告白は試験の後に

和尚

告白は試験の後に


(…………後、15分か)


 俺はそんなことを考えながら、教室の黒板横に掛けられている時計を見て、高鳴り始めた心臓を落ち着かせるように息を小さく吐いた。

 これまでの17年という人生の中で、緊張というものをここまで強く感じたことがあっただろうか。汗ばんだ手と、それとは正反対に飲み込む唾液すら出てこないほどカラカラに乾いた喉が、俺の身体に訪れている異常を嫌でも知らせてくれていた。


 カリカリと、紙に文字を書く音だけが流れる教室で、俺はその時を静かに待っている。時間よりも随分と早く解き終わった解答用紙はすべてが埋められており、今回もいつも通りの高得点を取れているだろうことは間違いなかった。戸惑うような問題もなく、よく話に聞く解答欄の埋め間違いも無い。


 そんな、試験結果に何の気負いも問題も無い俺の身体に異変をもたらすほどの原因はわかっていた。

 後15分後。いや、流石にそのもう少し後か。

 俺は、人生で初めての告白というものを体験することになる。


 時計から、斜め前の席に座る金色の綺麗な髪に視線を移した。今更カンニングを疑われるようなことはないが、あくまでさり気なく、しかし注意深く見る。

 悩んでいる気配をしながらも、考え考えペンを動かしているそのクラスメイトの女子。多くの人間が美人だと称し、そして誰が見てもギャルだと確信するだろう容姿をしている彼女。


 名前を白山しろやま夏空そらという。


 黒縁の眼鏡ともさっとした黒髪を装備し、贔屓目に見てもイケメンとは言えない顔立ち。よく評される真面目そうという言葉通り、成績優秀、クラス委員などを務めている俺、黒川くろかわ陸冬りくとは真逆と言ってもいい。

 そんな真逆な彼女に、俺は恋をしていた。


 俺達が初めて関わりを持ったのは、忘れもしないある日の放課後のこと。



 ◇◆



「……意味がわからなかったのですが」


 俺は、生徒が誰もいなくなった後の教室で、目の前の女性二人を交互に見やってそう呟いた。


「うん、だからね。黒川くんには、ここにいる白山さんの勉強を見てあげてほしいなって」


 そんな俺にそんな言葉を投げかけたのはそのうちの一人である気弱そうな若い女性。授業中というわけでもなく少人数の会話にも関わらず、全く視線が合わない。

 夏から産休となった元々の担任の代わりにクラスを受け持つことになった四季先生だった。


「いえ、繰り返さなくても決して言葉が聞き取れなかったわけではなく……」


「……センセ。もういいって、そんなガリ勉くんに嫌そうな顔させてまで頼まなくても。自分で勉強すっから」


 そして、俺が聞きたいことを質問しようとしていると、もう一人である同じクラスの女子、白山がそれを遮るようにして言った。


「そうは言っても白山さん。あなたこのままだともう…………ってもう職員会議の時間じゃない、整理もまだできてないのにどうしよう…………うう、あの、とにかく、黒川くん、特待生の貴方なら出来るわ、クラス委員でもあるし、お願いね!」


「は……? ちょっ――――おい!?」


 そして、呆然としている俺を置いて、四季先生はどたどたと走り去っていった。


「……くっく、普段淡々と勉強しかしてないイメージのあんたでも、そんな声出すんだな、黒川、であってたよな」


 背中からの乾いたような笑いに、俺は取り残された教室で改めて白山を見る。

 目を引くような綺麗な金髪が透き通るような白い肌を際立たせていた。制服に包まれた華奢な体躯と、詳しくない俺でもそう感じる完成度の高いメイクによって、艶やかで洗練された美しさがどこかアンバランスにも感じるが、間違いなく美人に分類されるだろう。


 それだけ聞けば人気者にもなりそうな容姿だが、白山はクラスで完全に孤立していた。尤も、クラスの男子や女子が話している噂は流石に耳に入ってくるものの、俺には関係のない話だ。

