第4話 魔王、妖姫に尊く愛される。




 赤子の余が見上げたさきには、少女のほほえむ顔があった。

 首筋辺りの短さで切りそろった黒髪のボブヘア。

 装いは清楚な漆黒のゴシックドレス。

 姿形は生前と同じく人間の少女そのもの。

 小柄で慎ましく華奢ではあるものの、包容力も感じる。余の卓越した審美眼にてらしても整っている。

 

 肌や瞳の色は妖しく艶めかしい深藍色。

 人間の少女らしいあどけなさと、余の配下に相応しい妖艶さが融け合っている。

 

 まさに妖姫。

 内に秘めたる瘴気。高位存在級の力量。

 まぎれもなく闇の眷属であった。


「……お目覚めでしょうか?」

「たぁ(うむ。いましがた、な)」


 かくして余の秘術は成功したのだ。

 誅殺されたであろう少女は、余の眷属——妖姫としてふたたび現世に召喚されたのである。

 

「だぁ。むぅぅぅ……。(妖姫よ。赤子の姿たる余への奉仕、大義であった)」

「恐悦至極にございます。陛下の御尊顔をかような形で拝謁致しますこと、どうかお赦しください」


 妖姫は赤子姿の余に対しても、へりくだって尊崇の意を示す。

 忠誠心に問題はなさそうだ。


「た。ふぁぁ(それでは。余を、おまえが造りし玉座へ座らせよ)」

「……畏れながら陛下。お掛けになる瘴玉石はたいへん冷とうございます。お身体に障ることも」

「た。た。(かまわぬ。余を玉座へ)」


 妖姫は命をうけて、赤子の余を瘴玉石で造られた玉座へと置いた。

 瘴玉石は決して砕けぬ輝く闇。それで造られた玉座もまた決して失われぬ君主の畏怖。

 すばらしい。魔王と呼ばれる余が構える座は、やはりこうでなくては……。



「——ふわぁぁっ?」



 そこまで感慨にひたった瞬間。

 余の全身を不快感がつらぬいた。


 ……つめたい! 

 いや! いやっ! 

 このうえなくつめたいっ!


 瘴玉石で造られた荘厳なる玉座は、権威権力の象徴性と引き換えに——硬く冷たい。座る者への健康的配慮など埒外なのだ。

 さきの妖姫の指摘は、至極まっとうであった。

 臣従の礼を取らせようとした余であったが、赤子の身体は予想を超えて脆弱であったらしい。

 これでは身体に害がおよぶ。まずい。

 余の理性に反して、赤子の本能がぎゃあぎゃあと叫びはじめる。



 こわい! 

 つめたいの、こわい!

 おかあさん! たすけて!


 くう! 抑えが……、きかぬわ!


「むぁ。ぅぅ……。(すまぬ。余を、おまえの腕の中へ)」

「かしこまりました」


 余はなんとか威厳を保ったまま意思を伝える。

 まさか思念越しにでも「おかあさん!」などとわめき散らすわけにもいかないだろう。畏怖も尊敬もあったものじゃない。


「たぁたぁ。たぁ。た?(余の身体が赤子であるうちは、おまえが余の玉座だ。世話をかけるが、かまわぬな?)

「ありがたき幸せ」


 それにしても、妖姫は余の意図をよく汲み取ってくれている。高位眷属として召喚した甲斐があったというものだ。

 秘術により余と主従関係を結んだ者は、眷属はおのずと余の利益となる行動をとる。

 そして余はあえて、側近たる高位眷属には優れた知性と広範な裁量を与えている。一個の眷属にして、確立された自由意志と豊かな個性を有するのだ。


 すなわち、余を煩わせぬため。

 この自律性こそが、闇の軍勢の大半をなす合成闇獣とは決定的に異なるわけだ。


「たぁ……(礼を言うぞ。あったかい……)

「陛下のお役に立てて、わたくしはうれしうございます。よしよし」


 妖姫は母性を遺憾なく発揮して、余を抱きかかえてあやしてくれる。

 これも余の感情を察しての行いであろう。

 腕に抱かれた温かみと安らぎには、余とておもわずまどろんでしまう。

 こうもされると、身体が赤子でなくても心が溶けてしまいそうだ。きゃっきゃと手を動かしてしまう。


「ご機嫌は、どうですか?」

「たぁぃ!(よいぞ!)」

「うん、よかったね。は〜い。よしよ〜し」


 余は母を知らないが、世間で言うところの「母親」のような言葉が心地よい。


 このように(幾分甘やかされ過ぎているきらいがあるが)余の右腕たる者は、余と以心伝心でなければならない。

 自由を許すのは、能力と活力を引き出すため。大筋の指針や役割は任じるものの、余はいちいち束縛などしない。

 やることさえやってくれれば、眷属の好きにすればよかろう。

 さすれば無論、究極的な責任はすべて余に帰するものだが、闇を統べる君主としの背負うべきものだ。


「たぁ。(妖姫よ。ひとつ問おう)」

「はい。陛下」

「……だぁ?(なにゆえに、おまえは余に従う?)


 本題はここからだ。

 まず、自我を持った強者たちを従えるのは容易ではない。

 高位眷属が余に従うをよしとするのと、絶対的な実力と徳性によるもの。万が一にも余が君主たる力と徳を失えばそのかぎりではない。


 ひるがえって、いまの余は無力と言ってさしつかえない。

 元来の力とて、局所的でしか発揮できないふがいない状況……。

 余は誰かの世話無しには生きていけぬ、かよわい赤子なのだが?



「わたしは、陛下より命を賜りました。山よりも高く海よりも深い御恩がございます」

「……むふぅ。(いかにも。しかしその言葉、万事に通じる建前ともいえる。ほかにはないのか?)」


 余は意地悪にも、あえて妖姫を試したつもりなのだが。

 彼女の答えは、余の想像の埒外であった。

 


「あなたさまが、とっても愛おしいからです」




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