わたしの出会ったすこしぶきみなお話

朝食付き

覗き込む目

メモ:目目連ってやつかも


 日が暮れている。真上の青空から段々と山際に向けて移り変わる空。その交差点で足を止めたのはその色の鮮やかさに気がついたから。

 健康のためというお題目で始めたジョギングで、家の近くを走っている。いつものルートならここまで来ることはないのだが、単なる気まぐれで別の道を走ってみたくなったのだ。


 その交差点はそれなりに交通量の多い県道と、川を渡るための橋を繋ぐ交差点だ。昔は通学のためにこの交差点を渡っていたものだが、随分久しぶりの道になる。

 ふと埃っぽい土の匂いに気を引かれて、その匂いの元まで歩いてみる。道路沿いの建物が取り壊されている。黄色いショベルカーが止まっていて、建物が内装をむき出しにされている。壁や天井からは鉄骨というのだろうか、骨のように鉄の棒がのぞいていて何やらグロテクスだ。

 見学者はわたしだけではないようで、茶色い柴犬を連れたおじさんが、口をあけて工事中の建物を見ている。

 

「また、潰れちまうんだなぁ……。」

 

 おじさんが思わずこぼした一言。何となしに聞いてしまったので、わたしもつい取り壊し中の建物を眺める。おじさんはわたしがいたことにようやく気がついたようで、一瞬ビクッとしていた。そしてわたしが同じものを見ているのを見るに至り、独り言を聞かれていたということに気がついたようだ。

 照れ隠しなのか、へっへと笑う。結果的に盗み聞きのようになってしまったわたしも釣られてえっへへと笑う。

 独り言を聞かれるのも、聞いてしまうのも気まずいものだ。


「いやね、ここ、色んなお店が出来ては潰れてっからさ。そんなに悪い立地じゃないんだけどね。」


 なんてことを誤魔化すように言うと、柴犬をつれてそそくさと離れていく。

 おじさんの言う通り、交差点のすぐそばで見通しもいい。駅からもそう離れてはいないし、駐車場のスペースだってある。中高生だって割とよく通る。

 

 確かに考えてみればなかなかの立地だ。これで長続きせずに潰れてしまうとは、よほど商売下手な店ばかりだったのだろうか? 首を傾げるも、何にも理由が見当たらない。そもそもここは、何のお店だっただろうか。コンビニか美容院か。本屋だったような気もする。確かにあったはずの店の記憶がない。なんというか、むずむずと腰の座りが悪い。


 信号が青になった。しかし渡らずにUターンをする。気になってしまったのだから、少しでも疑問を解消したい。ジョギングもいいけれど、気になったことを考えながら走るというのは安全面からも推奨されないと思うのだ。

 

 帰宅すると母が台所で夕ご飯の準備をしていた。グツグツと煮える鍋を時折混ぜながら、同時に肉を焼いている。


「あら、もう帰ってきたの? まだ十分も経ってないわよ? 忘れ物でもした?」

 

 疑問には答えずに、あの店について聞いてみる。


「ねえ、2丁目の県道の交差点に、お店が立ってたの覚えてる? 今取り壊し工事してるところなんだけど。」

「2丁目ねぇ。交差点の、どこって言ったの?」

「県道の交差点ね。ほら、河川敷に降りられる橋があるでしょ。そこのそばの交差点。で、そこのそばにあったお店!」

「あー、あそこね。確かにお店はあったわねぇ。」


 のんびりと鍋をかき混ぜている。合間合間に焼かれた肉を皿に移している。あまりわたしの話を真剣に聞いてはいない。その後も辛抱強く聞き取りを行った結果、コンビニと本屋と美容院だったとの証言を得た。わが母ながら、いろんなところに記憶も話も飛ぶものだから随分時間がかかってしまった。

 ただ、母も自信があるのはその3軒で、他にももっとあったような気がするとのこと。わたしの不確かな記憶でもおしゃれな喫茶店があった気がするから、多分まだまだある。やや真偽は怪しいが、学習塾だったり薬屋にタバコ屋だったような気がするとも言っていた。ただの偶然で聞いてみただけが、思いの外たくさんの名前が出てきてちょっとびっくりしている。


「あんた、そういうの調べるのもいいけどね、ジョギングも続けなさいよ。普段は無気力なのに、こういうことばっかり活発になるんだから。誰に似たのかしら。」


 間違いなく母であろうと思う。この人も大概興味のない時の態度はひどいから。

 ここまできたら知ってる人に片っ端から尋ねてみることにする。母から得た聴き取りの結果をスマホのメモに入れて、次の証言者を選ぶ。帰宅したばかりの弟だ。わたしよりは記憶力のある弟によれば、ゲーム屋とスポーツ用品店、花屋も出てきた。

