 誰もいない理科室、それも授業中になんかやってるやつなんて、一人しかいない。


 理科室の扉をガラガラ開ける。


 中にいたのはやっぱり、春花はるはなけいかだった。


 けいかは俺のことなんか気にも留めずに、黒板に何事かを描きなぐっては、ブツブツつぶやいている。


 黒板は、異国の言語のような文字でびっしり埋めつくされていた。物理とか数学に詳しかったらなんかわかるんだろうけども、俺はどっちも苦手だ。


「おいっ」


 英数字をつづりつづけるけいかの腕を掴む。


 パキッとチョークが折れる。


 ブラックホールみたいな黒々とした目がこっちを向いた。


「せんぱい……?」


「何やってんだ、今授業中だろ」


 けいかはゆるりと首を動かして、理科室を見まわす。


「あれ……いつの間に」


「また発作か」


 けいかがこくんとうなづく。


 この後輩は、突発的に計算することがある。その結果を、手当たり次第に書きなぐる。それで殺人事件のトリックがわかるならいいが、別にそういうこともない。


「気になったから」


 俺は、理科室特有の背もたれのない椅子に座る。キョロキョロとしていたけいかが、隣にちょこんと座った。


「なにが気になったんだよ」


「この宇宙について」


「スケールがデカい話だ」


 俺は将来のことだって決めかねてるっていうのに、けいかはそんなところまで考えてんのか。


 つーか、今朝も宇宙がどーたらこーたら言ってたやつがいたな。


 ……偶然だよな。


「宇宙がどんな形をしてるか気にならない……?」


「気にならないわけじゃないが。ちなみにどんな形してるんだ? ドーナツとか?」


「そういう説もある」


 マジか。てきとう抜かしたつもりだったんだが、当たってしまった。


 けいかが宇宙の形について語りはじめる。声は眠たげだったが、アナウンサーってくらいよどみない。頭がこんがらがりそうな数式をむことなく教えてくれた。


「すごいの?」


「結構すごいと思うぞ。俺なんか音読させられるたびに噛むんだから」


 もちろん、居眠りしてるからってのもあるんだが……。


「けいかは居眠りなんかしなさそうだな」


「しない」


 眠たげな瞳がこっちを見る。それだけなら、居眠り常習犯って感じだが、その背中はビシッと伸びていた。


「せんぱいは眠たいの……?」


「まあまあだな。今日はちょっと疲れたし」


 これまでのことを思いだすと、色々なことがあった。ホントにいろいろなことが。


 それに、ここまで走ってきたしな。


 あくびをかみ殺していたら、けいかが太ももを叩いていた。


「ん」


「なんだ、ふとももぺちぺちさせて」


「……バカ」


 けいかがそっぽを向く。


 なんでバカ呼ばわりされたのかわからないし、けいかは怒ってるし……困惑している間に、4時間目の終わりを告げる鐘の音が鳴りひびいた。






 放課後。


 教科書といくつかの宿題とをカバンへ突っ込んでると、俺の視界は真っ暗になった。


「だーれだ」


ゆう


「ちぇっ」


 目を覆っていた手が離れていく。現れたのはやっぱり夕だった。


「幼なじみの声くらいわかるわ」


「残念。間違ってたらクレープおごってもらうつもりだったのに」


「…………」


 なんてせこいやつだ。将来が心配になるぞ。


「心配なのはこっちだよっ。誰が狙ってるかわからないんだからさ」


「ちょっと待てって」


 夕に引きずられるようにして、街へと繰り出す。


 オレンジ色に染まる街を歩いていると、わけもなく昔のことを思いだしてきた。


「頭がおかしいやつって思わないで聞いてほしいんだが」


「そんな幼なじみのことを頭がおかしいって思うわけないじゃん。それでなに?」


「こんなこと、前にもなかったか」


 夕が立ち止まる。その目は大きく見開かれていた。


空人そらと、ついに頭がおかしく……」


「さっきのは何だったんだよ!」


「冗談だってば。たぶん、中学生とか小学生のときのことなんじゃないの?」


「それにしては、はっきりしすぎっていうか」


「昔のことを覚えていてくれたなんて嬉しいな」


 ギュッと、夕が抱きついてくる。その拍子に硬いものがぶつかる。見れば、あの拳銃がカチカチ当たっていた。


 こんなもん、小さい頃は持ってなかったと思うんだが。


「えー? 持ってたよ」


 夕が拳銃を大事そうにかかげる。そのツヤのないブラックには、傷一つ汚れ一つない。


 こんなもんガキの頃から持ってたら誤射するんじゃないか。