 何故なら、俺もまた白山とは別の意味でクラスに友人と呼べるような人間は一人もいないのだから。


「……あぁ、合ってる。で? 結局のところ何だったんだ? 勉強を見てやれとか言ってたが」


「このままだと、留年なんでな。とはいえどうにか卒業はしたいって言ったんだが困ったような顔されてこれだ。先生としてどうなんだってな…………いいよ、誰かに迷惑かけてまでじゃねぇ」


 俺の疑問に、さらりと白山は言った。

 先生については同意だが、それ以上に、自暴自棄のような貼り付けたような笑いが俺は気になって尋ねる。


「白山は勉強が嫌いなのか?」


「嫌いっつうか……何言ってっかわかんねぇもんを好きになれねぇよ」


「……そうか」


 俺の疑問に答え、座っていた椅子から立ち上がった白山はふう、とため息を吐いて言った。


「ふん、お前もどうせあたしみたいなのが今更勉強なんてって思ってんだろ? いいんだ……これまでも教えてやるってやつはジロジロ身体見てきて願い下げだし。あたしには無理な話だったんだろ」


 そして、話を終えたつもりで決めつけて脇を通り過ぎて出ていこうとする白山に俺は告げる。


「いや、教えないとは言っていないぞ? 別に先生に言われたからとやる気がないやつに教えるつもりは無いが、そうでもなさそうだ」


「…………何が目的だ?」


 それに立ち止まった白山は、自分の身体を少し庇うように腕を組んで後ずさる体勢で問いかけてきた。

 正直、クラスメイトである以上に、何一つ義理立てはない。

 特に疑われているように身体目当てでもない。というか、疑われるくらいなら声をかけなければ良かった。


「別に。俺も勉強を教わったことがあってな。そのお返しになるかと思っただけだ」


「黒川……お前、変なやつだな」


 感謝目的ではなくとも、そこは感謝の言葉ではないのかと、俺は早くも二度目の後悔をしながら、肩を竦める。

 これが、俺と白山の初めての会話らしい会話だった。



 ◇◆



 まずは現状を把握しようということで、俺は白山に落第間際という成績を持ってきてもらうことにしていた。勉強というものは積み重ねである。どこかでつまずくと、その派生形は当たり前のように理解できず、さらにそれが複数になればなるほどに意味がわからなくなる。

 そのため、どこまでわかっていて、何がわからないのかを知る必要があった。


 その結果、俺の目の前には白山の試験結果があり、今無言でそれを確認している。

 なるほど、何も理解しなくても選択問題というものと雰囲気で10点は取れるものらしいと、俺は高校生にして初めて知ることになった。この知識が何かの役に立つのかは知らない。


「……やっぱ、無理か?」


 白山は、孤立してはいるがいつも背筋をまっすぐした自信に溢れた姿勢でいる。だが、そんな白山は今不安を顔に張り付かせて伺うような声色でそう問いかけてきていてた。それに、俺は少しだけ待つように手で制する。


「だよな……流石にこれはどうしようもないよな。いつもほぼ満点の特待生は見たことないような点数だろ」


「いくつか確認してもいいか?」


 どんどんと暗くなっていく白山に、俺は淡々とそう告げた。


「あぁ、何でも聞いてくれ」


「とりあえず数学、これは多分だけど、そもそも結構前からわからなくなってるんじゃないか? 具体的にはこのあたり」


 俺は、少しずつ遡りながら、白山がわからなくなっている辺りを確認していく。

 結果的に、中学の頃の知識までは、完璧とは言えないまでも白山は理解している事がわかってきた。そして、質問している中でも薄々気づいていたが、それを確かめるべくもう一つ質問をする。


「この国語の問題だが」


「あ、あぁ、それだけは欠点を免れてんだよな」


「そうだな。現代文は46点、古文が4点、漢文が4点。配点を考えると現代文は漢字の問題以外は満点だ……例えばこの問題って、何で解けたんだ?」


「え? そりゃ、現代文は全部答え書いてるからな、問題の意味もわかるし」


 その答えを聞いて、俺は確信した。

 いくつかのわからない部分について、わかっている部分についてもそうだが、白山はおそらく読解力も記憶力も悪くない。というかかなり地頭はいいのではないだろうか。

 点数が取れていないのは、すべて学ばないといけない、あるいは学び方をきちんとしらないと解けないもの。対してその場で問題を読んで考えれば解けるものについてはかなりの確率で正解している。


