1/田町美佐夫 -2 いきなりピンチ!

「ふー……」


 ひとまずシャワーを浴びた。


「三十二年間こじらせてきた童貞を、半分捨てた気分だ……」


 ちなみに、まだ生えてはいませんでした。

 だからなんだ。


「──…………」


 シャワーを浴びながら、すこしだけ冷静になった。

 何故とか、いつとか、どのようにとか。

 疑問に次ぐ疑問と同時に、さまざまな不安が脳裏をよぎる。


「あー、あー、考えるなー!」


 両耳を塞ぎながら、思いきりかぶりを振る。

 もし元に戻れなかったら──なんて、今考えても仕方がない。

 考えるべきは、"これからどうするか"だ。

 長期的に言えば、どうやって元に戻るのか。

 直近では着替えをどうすべきかという問題もある。


「脱いだ下着とかまた穿くのって、抵抗あるんだよな……」


 美少女になったとしても、僕は僕だ。それは変わらない。


「……まあ、ひとまず洗濯かな」


 先程脱いだパジャマと下着を、洗い忘れていた洗濯物と一緒に洗濯機に放り込む。

 しばらく裸でいても大丈夫なように暖房を入れ、バスタオルを肩に掛けた。

 濡れた髪の毛がぴたぴたと体に触れて冷たいのだ。

 後頭部でまとめたりするのをよく見るけど、具体的にどうすればいいのかわからないし、放っておけばそのうち乾くだろう。


「まだギリ九月だし、風邪引くことはないと思うけど……」


 僕はフリーランスの服飾デザイナーだ。

 メーカーへのサンプルとして、自分で一着こしらえることも多い。

 子供服だって何十着も作っているけど、それが自室に残っているかまでは覚えていなかった。


「……やるか!」


 部屋を引っ繰り返す覚悟で腕を組み、仁王立ちをしながら周囲を見渡していると、


 ──ぴんぽーん。


不意にインターホンが鳴り響いた。


「にょわッ!」


 思わず妙な声が漏れる。


「やば……」


 冷静に考えて宅配便か何かだろうし、居留守を決め込めばいいだけなのだけど、状況が状況だけに心臓がばくんばくん鳴っている。僕、全裸だし。

 口元を両手で隠し、しゃがみ込んで気配を消す。

 早く行ってくれよ……。

 そう心で願いながら、訪問者が諦めるのを待つ。


 ──ぴんぽーん。

 ──ぴんぽーん。

 ──ぴぽぴぽぴぽぴんぽーん。


 何故連打。

 宅配業者じゃ、ない?


「──……!」


 不意のひらめきに背筋が凍る。

 今いちばん来てほしくない相手の顔が、脳裏をよぎった。


 ──ぴんぽーん。


「おじさーん?」


「あ」


 ヤバい。

 ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!

 姪っ子の歌音だ!


「いないのかな……」


 いません!

 いませんよ!

 考え得る最悪の現実を前にして、脂汗がにじみ出る。

 何故なら、歌音は──


「仕方ないなあ、もう」


 鍵穴に鍵が差し込まれる音が、小さく響いた。

 歌音は、僕の部屋の合い鍵を持っているのだ!


「あわ、わわわ……!」


 軽く足を滑らせて転びかけながら、寝室のベッドに飛び込んで布団にくるまる。

 僕の部屋に全裸の女子児童がいた──なんてことが歌音に知れたら、仮に元の姿に戻れたとしても社会的に詰む!

 カチャリ。

 ドアが開く音がした。

 心臓がばくんばくんと早鐘を鳴らし続ける。


「おじさーん……?」


 きし、きし。

 ぎゅっとつぶった暗闇の中、歌音の足音が聞こえてくる。


「カレーのお裾分け、なんだけど。いないの? それとも寝てる?」


 カタ。

 これは、カレーの入った鍋をコンロの上に置く音だろうか。

 不思議なもので、人生でいちばん慌てているにも関わらず、冷静に状況を分析しようとする自分も脳の隅っこにいる。


「おじさーん」


 キィ。

 寝室の扉が開かれる音がした。


「あ、寝てる」


 寝てますよ。

 寝てます。

 だから、早く帰ってくれ……。


「まったく。そろそろお昼だよ。いくら自由業だからって、生活サイクル狂いすぎ!」


 きし、きし、きし。

 かすかな足音が近付いてくる。

 どうする僕!

 どうすればいい!


「お──」


「お?」


「お、起きてる、よー……」


 なるべく低い声を出すよう努める。


「こほん、こほん」


 空咳をしてみるが、我ながら下手だ。


「もしかして、風邪? 声もおかしいし……」


「そ、そう! 風邪!」


 これは、行けるか?


「風邪だから、この布団を剥がすのだけはやめてね。風邪、ひどくなっちゃうからね」


「──…………」


 歌音が無言になる。

 なに?

 怖い。

 なんか不味いこと言った?


「おじさん……」


「な、な、なに?」


「なんか、小さくない?」


 びく!

 思わず体が跳ねる。

 そうだよな!

 明らかに体積足りないよな!

 その洞察力を成績に活かせたら、もっとよかったんだけどな!

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2024年12月19日 06:10
2024年12月19日 12:10

田町みさおはオトなじゃない! ~三十二歳服飾デザイナー、女子中学生になる~ 八白 嘘 @neargarden

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