「しませーん。ちゃんとお父さんから習ったんだもん」


「お前の父さんはなに教えてんだよ……」


「世間は危ないし、身を守る力が必要じゃん?」


「もっとこう、危険には近づかないとかさ、あるだろ」


「でも、向こうから危ないことは来るんだよ。空人は狙われてるんだからさ」


「だから、なんで狙われてるって思うんだよ」


「わかるんだからわかるんだもん」


 そう言う夕は、リスみたいにほっぺを膨らませる。かわいいっちゃかわいいが、意味わからんぞ。


「そんなことよりさ、クレープおごってよ」


「はあ? なんでだよ」


「傷ついちゃったから! 乙女心は繊細なのっ」










 街中のクレープ屋でクレープを堪能たんのうしたのちに、俺と夕はわかれた。


「じゃあまた明日」


「もう窓ガラス割るなよ」


 ぺろりと舌を出す夕が隣の家に消えていく。


 俺も家の中へ。


 電気がついていなかった。


 真っ暗な廊下には、リビングから漏れでた神々しい光が、帯のように伸びている。


 スニーカーを脱いで、リビングへ。


 扉を開ければ、色華しきかがいた。


 今朝と同じ場所、同じ姿勢で座っている。ずっと、そこにいたかのように。


 だが、テーブルの上には朝食は置かれていない。俺の好きなお菓子がいっぱいに詰め込まれたバスケットがあるだけだ。


「おかえりなさいませ、お兄様」


「……ただいま」


 妹の正面に座る。夕日よりも眩く、それでいて柔らかな光に照らされると、今が夕方なのか朝なのかわからなくなってくる。


「何を言っていますか、今は午後5時三十七分と21秒ですわ。今の今までお隣の夕様と一緒に遊ばれていたではありませんか」


 俺は頷く。どうしてそこまで知ってるんだろう、コイツ、つけてたんだろうか。


「つけてるなんてとんでもありませんの。私は知っているだけですのよ」


 色華が笑う。その表情はまったく変わらない。


 仏様のような薄い笑みを浮かべているばかり。


「それよりも、お兄様。今日あったことをお教えください」


「わかるんだろ、全部」


「わかるとは違いますの、わかっているのです。お兄様が、夕様にびっくりして、謎の人物からの電話をもらい、幼い先輩と屋上で話をして、理科室でよくわからない後輩と話をしてから、夕様と遊んで帰ってくる――それが事前にわかっているだけなのです」


「…………」


「ですので、いつもと違うことをしている可能性だってあるのです。もしそうなのでしたら、教えいただきたいのです。すごく興味がありますので」


「色華の言うとおりだよ」


「そうですか。それは嬉しくもあり、残念でもありますわね」


 色華の顔はちっとも残念がっていない。


「いえいえそんなことはありませんの。私、そろそろどなたにされるのか、決めた方がよい頃だと思いますの」


「どういうことだ……?」


「わからないのならいいのですよ。けれど、待たされているというのは気が気がじゃありませんとだけ」


 意味が分からない。


 そもそも、うちの妹はいつから光りはじめたんだろうか。拳銃を持つのはまあわかる。先輩とか後輩もまあまあ、イタ電話してくるやつは知らん。


 だが、色華はヒトなのに発光してる。


「悲しいですの。私のことをお忘れになられているだなんて」


 よよよ、妹が泣く。


 その目に涙は浮かんでいない。


「……勉強してくる」


「はい。御夕飯のときにお呼びいたしますわね」


 ――その時まで、お兄様がおられましたら、ですけれども。


 その声を聞きながら、二階の自室へ向かう。


 扉を閉める。カバンを放り投げて、ベッドへ倒れこむ。


 疲れた。


 いったい何が起きてるんだ。


 目を閉じると、今日あったこととかなかったこととかが、頭の中でグルグル回る。


 何もしたくない。


 何も選びたくない。


 だが、そうしなければ続く――。


 なにが?


 だが、なんとなく俺は理解した。


 この世界はループしている、と。


 あの電話をかけてきたやつは、それを伝えたかったのか。


 起きあがり、窓に近づく。


 窓の向こうを見れば、すでに夕日は沈み、空には星が浮かんでいた。


 何度見たかわからない、同じ星空。


 眺めていたら何もかもイヤになって、俺は窓から飛びおりた。


 仮にループするとしても、そうせずにはいられなかった。

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