いとしのリヒテンシュタインさま 1 試験

ミコト楚良

試験に合格したいのです

 フォルトゥナ・ウィトレア・エストは、荷馬車の荷台から、いくつもの尖塔を掲げた壮麗なるメルドルフの城壁都市を見上げていた。

 それは近づくにつれ、その堅固さ、優美さ、絶大なる公国の力を見せつける。

「ぶるる~」

 思わずフォルトゥナは、金茶の髪をゆらして武者震いした。


「おい、おちびちゃん。ちびりそうなのかい」

 荷馬車の御者台のおいちゃんが振り向いて、からかってきた。でも、よい人なのだ。街道を歩いていたフォルトゥナを、『おんなじ方向だ。乗ってけ。連れてったる』と、荷台に乗せてくれたのだから。

 一応、フォルトゥナは内緒の魔眼で、おいちゃんを透視した。二心はなかった。

 魔眼。それは、フォルトゥナの一族に伝わる特性だ。フォルトゥナの、その力は、さほど強いものではないが根拠のない直感よりは、たしかだった。魔眼を使うとき、フォルトゥナのラベンダー色の瞳は、少し濃くなる。


 「おちびちゃんも、公子付きの侍従採用試験を受けるのかい」

 そういう若者を昨日も城下まで送ったと、御者台のおいちゃんは言う。本当によい人だ。

「そうだよ。試験は3年に一度だからね。この機会を逃すと、もう年齢で除外されるから」


 フォルトゥナは13歳だ。

 公子付きの少年侍従採用試験の応募資格は10歳から13歳までの心身ともに健康な男子に限られる。そして、試験は3年ごと。3年前、フォルトーナが10歳のときは天変地異で、それどころではなかった。ということは、フォルトゥナには、今年しかチャンスはない。その前に応募要項を満たしていないのだが、それは彼女の中では些末さまつなこととなっていた。


(なんとしても、公子のおそば近くに仕えたい)


 この地を統べる公に仕える職において、年齢の低い内から採用される公子付きの侍従職は間口が広かった。犯罪歴がない、身分に詐称さしょうがないなど、清廉潔白であることは求められるが。

 繰り返すがフォルトゥナは、そこでも応募要項から見事に外れている。でも、そのことは証明するものはないから、彼女の中では、やはり些末さまつなことになっていた。

 

「では、行っておいで」

 御者台のおいちゃんは、城壁都市の城門前に荷馬車を止めた。

「ありがとう。おいちゃん」

 フォルトゥナは荷台から飛び降りた。

 城壁都市の城門には身元改めの役人が詰めている。その人に身分証明書を見せれば城下へ入れる。

「少年侍従試験を受けに来ました!」

 役人にフォルトゥナは、リュックの中から、しわくちゃの羊皮紙製の身分証明書を差し出した。旅の間に、身分証明書はリュックの中で、もみくちゃにされ、ところどころ判読不能になっていた。

「ガレフス村のイルトゥナとスヴェンダタァの息子、フォルトゥ・ウィトレア・エスト……、であるな」

 役人は、もうすぐ昼休憩であったためにか身分証明書を確認するのが、ややおざなりになり、それでも、ていねいに証明書のしわを伸ばしてから、フォルトゥナの手元に返した。

「では、このピンバッチをつけてください。公子付き侍従試験を受ける若者の印だ。それをつけていれば、試験会場にスムーズにつけるからね」

 そうして、ウサギを模した銀細工のピンバッチを渡された。

 右も左もわからないまま集まって来る若者への、公国の配慮であるらしかった。

 たしかに、フォルトゥナが胸に、そのピンバッチをつけると、城下の人たちが、すぐに声をかけてきた。

「やあ、こんにちは。お若いの」

 城下の大通りの路上の脇は、天幕を張った小さな店が並んでいた。、それすら用意できない者は、かごを抱えて物売りをしている。

「揚げ菓子はどうだい」

 世話好きそうな、おばさんが。

「ありがとうございます。今、おなかはいっぱいなので」

「長旅だったんだろ。まずのどをうるおしなよ」

 水売りが。

「ありがとうございます。水筒は持参していますので」

 用心深く、フォルトーナは辞退した。都会の水は、田舎者には合わない場合がある。

「幸運を願って」

 どこからか小さな林檎りんごがフォルトーナの胸元に、すとんと投げ込まれた。

 フォルトーナは、びくっとして、辺りを慎重に見渡したが、誰が投げてよこしたかわからなかった。


(さてと、試験会場の聖堂は、どこだろう)

 フォルトーナは、ガレムス村の司祭からもらった公都案内書をリュックから取り出した。

 その案内書の地図の通りに歩いたはずが、たちまち道に迷った。

 田舎とちがって、都会のみちは網の目のように縦断している。背の高い何層もの石造りの建物で遠目が効かない。いちばんの問題は、フォルトゥナが方向音痴なことだった。元の場所にも戻れないのだった。

