魔王の7番アイアン
信長と美蘭が外に出ると、そこには二人の男性が立っていた。一人は普通の恰好だが、もう一人はマロ眉、お歯黒、薄化粧をして烏帽子を被り、ゴルフウェアを着た珍妙な恰好である。その人物はふっと笑みを浮かべて呟く。
「貴様が織田の若造だな……こうして対面するのは実は初めてか……」
「信さん……お知り合いですか?」
信長が首を傾げる。
「……いや、まったく知らん」
「なっ!?」
「どこの公家だ?」
「公家ではない! 儂は武家の者である!」
「武家?」
「わ、分からんのか?」
「生憎……」
「う、うぬに恨みを持っておる者じゃ!」
「数が多すぎて分からん」
「なっ!?」
マロ眉は面食らう。美蘭が苦笑する。
「信さん……」
「ほ、本当に分からんのか?」
「ああ、人を若造呼ばわりするわりには儂よりもいくつか若そうじゃが……聞いてやるからさっさと名乗れ」
「わ、儂は今川義元である!」
「!」
「ええっ!?」
「桶狭間ではうぬに手痛い目に遭わされた……!」
「そういえば、思い出した……首実検で見た顔だ……待て、うぬが何故ここにおるのじゃ?」
「そ、それは儂にも分からん……!」
「……?」
首を捻る信長の横から美蘭が口を開く。
「……パラレルワールドみたいなものかと……」
「……どういうことじゃ、お蘭?」
「ぼ、僕も上手くは説明出来ませんが……同じような世界でも、今ここにいるお二人は違った線の上を辿ったのではないかと……」
「違った線の上?」
「はい、桶狭間の戦いで勝利した信さん、こちらの今川義元さんは、桶狭間の戦いで戦死はなんとか免れた今川義元さん……」
美蘭が二人をそれぞれ指し示す。信長はひげをさすりながら頷く。
「ふむ、なんとなくじゃが……」
「分かってくれました?」
「よく分からんことがよく分かった」
「ははっ、で、ですよね~」
美蘭が再び苦笑する。信長が今川義元と名乗ったマロ眉に問う。
「……して、いずれにしても負け犬が何の用じゃ?」
「ま、負け犬!?」
「事実であろう。手痛い目に遭ったと申したではないか、うぬも桶狭間では敗軍の将の道を辿った……そうであろう?」
「ぐっ……」
「違うか?」
「ああ、その通り! だが、いったい何の因果か、こうしてこの令和の世で再び相まみえた!」
「ふっ、奇妙なものよのう……」
信長が笑う。
「織田信長! ゴルフで勝負じゃ!」
義元が信長を睨み付けてビシっと指差す。
「受けて立ってやる……!」
信長が義元をキッと睨み返す。織田信長と今川義元が再び戦うこととなった……ゴルフのマッチプレーで。
「ふん!」
「ナイスショット!」
信長のティーショットが見事に決まる。遠くまで飛んだボールはフェアウェイのど真ん中にピタリと落ちる。
「ふむ……」
「良い位置ですよ!」
美蘭が声をかける。ついで、義元がティーショットを放つ。綺麗なスイングから放たれたボールはなかなか良い方向に飛んだが、飛距離では信長にはるか及ばない。信長が鼻で笑う。
「ふっ、そんなものか……」
「……それなりに飛距離は出せるようじゃが、ゴルフは飛距離がすべてではないぞ」
義元が応える。信長が苦笑する。
「はっ、知ったような口を……ピンからはうぬの方が遠い。うぬが先じゃ」
「……見せてやろう……格の違いというものを……!」
義元が正確かつ強力なショットでグリーンに乗せるだけでなくピン側にピタリと寄せる。美蘭が驚く。
「なっ!? パー4のコースで2打目でピン側に寄せた? バ、バーディーチャンスだ……」
「ふん……」
信長の2打目はややグリーンをオーバーしてしまう。3打目でピンの近くに上手くアプローチして、4打目を穴にカップイン。パーを取ったが、義元は3打目を確実に入れてバーディー。1ホール目からいきなり義元が1打差のリードとなる。
「ははっ、幸先が良いのう……」
「……」
この後のホールも義元がバーディーやパーを取っていく。対して信長はショットが全体的にやや乱れ、いくつかボギーを取ってしまう。バーディーもいくつか取ったため、なんとか食らいついてはいたが、義元が2打差のリードのまま、終盤に入る。
「せ、正確なプレーぶりだ……初めてのコースなのにここまでやるとは……」