 こうなると、少しだけ何故勉強を出来てこなかったのか、そして何故今になってしたいと思っているのかが気になりもするが。まぁ踏み込むまいとして俺はいくつかの課題を白山に伝える。

 もしもそれでやる気というものを見出だせなければ教え続けることは出来ないが、どうもそうはならない気がした。



 ◇◆



「なぁ黒川。ここは、これで合ってるか?」


「……そうだ、やはり白山は理解すると随分と早いな」


「よっし! へへ、それって頭が良いって褒めてるか?」


「そうだな、正直記憶力については羨ましいくらいだ」


 あれから1ヶ月。

 白山は平日は週に二回ほどはアルバイトがあり、俺は俺で早く家に帰らねばいけない日もあることから、週に一度か二度と決めて放課後の図書室で勉強会をしている。

 最初はぎこちなかったものの、白山が思いの外きちんと勉強に取り組んだ事、そして白山の方も俺の教え方で満足してくれたようで、それなりに良好な関係を築けていた。


「黒川って教えるのうまいよな。なんつうか、こっちがどこでわかってないか理解できてないのをほどいてくれるっていうか」


「……意外なほど白山の理解力が高いのもあるが、まぁ妹や弟達に教えるので慣れてもいるからな」


「意外って、ほんと正直なやつだな。それにしても妹弟きょうだいがいんのか、あたしは一人っ子だから羨ましいな」


 俺の返答に白山が口を開いて笑う。

 投げやりでもない、屈託のないその笑顔は随分と魅力的で、ふっと見惚れそうになるのから目をそらすようにして、俺は答えた。


「まぁな、下に妹が2人と弟が3人いる」


「多いな!? っと……すみません」


 咄嗟に出た大きな声に、先生や周囲に睨まれるようにして、白山が口を押さえて周りに頭を下げる。

 図書室には数人の生徒と当番の先生がいる。最初は組み合わせが珍しいのかじろじろ見られることもあったが、何度も来ているうちにただ勉強を教えているだけとわかったようで、また、そこまで他人にも興味はないのか見られることもなくなっていた。


「…………まぁな、中3の妹と中1の弟がいるんだが、その下が三つ子でな」


「わお……じゃあなんつうか、親も大変だよなぁ」


 しみじみと白山が言う。

 白山と会話していると、ふとこういう場面で意外さを感じてばかりだった。

 家族の話をした時に、最初に親の大変さに想像がいく同級生は多くない。


「まぁそれもあって特待生になれば授業料免除になる制度があって、家から徒歩で通えるこの学校にいるわけだ」


「なんで黒川みたいなやつがこんな新設高校にいんのか謎だったけれど、納得したぜ」


 白山がそう言ってなるほどなぁと頭に腕を組んで上を見上げるのを脇目で見て、ふと袖口から覗いてしまった白い肌とその先のインナーに慌てて目を逸らした。


「教えてもらってる礼になるかわかんねぇけど、ちょっとくらいなら許すぜ?」


「馬鹿野郎」


 誤魔化せたつもりだったが、目ざとく気づいた白山にからかわれ、俺はそっぽを向く。まぁしかし、冗談として許してもらったということだろう。


「はは、でもほんと、そういうとこも信用できて助かるわ。勉強もわかってくると楽しいしな。先生が良いからかな?」


「……まぁ、しっかりバイトの日も課題もして来てくれる生徒でやりやすい。何より俺にとっても復習にもなっていいしな」


 いつまでかは分からない。

 だが、成り行きで始めたことながら、俺はこの白山との何気ない時間が好きになって来ていた。



 ◇◆



「「「え? おにいの彼女? めっちゃ美人じゃん!」」」


 友達を連れてくるから静かにしておくようにと言っていたはずだが、それは白山がお邪魔しますと玄関を上がった途端に弟妹達の頭からは消え去ったようだった。


「騒がしくてすまんな」


「おお、黒川の妹に弟達は元気だな。あたしは白山夏空そら。黒川の……そうか、皆黒川か……陸冬りくのクラスメイトで、いつもお世話になってる」


「……お前、俺の下の名前知ってたんだな」


「あん? そりゃあたしの名前が"そら"なのに対して"りく"は覚えるだろ。お、なんだ? 下の名前で呼ばれるとときめいたか?」


「ぬかせ……いや、とりあえず部屋に行くか」

 