 今、いるみちは少し傾斜していて、このまま上るか、それとも戻るのか、フォルトゥナは迷った。

 すると、坂の上から、「ぎゃっ」と声がした。坂の上で杖をついた老婆が転んだところだった。石畳いしだたみにつまづいたものらしい。老婆の持ってい手提げの籠から、鮮やかなお日さま色の果実が何個も飛び出して、坂を転がりはじめた。

 とっさにフォルトゥナは身体からだを横倒しにした。自分より下に果実が転がるのを止めようとし、実際、止めた。

 老婆は転んだままだ。

「火事だぁ!」

 フォルトゥナは叫んだ。

 みちの両脇の窓に、いく人かの人影が動いた。扉から出て来る者もいた。

「何しているんだい」

 フォルトゥナには黒いブーツの足先しか見えなかったが、涼やかな声が落ちて来た。

「おばあちゃんを起こしてあげて」

 老婆は石畳いしだたみに転んだままだ。

 ひゅうっと、誰かが口笛を吹いた。どこからか、担架たんかをかかえた男たちが現れ、老婆を担架たんかに乗せて、坂道の上のほうへ運んで行った。

「それから、甘橙あまだいだいを拾ってください」

 フォルトーナは自身の身体からだで、果実、十数個を止めたまま、足先しか見えない人にお願いした。

 大きめの筋張っている手が伸びてきて、甘橙あまだいだいを拾いはじめた。

「全部、拾ったよ」

 言われて、やっとフォルトーナは身体からだを起こした。

 見上げると、左肩に竪琴をかけた黒髪の青年が笑っていた。

「着いたばかりで難儀だったねぇ」


 黒髪の青年は、フォルトーナのローブの胸元につけた、侍従試験を受ける若者の印を、ちらりと見て、置かれている境遇を察したものらしい。

「聖堂へのみちは、こちらでよいのでしょうか」

 フォルトーナは公都案内書を手に、渡りに船と聞いてみた。

「んん?」

 黒髪の青年は、フォルトーナの手の案内書を覗き込んだ。

「そりゃ、ずいぶん古い案内書をお持ちで。今と、だいぶ違うよ」

「そうなんですか⁉」

 フォルトーナは公都案内書を、まじまじと見た。村の司祭に渡されたとき、ずいぶん、ぼろぼろだなとは思っていた。

「よければ道案内しようか」

 黒髪の青年が申し出た。フォルトゥナは、内緒の魔眼でもって、さりげなく青年をた。善意からの申し出のようだ。

「ありがとうございます。お願いしてもよいですか」

 早く試験会場をたしかめて、ほっとしたい。フォルトゥナは、青年の申し出に甘えることにした。それから単純に、竪琴弾きがめずらしかったのもある。

「楽師さんなんて村のお祭りのときしか、お目にかかったことがないです」

「そうかい。君、出身はどこだい」

「ガレムス村です」

「……ガレムス」

 黒髪の青年の言葉が揺れた。

「あの村の生き残りなのか」

「あぁ、生き残りっちゃ、そうですね」

 フォルトゥナは、遠くを見る目をした。出身地の話になれば聞かれることだ。すらすらと自動的に話す。

山間やまあいのうつくしい村でしたが、土石流で埋まってしまいました。わたしの家は、たまたま半分、土石流の流れからはずれて」

「あれから3年か。若者が侍従試験に来るぐらいは復興したということかな」

「あれから3年、思うような職場が地元にないっていうのもありますね」

「君、試験が終わったら長い足通りの、かささぎ亭っていう食堂においでよ。もし、よかったらだけど。わたしは、そこで竪琴を弾いてる。泊るところとか決まってないんだろ?」

 黒髪の青年は、どこまでも親切なようだった。

 フォルトゥナは、都会の人は、みな冷たいと村で聞いていたが、ひとくくりにしてはいけないのだなぁと独り言ちた。 

「でも、それ、わたしが試験に落ちて消沈して訪ねる筋書きになってませんか。試験に合格すれば、合格者は、そのまま衣食住をあてがわれるって話ですよ」

 フォルトゥナの返答に、青年は気取られぬくらいに笑ってしまった。

「そうか? 合格したら、お祝いに1曲弾いてあげようと思ったのさ」

「本当ですか⁉ うれしいですっ。 絶対、合格しますっ」

 とは言っても、合格の基準は何一つ、わかっていないのだ。でも、まず気合いだ。フォルトゥナは、目を輝かせた。


 何回か角を曲がったところで、「ここをまっすぐ行けば試験会場の聖堂だよ」と青年に言われて、「ありがとうございましたっ」フォルトーナは、45度の礼をきっちりとして、青年の指さした方角へ歩いて行った。


 青年は、その仔犬のような後ろ姿を見送った。

(がんばりたまえ。もう試験ははじまっているんだよ)


 すでに、いくつかの試しがなされていた。

 たとえば、反射神経。

 たとえば、機転。

 たとえば、とっさの出来事にどう対処するか。


 この黒髪の青年の名は、アルフレート・ギーレン。何人かいる試験官の内、最年少の試験官だ。

 竪琴弾きは仮の姿。


 そんなことをフォルトゥナが知らない。

(公子、待っててくださいねっ)

 ただただ、兄の願いを胸に、リヒテンシュタイン公子に会えるようにと念じていた。

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