第5話 魔王、愛は強しを知る?



「たぁ。ふぁ?(妖姫よ。余が、愛おしいと申したな? なぜだ。赤子だからか?)」

「はい」

「ふむぅ?(どれほどに?)」

「不遜ながら『この子にはわたしがいてあげなくては』と強く思ってしまうほどに」

「……むぅ。(余はおまえに、生殺与奪の権を握られているわけか)」

「奪おうなどとはゆめゆめ思いませぬが、与えたくは思います」


 妖姫の感想。真摯さに余は心打たれる。

 というよりもホッとする。この眷属ならば身を委ねるに問題ない。余の見立てに違いはなさそうだ。


「陛下のお食事もお召し物も、すべてわたしにお任せください」


 はて、食事? 

 余はおもいいたった。人間の赤子の食事といえば。


「……た。(妖姫よ。食事といったが、ひとつ聞く)」

「なんなりと」

「…………た?(直裁に言う。余は、授乳されていたのか?)」

「はい」


 妖姫の答え。余のたしかな満腹感。

 そしてこの場にいるのは妖姫のみ。


 だとすれば余は、少女のおっぱいを??


 妖姫を生み出す秘術発動で、余が理性と意識を失っていたあいだに。余が赤子の本能に戻って抱かれていたまま……。



 余は——おっぱいを吸っていた、だと??



 見上げてみれば。

 余の手の届くところには柔らかそうな双丘が。

 清楚な漆黒のゴシックドレスに包まれた、柔らかそうな双丘が……。


 いかんっ! くそ! 

 余は悶えた。

 だが悶えるしかないだろうこれは! 

 要らん雑念が——考えを止めようとすればするほど湧いてくるっ!

 こういう時こそ本能で無邪気にバブバブいっておればよいものを! なぜ元来の余らしく思考水準が高止まりで明晰なのだ!


 ……いかん。これではいかん。

 羞恥心と背徳が、余の理性を蹂躙していくではないか!! 蹂躙する側の余が、人間どもの道徳感に縛られるとはなんたる屈辱ッ!! 


 しかしだ。おちつけ。


 妖姫は少女然としていているが、あくまでも少女の姿を模るにすぎない。

 闇のチカラで余の眷属と化したのだから、人間ではない。人間どもの定義する「少女」ではない。


 そもそも闇の眷属に年齢という概念は希薄だ。

 生命の輪から抜けた存在である以上、どこまでも永く存在する。

 よって人間的な年功序列はない。

 眷属同士の格は、各々の有する強さや精神性で決まる。

 その意味で妖姫は666歳(深淵大陸的な常識)とも言えるし、余の配下として命を吹き込んだ直後なのだから0歳とも言える。


 そもそもよく考えれば、授乳は産後にしかできないはずだ。にもかかわらず授乳できたとすれば闇の眷属たる特異性ゆえなのだから、なお人間ではない。


 しかし、それはそうと。

 授乳は必要緊急の措置だ。

 栄養補給上、代替手段がない。

 元来の余であれば、周りの瘴気を吸い上げるだけで受肉し続けられるのだが、赤子の身にては不可能。

 現実問題、生きていくには「おっぱい」しかないだろう。

 

 おっぱい。おっぱい。

 おっぱい。おっぱい……。


 いや、言い方がなんだかよろしくない。

 授乳。授乳だ。

 他意はない。断じて授乳なのだ。

 余は気を取り直し、そういえばと妖姫にべつの事柄を問うた。


「たぁ?(妖姫よ。名を聞いてなかったな)」

「エリカと申します」

「……たぁ。(そうか。良い名だな)」


 素体となった生前の少女の名前か。

 エリカ。余の記憶にしたがえば、人類圏の中央諸国の出身とみた。


 人類圏。余の版図たる深淵大陸とはかなりの距離がある。

 それに深淵大陸が誇る拒絶性——闇の瘴気や霊的存在に満ちた過酷な環境からいって、脆弱な人間どもの接近を易々許すとは思えない。


 秘術による「転生の儀」を果たして、幾百年が経ったのだろう。

 人間どもからすれば、かなりの世代をまたいだ長い時間だ。政治にせよ文化にせよ、それなりの変化も生じていよう。

 外の世界はどうなっている? 