 下の三つ子だけではなく、普段しっかりしている上の妹のかえでまで驚いたような表情で見つめてくるのが流石にいたたまれず、俺は白山を引っ張るようにして二階の部屋へと逃げ込んだ。


「くっく、あはは! お前のそんな顔初めて見たな、ウケる!」


「ウケんな、ったく」


「で? 陸冬りく? 部屋に連れ込まれたわけだけど、どうする?」


 にやにやとしながら白山が言うのが腹ただしい。

 何より、初めて女子を部屋に、しかも美少女と言っていいこいつを上げたのが少しどきどきしてしまっている事実にも。

 そして、陸冬りく呼びにも狙い通りどきっとしてしまったことにも。


「勉強しろ……ったく、お前がまた家で勉強できなくなるかもとか言うから連れてきてやったら――――」


「まじでありがとな」


 また見透かされてからかいの言葉が飛んでくるぞと思いながら、俺がぶつぶつと言っていると、白山が唐突に真面目な口調でそう深々と頭を下げて言った。


「白山……?」


「いやさ……ろくに事情も話してないあたしなんかを、こうして家にも上げてくれて、勉強も見てくれて、さ」


「…………大事な友人だからな」


「え?」


 思わず出た言葉に、呆けたような顔をする白山。


「友達が困っていたら助けるのは、当然だろ」


「…………じゃあさ。夏空そらって呼んでよ」


「唐突だな」


「冗談じゃなく、あたしも陸冬りくって呼ぶからさ」


 そう、珍しく照れたようにいう白山――いや、夏空そらの頬は少し赤らんでいて、俺は努力して意識しないでいるその美貌に一瞬見惚れ、そして、ふっと笑って言った。


「わかった、夏空そら。次の期末までで、ある程度仕上げて、一緒に進級出来るようにしないとな。友達から先輩後輩になっちまわないように」


「……はは、今日もよろしく頼む」



 ◇◆



 子沢山である分というわけでもないが、両親ともに忙しいうちでは、子供が家事を分担している。しかし、料理は妹のかえでに頼ってしまっていたのだが、かえでも高校受験の勉強を頑張るために俺が料理も引き取ろうとしていた。

 だが――――。


陸冬りく……他人の家庭に口を挟む気はなかったんだが、あたしがご飯作ってやってもいいか?」


 夏空がそう口を出すほど、俺には壊滅的に料理の才能が無かったらしい。

 レシピ通りに作っているはずなのに、上手くいかない。

 いや、自分で食べてみて、決して不味くは無いと思うのだ。だが、何かが足りない。そんな味になる。


 初めてきてから数度で弟妹に気に入られた夏空そらは、不甲斐ない兄の料理の味について相談されたようで。

 とはいえ一度見てみようと俺が作った料理を食べての感想が、先程のセリフだ。

 何が、何が足りないというのだ……。


夏空そらさん、すごい美味しいです」


夏空そら姉ちゃん、ありがとう!」


夏空そら姉ちゃん、毎日お味噌汁作って!」


 そして、綺麗な金髪を後ろにくくり、随分と慣れた手つきで台所に立った夏空そらの腕前は弟妹達の明らかに喜んだ声が表していた。


陸冬りく? 難しい顔でどうした? ……なんか口に合わなかったか?」


「最高に美味い……夏空そら、毎日これが食べられるようにしてくれないか?」


「……はぁ!? り、陸冬りく、それって?」


「勉強を教える代わりにというとあれだが……俺に、料理を教えてくれ!」


 途中慌てた表情の夏空だったが、頭を下げた俺に急に白けた顔になった。そして妹には後頭部を叩かれた。なぜだ。


 その後、土日にも来た時に両親にも挨拶して、お礼を言われた夏空そらが照れる一幕などがあったりして、少しずつ、夏空そらは俺の生活の中にも関わるようになっていった。


 同時に、元々の資質もあり、本人の努力もあったのだろう。

 夏空の成績は、どんどんと上がっていった。

 

