田町みさおはオトなじゃない! ~三十二歳服飾デザイナー、女子中学生になる~

八白 嘘

1/田町美佐夫 -1 美少女になっちゃった!

 ──夢が、脳裏に滲んでいた。


 物語などでは幼少期の記憶をそのまま夢に見たりするけれど、あんなのは嘘っぱちだ。

 なにせ、僕が見たのは幸せな夢だったから。

 物心つく前に両親を亡くし、年の離れた姉を親代わりとして育った僕にとって、過去の記憶とは常に寂しさに絡みつかれているものだ。

 夢は願望の発露とも言われるが、それも嘘。願望なら悪夢なんて見ないだろ。

 だから、僕の見ていた夢は脳が作り出した幻像に過ぎず、なんの意味もありやしない。

 夢の中の母親も。

 夢の中の父親も。

 夢の中の僕も──

 一握の砂のように指の隙間からこぼれ落ちて、すぐに思い出せなくなるだろう。


「──……あれ」


 見上げた天井が、すこし霞んでいた。

 頬がくすぐったい。

 手の甲でこすると、濡れていた。


「僕、泣いてたのか……」


 独り言を呟く声も不自然に高い。

 枕元のティッシュに手を伸ばし、そっと目元を拭う。

 思いのほか号泣していたと見えて、ティッシュはすぐにひたひたになってしまった。


「あ゙ー……」


 調子のおかしい喉をさすりながら、身を起こす。


「?」


 なんだかすべすべしている。喉仏の感触もないような──

 さらり。


「うひ!」


 首筋を何かがくすぐった。


「な、な、な、なに……?」


 恐る恐る首筋に触れてみる。さらさらの感触が指にまとわりついた。


「なんじゃこりゃ……」


 引っ張ってみる。


「いで!」


 頭皮に痛みが走った。


「……これ、髪?」


 慌てて頭に触れる。

 いつもの髪型じゃない。

 何故かロングヘアになっていた。

 しかも、異常に指通りがよく、絹のような感触だ。


「ええ……」


 なに?

 病気?

 こんな病気があったなら、頭皮に悩める世の男性たちにお裾分けしたいくらいだ。

 それとも、ドッキリか何かだろうか。

 僕が寝ているあいだに、さらさらのロングヘアを一本一本頭皮に植毛したとか。


「……誰が?」


 そもそも無理があるし、自慢じゃないが僕は友達いないぞ。

 よく会う人と言えば、姪っ子の歌音かのんと仕事仲間の鬼瓦おにがわらさんくらいのものだ。

 鬼瓦さんとは昨夜も一緒に飲んだけど、そんないたずらをする人じゃない。


「うーん……」


 とりあえず、洗面台で顔を洗おう。

 そう決めてベッドから下りる。

 自分の頭がどんな状態になっているか確認したいけれど、この部屋には姿見なんて上等なものはないのだ。


「うお……」


 ふらふらする。

 目線が妙に低い。

 狭い部屋が、やけに大きく感じられた。

 え、僕、立ってるよな。

 不安が胸を焼く。

 なにか、とんでもないことが起きているような……。

 小走りに脱衣所へと向かい、洗面台の鏡を覗き込む。

 鏡の下のほうにひょこりと現れたのは──


「……へ?」


 小学生か中学生か、そのくらいの年頃の美少女だった。

 後ろを振り返る。

 誰もいない。

 もう一度鏡を見る。

 ふわりと柔らかな髪を揺らしながら、少女が振り返るところだった。


「──…………」


 右腕を上げる。

 鏡の少女も左腕を上げる。


「えい」


 下手なウインクをしてみる。

 鏡の少女も、ぎこちないウインクを返した。


「あー、あー、あー。僕は田町たまち美佐夫みさお。三十二歳。職業は服飾デザイナー」


 少女がぱくぱくと口を開く。

 あ、これ、あれだ。

 漫画とかアニメとかでよく見る、あれだ。


TSトランスセクシャル……」


 口にして、改めて思う。

 マジで?


「……バ美肉? いや、あれはバーチャルだから、リアル美少女受肉おじさん──って、言葉の定義はどうでもいいんだよ!」


 浴室の扉を開く。こちらは洗面台よりわかりやすかった。

 多少水垢のこびりついた鏡に、パジャマ姿の美少女が映っている。


「うおお……」


 なんだこれ。

 驚けばいいのか喜べばいいのか悲しめばいいのか、感情がわからん。

 いや、TSしたいって思ったことはないけどさ!

 でも、なんかこう、なんかこう、すっごい得した気分だ!


「……!」


 玄関にダッシュし、戸締まりを確認する。

 鍵、ヨシ。

 窓へと向かい、カーテンを閉める。

 窓、ヨシ。

 ざっと自室をあらためる。

 仕事道具にも、PCにも、テレビにも、普段と変わったような様子は見受けられない。

 ひとまず、ヨシ。


「……はッ、……はァー……、はふー……」


 どきどきする。

 息が乱れる。

 手が震えて、上手く呼吸ができない。

 でも、この状況でやることはひとつだろ!

 浴室に戻り、改めて鏡の前に立つ。


「……うわ、かわいい」


 僕、超かわいくないか?

 見覚えのないフードつきのパジャマに身を包んだ少女は、華奢で、線が細く、まるで少女漫画から飛び出してきたかのように可憐だった。

 顔を隠す長い前髪を掻き上げると、現れたのは吊り目がちな大きな目。

 かわいらしい鼻に、ふくふくとしたほっぺ。

 桜のつぼみのように遠慮がちな唇。

 頬に触れ、あごに触れ、流れでそっと胸元に触れる。


「て」


 あれ、ちょっと固い?

 あと、触れるとそこそこ痛い。

 なんだこれ、しこり……?

 思ったおっぱいの感触じゃなくて、すこしがっかりする。

 成長途中ということだろうか。


「ま、まあ、そっちには期待してないさ!」


 なら、どっちに期待してるのかという話である。

 気が逸り、少々手間取りながらもパジャマのボタンを外していく。

 覗いたのはハーフトップのインナーだ。形状としてはスポーツブラに近い。

 パジャマの下をいそいそと脱いでいくと、もこもこで純白のキルトショーツが姿を現した。


「──…………」


 あ、なんかスンッてした。

 そして、異常なまでの罪悪感が込み上げてくる。

 子供じゃん。

 子供の体じゃん。

 僕は今から、子供の裸を見ようとしているのか……。

 いやでも通過儀礼だし、そもそもトイレに行きたくなったらどうする。

 トイレの前でもたもたしてると、最悪漏らす危険すらあるぞ。

 女性は男性より尿道が短く、我慢がきかないと聞いたことがあるし。


「確認は、必要。うん必要」


 なんとか自分を説き伏せて、ゆっくりと下着を脱いでいく──

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