 

 これで9種類。それもここ10年で、である。一年に一度くらいのペースでお店が入れ替わる。競争の激しいショッピングセンターの中にある洋服やとか雑貨屋ならありうるかな。でも、県道沿いの単独店舗としては入れ替わりが激しすぎる気もする。


 夜、帰ってきた父にも尋ねてみた。


「あそこかぁ……。立地はね、確かに悪くないと思うよ。ただ繰り返し店が変わってしまうのは何かしら理由があるんだろうね。僕も母さんと本屋さんだったころに行ったことがある。」


 ねえ母さんと水を向けるも、首をかしげている。そんなお店に行ったかしらと言われると、父さんも困り顔だ。

 

「いや、行ったでしょうよ……。で、近くに本屋さんがあるのは助かるから、何度かその後も行ったんだけどね、なんとなく居心地の店だったよ。店員さんの愛想はよかったし、明るくて入りやすいお店ではあったんだけど。ただ、そのなんとなくの居心地の悪さがお客さんを遠ざけてたんじゃないかな。」

 

 まだ思い出せずにブツブツ記憶を辿る母と、参ったなぁと頭を掻いている父。弟はといえばすでに我関せずだ。母の手料理を味わっているのかもわからないくらい流し込むように食べている。わたしの倍以上をペロリと平らげて、さっさと席を立つ。だが、食べ終わった食器を重ねながら弟は言う。

 

「言っとくけど、あまり何かがあるとか、そういうこと気にしない方がいいよ。」


 そういってさっさと自室に戻っていった。時間を気にしていたから誰かとゲームの約束でもしているのだろう。ただ、去り際に残したその言葉がやけに気になった。

 いつもはわたしが何かをやろうとしても、好きにすればと無関心だというのになぜだろう。いっそ弟の心変わりこそ気にならないでもない。まあ何言っても鬱陶しがられるだけだろう。ああ見えて反抗期なのだ。


 ***


 それからしばらく、潰れたお店について、というよりその場所にあったお店について調べていた。近所に住んでいる高校時代の友人やいつもお世話になっている美容院のお姉さん、果ては図書館にまで足を伸ばしてみた。興味のあることには活発になるとは母に言われたことだが、確かにその通りかもしれない。普段はずぼらで無関心なのに、変なところで凝り性なのだ。


 そしてその結果はなかなか驚くべきものだった。家族で一番店の移り変わりを覚えていたのは父だったが、その倍は店は変わっている。長くても1年、短ければ1か月でお店が入れ替わっていることもあったようだ。

 一年で潰れてしまうのはわからないでもない。脱サラ失敗のエピソードをテレビでみたこともある。一年なら持った方かも知れない。だが、1ヶ月はちょっと想像できない。なぜかはわからないけれど、突然閉店になったということらしい。

 それにしても、前の店がすぐに潰れてしまっているのを知っていてお店を出しているのだろうか。いや、結構業種が異なっているから、このお店なら大丈夫だと思ってなのかもしれないけれど。もしわたしだったら、駐車場にでもしてしまうだろうなと思ったりもする。


 そんな風に調べていたのが春先のこと。なぜかという謎は残るものの、何があったのかという疑問が解消されたことでわたしは満足していた。だから、それっきりそこにあったお店のことなど忘れてしまっていた。


 ***

 

 今更ながらに調べていたことを思い出したのは、他でもないその場所に、新しいお店が建っているのを見かけたからだ。

 

 飽き性なわたしにしては珍しくジョギングは続いていて、久しぶりにこちらの方まで足を伸ばしたのだ。そこには建てたばかりで外壁に汚れひとつない、西洋のお屋敷をイメージしたような店舗が建っている。

 この前に見た時には崩れ落ちる老朽化したお店という感じだったから、随分明るい雰囲気に感じる。駐車場のポールには開店セールの幟がはためいていて、そこにはメガネのマーク。店舗を眺めてみれば、店内は大きなガラス戸や窓がたくさんあって彩光に気を遣っていそうな風情。中にはおしゃれな棚が並んでいて、当然の如く眼鏡が並んでいる。


