きみの隣〜聖なる夜に願いを込めて〜

槙野 光

聖なる夜に願いを込めて

 何でクリスマスは祝日じゃないんだ。


 二十二時を過ぎたというのに、相変わらず電車の中は混雑している。パズルみたいに隙間を見つけては居場所を確保しようとするけれど、一駅停車するごとにずれていってしまう。

 人波を掻き分けながらやっとのことで最寄駅のホームに降り立つと、一仕事終えたような気分に襲われた。


 日本人は多分、働きすぎだ。


 十二月になると街も液晶パネルも万華鏡みたいに極彩色の化粧をして、どこか夢心地だ。でも、出勤時間は変わらないし、サンタクロースが代わりに業務をこなしてくれることもない。それどころか早く帰りたいと忙しない気持ちがミスを誘発し、無駄な残業が増えていく。

 結局、クリスマス当日も残業で、お洒落なレストランもケーキ屋も夢の中だ。


 マンションのエントランスに着いて、エレベーターに乗る。いつもと変わらない筈のエレベーターがもったいつけるようにひどくゆっくりと感じて、五階に着いて扉が開く否や駆け出した。


「ユヅルッ」


 玄関の扉を忙しなく開け、三和土に靴を振り落とし足早にリビングに入ると、白のロングコートに身を包んだユヅルの後ろ姿が見えた。

 振り返り目が合うと、ユヅルがその顔に柔い笑みを浮かべる。


「タケさん」


 肩で大きく息をし、空唾を飲み込む。少し深い息を吐き呼気を整えていると、ユヅルがぱたぱたと軽やかに足音を鳴らし近づいてきた。


「おかえり。走ってきたの?」


 穏やかな表情のユヅルに、心も息も凪いでいった。肩の力が抜け、仕事の疲れが軽減していく。


「ただいま。……悪い、仕事が長引いた。遅くなったけど今からご飯作るよ」


 首に巻いたままのモスグリーンのマフラーを取ろうとすると、ユヅルが俺の手を止める。


「俺も今、帰ってきたとこなんだ。ねえタケさん、今日はご飯作らなくて良いよ」

「えっ? でも……」


 当惑する俺にユヅルが、少し背伸びをする。いつもは俺より下にあるユヅルの顔が目の前までやってきたかと思うと、緩やかな笑みが現れた。


「今日はさ、クリスマスでしょ? だからさ、今日ぐらい贅沢しようよ」


 小首を傾げ、ユヅルが俺の右手を取る。


「ほら、行こうタケさん」

「行くって……、どこに」


 玄関に向かうユヅルに引っ張られながら訊くと、ユヅルが「さあ、どこでしょう」と声を弾ませる。

 手を離し、靴を履いて玄関に施錠する。ユヅルと並んでエレベーターホールに立ち、ユヅルを見る。


「ファミレス、とか?」

「違いまーす」


 小さな鉄の箱の中に入り、ユヅルが人差し指で『1階』を押す。

 

「……じゃあ、居酒屋か?」

「ぶぶー」


 降下していく箱は、あっという間に地上に着く。目的地を教えてくれないから、俺はユヅルの後ろを半歩下がって歩くしかなくて、ユヅルが歩く度踊るように跳ねる薄茶の髪を黙って眺めた。


「ふんふんふん、ふんふんふん」


 家々から漏れる橙色の窓明かりに照らされながら、ユヅルが鼻歌を歌う。でも、ユヅルの鼻歌はリズムがずれていて、それが何の曲なのか分からない。多分、クリスマスソングなんだろうけど。それが微笑ましくて、口元が自然と緩んでいった。