 そんな中で、嬉しく思いながらも、どこか寂しくも思ってしまう自分から、俺は目を逸らしているのを自覚していた。 



 ◇◆



「なぁ、白山に勉強教えてる代わりにヤラせて貰ってるって、ほんとか?」


「いいよな、あいつ。確か親も水商売で、裏にヤクザがいるとか、自分もオヤジ相手に稼いでるとか聞くけど。まじで美人だもんな、俺もあやかりてぇ」


 唐突に、普段は絡んでも来ない人間からそんな言葉を浴びせられたのは、夏空そらに勉強を教えるようになってから3ヶ月が経った頃だった。

 どうやら、成績が目に見えて上がった夏空そらについて、どういう手を使ったのかということが噂になり、俺が見返りを得て勉強を教えているという話が広がっているようだった。


「何を勘違いしてるのかわからんが、俺とあいつは断じてそんな関係ではない。それに――――」


 そして、つかつかとそう言ってきた男たちに俺は近づく。


「な、何だよ?」


「事情は知らん。しかし、あいつはそんなことはしていない。どこから出た噂かも知らんが、取り消せ」


 俺は怒っていた。

 自分でも驚くほどに、煮えたぎるほどに、心の底から目の前の人間たちが、噂を無責任に広めている有象無象が腹立たしかった。


「は? マジ惚れ?ってやつ」


「よせよせ、真面目が取り柄のお前には無理だって。勉強だけ教わって不要になったらぽいだろ」


 どこまでも軽薄な、人を傷つける覚悟も無いくせに、その薄っぺらい自分の言葉がどれだけ人を傷つけるのかを自覚しない。

 俺はぐっと拳を握りしめて、絞り出すように言った。


「…………あいつはいつも、きちんと努力している。お前らなどよりも余程高尚で、立派なやつだ。俺はあいつを尊敬している。だから――――それ以上言うなら、俺も容赦はできない」


 良く手が出なかったと自分を褒めてやりたい。

 ――――いや、大事な人が貶されているのに、手も出ない自分の理性を不甲斐なく思うべきか。

 そんな逡巡の間に、揉め事を察知した教師がやってきて、その場は有耶無耶となってしまった。



「…………陸冬りく。ごめんな、あたしのせいで」


 どこからか騒ぎを聞きつけた夏空そらに、帰り道そう謝られて、俺は無性に悲しくなる。


「誹謗中傷を言われた側が悪いわけはないだろう。どんな理由があろうが、言葉を吐いたほうが悪い……それにすまない、殴るくらいしてやればよかったと思っている」


 うまい言葉が見つからないまま、もしかしたら一撃でも加えてやっていれば、スッキリしたのだろうかとそんなことを言うと。


「バカ、喧嘩なんかしたこと無いくせに……いいんだよ、怒ってくれるやつがいる、それだけで、嬉しいから……あ、そ、それと―――――」


「……? なんだ?」


「……だかんな!」


「何?」


「だから……あたしはまだ処女だかんな? その、そりゃ親に売られそうになったこともあるけど、生んだからってそんな勝手は許さねぇ。あたしはあたしのもんだ。ちゃんと勉強して……あたしはあんな奴らと同類には絶対に落ちない」


 夏空そらは赤くなった顔で、そんなことを言った。

 気になる情報が、あまりにもありすぎる。だが、それよりも俺は、ただ思ったことを言葉に出した。


「良かった」


「は? 経験無くて良かったってことか……お前?」


「違う! 何でそうなる!? 俺はただ……お前がお前でありたいと思って、守れてきたことを、良かったとそう思っただけだ……その、俺の方こそ経験が無いから、失礼だったらすまない」