「眼鏡屋さんになったんだ……。」


 わたしが前に調べた中にはなかった気がする。見た目はいいし、入り易そうな雰囲気もある。これは長持ちするかもなぁ。そんなことを思いながらジョギングに戻る。この新しいお店について話したのはその日の夕食でだ。


「そういえばね、新しいお店ができてたよ。眼鏡屋さん。2丁目の交差点のところ。」

「2丁目の交差点……? ああ、ちょっと前にあんたが調べてたお店ね。」

 

 お店というか、その場所だったが、概ねあってはいる。母さんが眼鏡屋さんの前は何のお店だったかと今更に思い出そうと唸る間、眼鏡という言葉に反応して父が言う。


「眼鏡屋さんならちょうどいいじゃないか。最近眼鏡の度が合わないって言ってたし、新しいのを見てみたらいい。」

「んー、ああいうお店の眼鏡は高いからなぁ。わたしのバイト代だともっとリーズナブルなお店じゃないとキツイよー。……え、もしかしてお父さんが出してくれたり??」

「こらこら、僕は何も言ってないよ。先走るんじゃない。そういうのは母さんにお願いしてからだよ。」

 

 首をぎゅっと動かしてお母さんをみる。母の財布の口はとても硬い。そして雄弁に視線が語る。自分で買えるものは自分で買えと。諦めて視線を父に戻す。

 

「じゃあ駄目だね。大人しくバイトにせいを出すといい。」

 

 わたしの視力は実際悪い。だが、家の中では眼鏡でも、外に出かけるときはコンタクトなのだ。家の中で使うためのものに何万円も出すのは二の足三の足を踏む。

 

「みんなはいいよね、目がいいんだから。わたしの気持ちなんて分からないんでしょうね!」

 

 悔しいので捨て台詞を吐いてみる。同じような生活をしているくせに、なんでみんな視力が落ちないんだろう。弟なんて四六時中ゲーム三昧だというのに、これが視力格差ということなのか。

 

「俺は休憩も入れてるし、姉さんみたいに鼻をぶつけるほど近くでは見ないからね。」


 わたしの考えを見事に読み切って弟が事実を述べる。全くもってその通りでぐうの音も出ない。でも言う。ぐう。


 ***


 先述の通り、眼鏡を買う予定はない。だが、わたしは女の子らしく新しいものが好きだ。おしゃれなら尚更で、ついついウインドウショッピングにきてしまった。

 なまじ前に建っていたお店の履歴を知っているというのもあり、実際のお店はどんなものかと興味が湧いたというのもある。


 店に入ると、なかなか洒落たデザインだ。外からも見えている通り、大きなガラスがいくつも嵌められていて、非常に明るいお店になっている。ひとつ一つの窓の形も凝っていて、ただの四角い窓とは一味違う存在感がある。もちろん店舗内も外観にふさわしく工夫がある。店の中が段々になっているのだ。


 陳列されている眼鏡は全て段の違うフロアにあるから、一括で並べられているよりも華やかに見える。難点をいうなら、バリアフリーではないことだろうか。まあその場合は店員さんが頑張るんだろう。


 店内に入ってからのファーストインプレッションは上々。店員さんも無理に話しかけてこようとはしないし、ゆっくりと眼鏡を試すことができる。


 ──しかし、何かが、ピリピリとわたしのうなじを逆立てる。


 店内を見て回る。どれもピカピカに磨かれた眼鏡で、レンズに指紋跡ひとつない。陳列の台だって陶器のように白く艶やか。ちょっと日が当たって目に眩しいくらい。反射を抑えるためか、日当たりのいい窓際の台にはキレイな色合いのテーブルクロスがかけられているくらい。むしろそのテーブルクロスが欲しい。


 段々と、眼鏡を見ているのだか、違和感を探しているのかが分からなくなってきた。あまり不審な挙動になっては困るから、適度に眼鏡を突いたりしているが、すでに気もそぞろだ。


 店の真ん中、一番低い段で、まんまるな眼鏡を試しながら、流石にこれじゃ古い漫画のメガネ君だなぁと、そんなくだらないことを考えたときだ。店内に入ってから、ずっと違和感があったその理由が分かったのは。

 視線を感じていたのだ。店に入ったその時からずっと、何かに見られていた。この圧迫感は、みんなの前で発表するとか、面接してもらってる時とか、注目されている時の感覚に近い。そして、その圧は一番ここが、。 