 赤子にすぎない余の生存戦略上、是が非でも把握しておかねばなるまい。



「……陛下。洞窟内に侵入者です」



 妖姫エリカの報告。余も今しがた感知した。

 やつらの仲間か? 

 おおかた連絡が取れないので、首尾を確かめに来たといったところか。

 しかし侵入者とは。煩わしいことになった。

 普段ならば死なない具合に蹂躙してやるところなのだが、なにせ余は赤子なのでな。こういうことについては精神状態も赤子側に引っ張られていくので、どうにも難儀だ。


 だって。だって。

 知らないひと、こわい。


「わたしが直接迎え撃ちましょう。今後を鑑みれば、敵の素性を吐かせることも重要でありますから」


 妖姫エリカは静かに怒りを燃やしていた。

 やさしい彼女に抱かれて顔を見上げる余にはわかる。

 余を思いやってか声音こそ穏やかで、笑顔も絶やさないのだが、瞳の奥の色だけはごまかせていない。

 いわば防衛本能。

「本気」なのだ。


 それに、余の赤子としての本能もこういっている。

 こわいけど、こわくない。

 「守護(まも)られている」という安堵。

 ここにいれば、こわくない、と。

 

「わたしのそばが最も安全であろうかと思いますが、同時に侵入者を御身に近づけることになります。ご容赦ください」

「たぁ。たぁ。(なに、かまわん。余は君主だぞ? 危険など今更だ。それよりも)」


 余は妖姫エリカに包み隠さず伝えた。

 赤子の余ならではの防衛本能。これは「本音」かもしれない。



「ふぅゎゎ……。ふぅぅ(さみしいのは、いやだ。さむいところで、ひとりにしないで、くれ)」

 

「おい!! 最深部はここかぁ!?」


 余の思念を掻き消すように、下賤なガラガラ声が洞窟内に響きわたった。

 荒くれ者が六人。剣に鎧にと相応の装備に身を包んでいる。そしてどいつもこいつも、ヘラヘラとうすら笑いを浮かべている。

 これが人間どもが俗にいう「冒険者パーティー」とかいうやつか。


「不届者に告げます。即刻立ち去りなさい。二度は言いません」

「あぁん? なんだテメ?」


 にしても妖姫エリカは人間の屑どもにも情けをかけるらしい。美点でもあるが欠点ともいえる。

 元来の余ならば、かような無頼の徒は、無言で闇の砂塵に帰していたがな。

 

 ……などと内心強がったところで、抱かれてた赤子の余は思う。

 泣きそう。もう、泣きだしそう。

 いやだ! こわい!

 はやくどっかいって!(情けない話だが)

 

「みた感じガキ女だが、人間の肌の色じゃあねえなぁ!? しかもてめーのこさえたガキも抱えてやがんのか。こいつは面白ぇ」


 阿呆か? 余はおもしろくないぞ! 

 やっつけてやろうと思っても、力が戻らず魔法が使えない……。いまの余にできることは、エリカの妨げにならぬように泣くのを我慢するのが精一杯だ。

 かくして妖姫エリカは余を抱いたまま、毅然と不動を貫く。

 余は(情けないからエリカには伝えないが)心底思う。


 一秒でもはやく倒してほしい。

 とくに、さっきからデカい声でわめいてるリーダー格を。


「てめーら、魔族だろ。そうかそうか、俺の手駒、全部てめーらが殺ったんか? そうに決まってんよなぁ? じゃぁ抱えたガキごと速攻でぶっ殺していいよなぁ!? クソ売女ァ——」



「お黙りなさい。〈——永久凍奴〉」



 赤子たる余の臆病な意図を汲んだのかはさておき。

 妖姫エリカは指一本も動かさずに、リーダー格を一瞬で凍り漬けにした。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤子魔王の迷宮建国伝 〜側近の妖姫少女に育児されてダンジョン造っていたら世界最強国家に?〜 ICHINOSE @tokyotype94

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