第2話 ネクロノミコンをかじったゴブリン

 不幸にも、ゴブリンのウグスグタンは他の個体よりも頭がよかった。

 なぜ不幸かというと、彼は他の個体よりも脆弱だったからだ。

 手足はひょろひょろ。

 牙も丸く、なんだか可愛らしくすらある。

 仲間たちからは馬鹿にされて「丸牙のマヌケスタン」と呼ばれていた。

 そんな状態で頭がいい、というのは不幸でしかない。

 なぜなら、自分がすぐに死んでしまうだろうことを悟ってしまうからだ。


 けれど、ウグスグタンの魂の奥には決して折れない強い光が宿っていた。


「俺はこの知恵で生き残ってやる、絶対に!」


 そう誓い、何度もこの言葉を自分に言い聞かせ、そして実際に生き延びた。

 ギリギリの状態で。

 ……力。

 力だ。

 力がいる。

 ウグスグタンがこれ以上生き延びていくためには力が必要だった。

 ゴブリンの中で「英雄」になれるほどの力が。

 とはいえ彼の肉体は脆弱。

 ちょっとした知恵や機転だけでどうにかなるような次元の話ではない。

 何度も砂を噛んだ。

 ボロボロになりながら、どうにか一日一日を生き延びていった。


 ある日、ウグスグタンは廃墟の森で「黒ずんだ紙の切れ端」を見つけた。

 人間たちから得たの中にあった本から文字を学んでいたウグスグタンは、それを読むことが出来た。

 切れ端には不気味な記号と奇妙な呪文が描かれていた。

 ウグスグタンは本能で、それがただの紙切れではなく「力」が秘められたものだと直感した。


「これで力……得られる……!?」


 頭がよくてもしょせんはゴブリン。

 呪文を唱える、という発想は浮かばなかった。

 ウグスグタンは、その切れ端をかじった。

 味はない。

 普通にマズい古紙の味だ。

 だが次の瞬間、ウグスグタンの小さな体はガタガタと震え始めた。


「な、なに……?」


 口の中の切れ端が黒い霧となって、蛇のように彼の口の中に滑り込んでいく。


「ぐ、ぐえぇぇっ!」


 ウグスグタンは地面に倒れ込み、吐き出そうとした。

 全身が燃えるような激痛に包まれた。

 次に前身の骨が砕け、内臓が引き裂かれたかのような感覚が襲った。


「た、たすけ……誰か……!」


 しかし、誰も助けになど来ない。

 ここは廃墟。

 ゴブリンですら近寄らない、無機物の楽園。

 やせっぽっちのウグスグタンは、誰もいないそこでよく一人で安全に過ごしていたのだ。

 それが裏目に出た。


 死ぬ。

 何者にもなれず、ここで俺は死ぬ。

 そう思った時、ふいに近くで場に似つかわしくない明るい声がした。


「だいじょうぶ?」


 苦痛にのたうち回りながら、ウグスグタンはかろうじて霞む目を開けた。

 そこには一人の少年が立っていた。

 人間の幼児。

 ぼさぼさの髪にぼんやりとした表情。

 美味そう。

 妙に生命力に溢れている。

 死にそうな自分の身と対極にあるかのような少年に憎しみの心がふつふつと湧き上がってきた。


「きみ、死にそうだね」

「……あたりまえだ……助けろ……!」


 どうせ無理だろうが。

 ガキになにが出来る?

 わかってはいるが、話してると少し楽になるような気がした。

 そうだ……ただ死ぬくらいなら、このガキも道連れに……。


「うん、わかった!」

「は……?」


 少年は、その小さな手をウグスグタンの胸に置くと「う~ん、こんな感じかな?」と言って、えいっと押した。


「ナニスル……ぎゃあああああっ!!」


 再び激痛がウグスグタンを襲った。

 背骨の奥の奥を直接掴まれているような痛み。

 のちに訪れる、温かな光。

 温かく、優しく、けれど力強い……。

 まるで、命そのものが注ぎこまれているような……。


「オマエ、なにを……」


 少年は満足げに微笑むと「うん、上手く調整できた! あっ! ぼく、もう行かなきゃ! じゃね、ばいばい!」と言い残し、街の方へと走り去っていった。


 ウグスグタンは地面に横たわったまま、しばらく動けなかった。


「はぁ……ほんとに何だったんだ、あいつは……」


 ごろんと寝転ぶ。

 陰気な森の湿気た暗い空が目に入る。

 すると、自分の体に変化が起こっていることに気づいた。


「ん? これは……?」


 体が、以前とは比べ物にならないほど頑丈になっている。

 特に内側、背骨のあたりから力が溢れ出るようだ。

 肌は硬化し、牙は鋭く、身長も一族で最も高くなっている。


「あのガキ……一体何者なんだ……?」



 ウグスグタンは元いたゴブリンの巣に戻った。

 かつて「丸牙のマヌケスタン」と呼んでウグスグタンを馬鹿にしていた仲間たちが、震えて壁に張り付く。


「ど、どなたで……?」

「ウグスグタンだが?」

「へ? またまたご冗談を……あの丸牙のマヌケスタンの野郎は……」

「これまで俺が貴様らから受けてきた仕打ちを一つずつやり返してやってもいいんだぞ?」

「ひぃ……! ほんとに……!?」

「これからは俺がここのルールだ。いいな?」

「は、はいぃぃ! もちろんですぅぅぅ!」


 ウグスグタンが、仲間に暴力を振るうことはなかった。

 皆から一目置かれるようになった彼は、その頭脳をいかんなく発揮し、群れの仲間たちもそれについてきたからだ。

 ウグスグタンは、ずっと願っていた力を手に入れた。

 紙切れと、あの少年によって。

 後に、その紙切れが魔書「ネクロノミコン」の一片で、少年が「英雄アジフ」だったことを知る。

 しかし、今のウグスグタンにとって、そんなことはどうでもよかった。


「俺はこの知恵で生き残ってやる、絶対に!」


 かつて願ったその想いは、対象が「俺は」から「群れ」へと変わっていき、やがて「種族全体」へと広がっていった。

 これは【ゴブリンたちの英雄】と呼ばれることになる一匹の魔物の物語だ。

 だが、ウグスグタンは知っていた。

 真の英雄は誰なのかということを。


「アジフ……。あの子供はただ者じゃない。他者を、しかも人類の敵である魔物を平然と救うだけでなく、【力】までをも惜しみなく与えるとは……。あれこそが、あの方こそがまさに【英雄】……。俺ごときは、とても英雄なんて器じゃないさ」


 井の中の蛙大海を知らず。

 一度井戸から出てしまったウグスグタンは、自身が英雄ではないことを知る。

 そして追い求めてしまう。

 真の英雄、アジフの背中を。

 太陽に向かってまっすぐに伸びていくひまわりのように。


 以降、世界各所でゴブリンの集団の暗躍が目撃されるようになる。

 奇妙なことだが、その暗躍はまるで英雄アジフをアシストするかのようだったと歴史書には記されている。

 表では敵対しているはずの人類と魔物が陰で共闘……?

 たまたまだろう。

 それが歴史家の見解だ。

 けれど、ウグスグタン。

 ゴブリンキングとなっても人間に最後まで正体を掴ませなかったその魔物もまた、【真の英雄】アジフに焦がれ、数奇な運命を歩むことになった一人なのだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

英雄になれなかった男たちの英雄譚 めで汰 @westend

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画