 わたしは眼鏡越しに前髪を気にしているふうにして辺りを伺っていた。店員さんは他のお客さんと商談中。そのでかいサングラスはやめとけ、なんちゃってセレブにしか見えんぞ。心の中で見えたもの全てにコメントを入れていく。段差に残る汚れ、折り畳まれた眼鏡、やたらと青い窓の外、背後の煌々と光る電球。


 窓、窓だ。そこに何か違和感がある。


 窓の先には市内を流れる川と河川敷、対岸の建物や高架の電線を渡す鉄塔。なんの面白味もない、ただの風景。


 視線を感じているなら、何かが見ているということだ。──何が見ている? 誰が見ている? 視線に気づいたことを気づかれないように、自然な素振りで窓の外を眺める。そしてとうとう気が付いてしまった。

 

 ”目”だ。巨大な目がこの店を覗いている。

 

 屋根のなだらかな曲線が、垂れ下がる電線が、河川敷の電灯が、河川敷のスロープが、その一つ一つが、何もない空間が、ありもしない線を繋ぐ。そして顕れるのはだ。

 

 一つ一つが何のかかわりもないただの建物で、ただの景色だ。だが、この店の中央、その一点においてはそれらすべてが巨大な目として焦点を結ぶ。

 

 思わず、後ずさりをした。一度気がついてしまったのなら、もう見なかったことには出来ない。巨大な視線から何とか目線をそらす。逃れるようにして見た別の窓。今度こそ留めきれなかった声が喉からはみ出した。腰を抜かさずに済んだのは、後ろ手にお尻が展示台に当たったから。

  

 この店を覗く”目”は一つではなかった。

 

 窓の一つ一つ、店と外とを分かつガラス越しの景色すべてから、目がこちらを覗いている。

 街路樹の枝が曲がりくねって瞳を形作る。電柱と民家の換気扇が目を描く。電線にとまる小鳥が身じろぎせずに店内を見つめている。蜘蛛の巣についた木の葉が、取り込み忘れた洗濯物が、浮かぶ雲が、ありとあらゆるモノが目を作り出している。


 たまたま、全ての窓には目に見える何かがある。そうだ、どれもこれも偶然以外の何物でもない。わたしが見た瞬間、そう見えただけ。そうに決まっている。その、はずだ。

 だが、目が、この店を、店内に立つわたしを、わたし達を覗いている。わたしがその目に気が付いたことすら、見ている。

 

 昔図鑑で見たような、蛾の羽が模様で目を作り出すように、窓の一つ一つにそれはある。一歩動けばその目は形をなくす。そして新たな目の輪郭が生まれる。そんなことが、偶然に起きうるだろうか。

  

 ”目”は、一挙手一投足すら逃すまいと、こちらを覗き込んでいる。


 これは、駄目だ。この”目”にこれ以上見られていたくはない。明るくすがすがしさすら感じさせるたくさんの窓が、その全てから覗かれているのだ。気分が悪くもなる。

 わたしはなるべく自然な動きで店の出口へと向かう。突然顔色をなくしたわたしを不思議そうに、それでも快活な声でありがとうございましたーと挨拶をしてくれる店員さん。

 

 だが彼女は気づいていただろうか。

 わたしが一歩歩くごとに、現れる目の数々に。店を覗き込んでいる異様な目の群れに。少し角度を変えれば見えなくなるはずの偶然の産物は、位置をずらすたびに新たな目が生まれている。

 きっと、あの店員さんからもそれは見えている。いや、見られているはずだ。まだ、気づいていないだけ。それだけだ。


 ぎこちない動きで店を出ると、全ての圧迫感が消えた。それでも目は、目を作る”何か”がこの店を、いや、この場所を取り巻いている。それがわかるから、できるだけ早足でこの店を去る。

 

 結局わたしが一息つけたのは、家の扉を跨いだその時だった。


 ***

 

 その晩、わたしは悪夢を見た。

 幾百の、幾千幾億の目に囲まれ続ける夢だ。彼らは何もしない。ただ見ているだけ。ただ、わたしを、あの店を見ている。何が目的なのかは分からない。何が、そうしているのか、何者であるかも分からない。

 わかることはひとつ。アレは"触れてはならない"ものだ。


 ***

 

 それ以来、わたしはそのお店には近寄っていない。

 ただ母と弟が話しているのを聞いた。

 

 「そういえば、橋の近くのあのお店、また潰れちゃったみたいよ。」

 「だろうね。」

 

 店を覗くあの目は何が見たかったのだろうか。次のお店が何になるのかはわからない。

 ただ、長く続くことはないだろうなと、そう思うのだ。


 終わり

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