「あっ見えたよ、タケさん!」


 ユヅルが前方に向かって右腕を真っ直ぐに伸ばす。ユヅルの人差し指を辿ると、そこには七を掲げた街の便利屋があって。


「……コンビニ?」


 思わず足を止めると、ユヅルがくるっと振り返って顎を引いた。


「そう! クリスマスと言えば、チキンでしょ?」

「そりゃそうだけど、クリスマスだぞ……? 贅沢したいんじゃないのか? 探せば、まだ開いている店だってあるかもしれないぞ?」


 身振り手振りでユヅルに訊くと、ユヅルが「いらないよ」とかぶりを振る。


「俺はね、豪華なご飯よりもタケさんとゆっくり歩きたいんだよ。俺にはそれが、どんなに高いご飯よりもプレゼントよりも一番の贅沢なんだ。……だからさ、一緒にコンビニのチキンでも食べながら並んで帰ろうよ」


 小首を傾げて笑みを浮かべるユヅルに胸の奥が引き絞られるように切なくなって、胸いっぱいに暖かさが滲んだ。


 本当は、今日は早く帰ってユヅルの大好きなものをいっぱい作ってやりたかった。苦手な甘いケーキだって一緒に食べたかった。数日前から、ユヅルだって楽しみにしていた筈だ。


 俺とゆっくり歩きたいって言う、ユヅルの言葉に嘘偽りはきっとないんだろう。だって俺も同じだから。でも多分、ユヅルは俺が疲れ切っているのを分かっていて、だから、家からほんの少しだけ近くて遠いコンビニを選んでくれたんだろう。

  

「……ユヅル」

「うん?」

「いつもありがとうな」


 俺が言うと、ユヅルが瞬きをする。そしてふわっと夜空に輝く星々に負けないぐらいの笑みを顔いっぱいに浮かべた。


「ほら、行こうタケさん。俺、お腹空いちゃったよ」

「知ってる。さっきから、腹なってるぞ」

「えー! 言ってよタケさん」

「ははっ嘘だよ」

「もう! タケさん意地悪」

「ごめんごめん――」


 ガラス張りの自動ドアが左右に開き、ユヅルと一緒に店内に足を踏み入れると賑々しいクリスマスソングに包まれた。

 腰丈にも満たない小さなクリスマスツリーがレジカウンターの合間を陣取っていて、いつもはラフな店内もおしゃれに余念がない。


 今日は、クリスマスだ。


 でもだからといって、皆が皆、陽気になるわけでも暖かな気分に包まれるわけでもない。店内にはまばらに人がいて、値引きシールの貼ったコンビニ弁当を片手で持って足早にレジに向かったり、窓際にある雑誌の陳列棚の前で表紙を眺めていたりする。


 クリスマスだって朝起きて仕事に行くし、溢れ返った業務に押しつぶさふそうになる。疲れた足取りで乗る電車はぎゅうぎゅうだし、帰宅してやっと一息ついた次の瞬間には明日が来る。

 現実のクリスマスは夢なんて見れなくて、極彩色に着飾ることはできない。


 でも、きみが隣にいてくれるだけで、いつもと同じ毎日だってクリスマスツリーの星飾りみたいに輝くんだ。


 たったひとつの、俺ときみだけの色。

 全部、きみが隣で教えてくれた。


 ユヅルとレジの列に並ぶと、クリスマスツリーが視界に入る。蛍光灯に照らされた星飾りが眩く光って見え、隣を見ると、ユヅルの頬が淡く上気していた。


 ふと、ユヅルと目が合う。


「楽しいクリスマスだね! タケさん」


 顔いっぱいに笑うユヅルに、心が解けていった。


「――ああ、そうだな」


 顎を引くと、眼前の客が捌けてレジの順番がやってくる。レジに向かうユヅルの足取りは、跳ねるように軽やかだ。その後ろ姿を歩きながら眺めていると、ユヅルが振り返り手招きをした。


「タケさん、はやくー!」


 俺の名前を呼び、ユヅルが無邪気に笑う。


「分かってるよ」


 俺は小さく笑みを溢し、ユヅルの元へ向かう。そしてもう一度、クリスマスツリーを瞳に収めた。


 クリスマスは、特別なようでいて特別じゃない。

 当たり前のようにいつもと同じ今日が来るし、明日が来る。 


 でも、聖なる夜が願いを運んできてくれるなら。


 どうか明日も。


 俺の隣で、きみの笑顔が星飾りみたいに輝き続けますように――。

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