 そして、俺がたどたどしく言い訳をすると、夏空そらはあはは、と大きな声で笑って言った。


「なぁ陸冬りく。あたしはお前に出会えて良かったよ」


「……急に恥ずかしいやつだな。でも、俺もだ。勉強を教えるとなったときはどうなることかと思ったが、夏空そらと会えて、良かった」



 ◇◆



 無事に試験が終わり、学校は冬休みへと向かおうとしていた。

 何度も一緒に歩いた帰り道を俺は夏空と歩きながら、俺の脳裏にはこれまであった様々な事が流れて来ていた。

 俺が、夏空と出会い、そして、恋をしてきた過程が。


 勉強の仕方は教えた。試験の手応えも、きちんとあるくらいになった。

 もう成績は大丈夫だろう。だからこれで、俺達が一緒にいる名目は無くなってしまう。

 それに思い至った時だったろうか、俺が明確にこの気持ちを自覚した――――いや、目をそらすのを止めたのは。


 そして今、俺は、とうとうこの気持ちを言葉にして伝えようと思っている。

 きちんとテストが終わるまでは、邪魔になるべきではないと封印してきたこの気持ちを。


 だが、肝心な時に、俺は言葉が出てこなくなってしまっていた。

 あんなに昨晩もその前も、いつ、どうやって、なんと言おうかシミュレーションしたのに。学んだことを紙に書き出す試験と違って、想いを言葉にすることのなんと難しいことか。

 夏空そらが、急に黙り込んでしまった俺を、見つめていた。

 正面から見て、少し風になびく金髪も、よく感情を移す大きな瞳も、すっと通った鼻筋も、よく笑う唇も。全てが綺麗だった。


「そ……夏空そら


「ん……なんだ、陸冬りく


 俺が名前を呼ぶと、名前を呼び替えしてくれる。それが、とてつもなく愛おしい。

 なのに、口の中の水分はどこに行ってしまったのか、というほどカラカラで、次の声を絞り出そうとするのに、言葉が出てこない。


 目の前で、夏空そらがそんな俺を見つめている。夕日が当たって、その白い肌が赤くなっていた。大きな瞳が、俺に優しげに向けられていて、その中にカッコ悪い俺が映っている。


「…………お前が、好きだ」 


 本当はもっと、沢山の言葉を考えていた。

 気の利いたことを。この想いを少しだけでも伝えられるように。

 なのに、用意した言葉はすべて頭の中から消えて。真っ白になったところに唯一残っていたそれだけを携えて、俺は、言い切った。


 そして、それを受けた夏空の顔が、くしゃっと泣いたように笑って。

 急に、怖くなった。

 伝えることだけを目的に、見返りなんていらないと思っていたはずなのに。

 

「なぁ、陸冬りく。知ってるか? あたし、あんたの事がずっと好きだよ」


 だから、夏空そらがそう返してくれたのが、信じられなくて、俺は呆けたような顔で夏空の唇を見つめ続けてしまった。

 そんな俺に笑って、夏空は言葉を続ける。

 俺が、あれだけを絞り出すのに必死だったのに、夏空の口からは沢山の言葉が俺に向けて生み出されて。


「色眼鏡で見ることも、馬鹿にすることもなく、真っ直ぐにあたしを見てくれるあんたが。妹や弟の前では兄ちゃんになるところも、実は料理が苦手なところも、いつだって飄々としながら、めちゃくちゃ頑張ってそれを見せないところも。何も聞かずに守ってくれるところも…………時々、あたしのことを物凄く愛おしい目で見てくれるところも、たくさん」


夏空そら……」


「大好きだ。まだあるぜ? あんたが何かを楽しそうに説明するところも、どう言ったらあたしが理解するのか悩んでる顔も。好き」


 ぶわっと、俺の中を夏空そらの言葉が駆け巡って。


夏空そら、俺も、俺もだ。お前が、好きだ。どうしようもないほど、俺はお前に恋をしている」


 言えた。そして、勢いのままにさっきよりも近づいた夏空を抱きしめた。すると、まるでそうすることが当たり前と感じるほど自然に、そして驚くほど腕の中にすっぽりと夏空がはまって。

 こんなに近くなって初めて気付いた夏空の顔は、夕日がなくてもきっと俺と同じくらい赤く染まっていた。夏空はそんな俺を見上げて言う。


「はは、真っ赤な顔しやがって。なぁ、だからもっと色々、教えてくれよ? あたしも教えるからさ。勉強も料理も――」


 そして、少し背伸びして、俺の耳元で囁くように続けた。


「――それ以外も、な」


 より赤く、紅く染まった俺達を、夕焼けがそっと照らしてくれていて。

 重なり長く伸びた影は、いつまでも離れることはなかった。




~ 告白は試験の後に FIN ~

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