思わず感嘆の声をもたらす美蘭に義元が反応する。
「小僧、儂を誰だと思っておる? 『海道一の弓取り』と謳われた、今川義元であるぞ? ゴルフくらい、なんということはないわ……」
「ううっ……」
「お蘭、相手にするな、それより次のホールじゃ」
「え、ええ……次はパー5のロングホールです」
「ロングホール……」
「ここでバーディーは取りたいところです。でも、信さんはここのホールは得意としています。落ち着いて行けば大丈夫です……」
まず義元がティーショットを打つ。長いフェアウェイの中間地点よりもやや手前にボールを落とした。堅実な攻め方である。
「ふむ……ふん!」
「ああっ!?」
信長のティーショットが思ったよりも勢いよく飛び、ボールがフェアウェイとグリーンの間にあるやや広い池に落ちてしまう。『池ポチャ』である。義元が高らかに笑う。
「はははっ! 力み過ぎじゃ!」
「の、信さん……ドンマイです」
「次は3打目か?」
「え、ええ、ペナルティーで+1打となってしまうので……」
信長の問いに美蘭が頷く。義元が2打目を放つ。池の手前に落ちる。これまた堅実な攻め方である。義元が信長の方を向いて、聞こえるように話す。
「あの日の桶狭間は雨じゃったな……」
「………」
「兵力で劣るうぬらのほとんど奇襲に近いような攻撃で我が軍は敗れたが……今回はそうはいかん」
「…………」
「儂が勝つ……!」
義元が3打目も正確なショットでピンの近くに寄せる。バーディーチャンスである。美蘭が顔をしかめ、小声で呟く。
「ここで離されるとマズいな……なんとかパーで切り抜けたい……」
「お蘭」
「は、はい!」
「池の手前から打っても良いのであろう?」
「は、はい……でもそこはラフ……草が生えていて打ちにくいですよ。もううちょっと後方のフェアウェイから打った方が……」
「いや、ここで良い……」
「し、しかし……」
「良いから7番アイアンを寄越せ」
「な、ななばぁん!?」
美蘭が驚きの声を上げる。
「そうじゃ」
「い、いや、ラフから打つなら、8番アイアンか9番アイアンの方が……」
「7番じゃ。もっとも扱いやすいからな」
「た、確かに初心者がよく使うやつですけど……」
「早くしろ」
「は、はい……」
美蘭がクラブを手渡す。信長が3打目を放つ。
「むん!」
「!?」
「なっ!?」
美蘭と義元が驚く。ラフから難なく抜け出しただけでなく、池も越えて、グリーン上で何度か弾んだ後、カップインする。
「イ、イーグルだ!」
美蘭が声を上げる。
「……桶狭間は奇襲であって、奇襲にあらず……」
「……なに?」
義元が信長の言葉に反応する。
「あの時点での儂にとってはあれが正攻法じゃ……」
「! ま、まさか……池にわざと入れたというのか? 3打目をピンに向かって真っすぐに打てる位置に置けるから……」
「そうじゃと言ったら?」
信長が義元に向かってニヤリと笑う。
「あ、ありえん……!」
義元は動揺したのか、その後のバーディーパット、続くパーパットも立て続けに外し、この日初めてのボギー。信長が1打差で逆転する。結局その差は最後まで埋まらず、信長の勝利となった。
「や、やったあ! 信さんの勝ちだ!」
美蘭が喜ぶ。
「ま、まさか……」
信長がガックリと肩を落とす義元に声をかける。
「義元……」
「信長……」
「うぬを桶狭間で倒したことにより、儂の名は天下に轟き、運が大きく開けた……その後はこの地……美濃を取り、地名を岐阜と改めた……」
「! 聞き覚えの無い地名だと思ったが、うぬが変えたのか!? ま、まるで天下人のような振る舞い……」
「『天下布武』を唱え、この岐阜の地から天下のほとんどを平らげることが出来た……」
「て、天下布武……」
「今回もそうさせてもらう。武ではなく、ゴルフでだがな……」
信長がクラブを片手にニヤッと笑う。
「!!」
「此度も踏み台の儀、誠にご苦労である……」
信長はマントを悠然と翻して、その場を堂々と後にする。
信長のキャディー 阿弥陀乃トンマージ @amidanotonmaji
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