第4話 ベルティーナの休日02

 カップル限定のお料理を出すというレストランは、大通りの、カンタルチカさんの目の前に建っていました。

 こんな場所にこんなお店が出来たんですね。


 私たちがお店の前に立つと、中から寄り添うように歩く男女のカップルが出てきました。


「残念だったね」

「でも、君と一緒に食べられて嬉しかった」

「うん、私も」


 見ているこちらが照れてしまいそうなほど仲睦まじく、見つめ合ったまま、お二人は二人だけの世界の中を歩いていってしまわれました。

 あのカップルは、いつもあんな感じなのでしょうか?

 それとも、ここのお料理を食べて、あのような感じになったのでしょうか?



 とくん……と、心臓が高鳴りました。

 なんだか、妙に緊張します。



「よぉし! ここの店主に現実ってもんを見せつけてやろうぜ」

「へ? あ、そ、そうですね。頑張ります」


 ヤシロさんは打倒店主を掲げ、闘志を燃やしています。

 恋の炎が燃え上がるような素振りは見えません。

 それに、ほっとするような、少し寂しいような。


 でも、やっぱり、ほっとします。


「じゃ、行くか」

「はい」


 ただ……このお店に入るところをどなたかに目撃されたら、どうしましょうか?


 ヤシロさんの意思とは異なる、あらぬ噂が流れたりしたら……ヤシロさんは迷惑に思うでしょうか?

 私は…………えっと……、ちょっと、困ります、ね。


「あの……」

「ベルティーナ、手を」

「てっ!?」


 ヤシロさんが言って私の手を取り、曲げた自身のヒジに絡ませるように組ませます。


 腕を組んだことで、私の体はヤシロさんに寄り添い、頬がヤシロさんの肩に触れました。


「ふぇええ!? あ、あの、これは!?」

「あぁ、すまん。こうしないと入店できないルールなんだ。一応、建前上はカップル限定だからな」

「そ、……そう、なん、です……か?」


 建前上って……


「おそらく、こういうルールを設けることで成功者を少しでも出さないように振るい落とそうって魂胆だろう。せせこましい連中だ」


『せせこましい』は、ヤシロさんがよく使われる言葉で「ズルい」や「卑怯」「器が小さい」というような意味だったと思います。


 ……いえ、そうではなくて。あの、こんなのが、まだいくつもあるのでしょうか?

 お腹がいっぱいになる前に、心臓が悲鳴を上げそうです。


「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」

「おう。カップルだ」

「へぅっ!?」

「畏まりました。とてもお似合いですよ」

「へぅぅっ!?」

「行こうか、ベルティーナ」

「ひゃいっ!」


 いけません、いけません。

 なんだか一人でおろおろしっぱなしです。

 でも、だって……カップルとか、お似合いとか……そんなの、言われたことありませんもの。

 初めては、誰だって緊張するものです。

 致し方ないことなのです、これは……


「さぁて、どんなもんか、見せてもらおうじゃねぇか」


 席に案内され、ヤシロさんが瞳をギラつかせました。

 ……ヤシロさんには特に照れたような素振りは見えません。

 やっぱり、私が意識し過ぎているようです。

 恥ずかしいですね。意識し過ぎないようにしましょう。

 恋人同士でなくとも、ヤシロさんと一緒のお昼ご飯には違いがないのです。今という時間を目一杯楽しみましょう。


「お待たせしました」


 運ばれてきた料理は、小さな器に入ったソーセージでした。

 一口で食べられそうな小さなソーセージが二個。食べきれないような大盛りではありませんでした。

 もしかして、食べられないくらいに辛いのでしょうか?


「こちらを、お互いに『あ~ん』して食べさせ合ってください」

「へっ!?」


 思わず声が漏れました。

 これを、食べさせ……


「あの、私が二つとも食べさせてあげますね」


 子供たちにはたまにしてあげています。

 食べさせるのは得意です。


「いいえ。一つずつ食べさせ合っていただかないとここで失格となります」


 見れば、小さな器の前には『一品目』と書かれたプレートがありました。

 こういうのが、あといくつも出てくるのでしょうか……


「じゃあ、俺から――」

「いえ、私から!」


 いきなりなんて、心の準備が追いつきません。

 まずは、いつものように、子供たちにしてあげるように……


「あの、ヤシロさん。あ……あ~ん」

「あ~ん」


 フォークに刺したソーセージをゆっくりと近付けると、ヤシロさんが大きく口を開けました。

 そこへソーセージを入れると、ヤシロさんは口を閉じでもぐもぐと咀嚼を始めます。


「ん。ベルティーナに食わせてもらうと一層美味いな」

「はぅっ……あ、ありがとうございます」


 必要だったでしょうか、今の一言?

 心臓が「きゅんっ!」って鳴きました。


「じゃあ、今度こそ俺が」

「えっと、あの……」


 残ったソーセージは一つ。

 私が食べなければ先へは進めません。


 ヤシロさんのためにも……覚悟を決めて…………でも、出来ればあまり口の中は見ないでほしいです。


「あ、……あ~ん」


 きゅっと目をつむって口を開けると、舌にソーセージが触れました。慌てて口を閉じると、口の中にソーセージの美味しい味がじゅわっと広がりました。

 ゆっくりと咀嚼すれば、肉汁があふれ出してきて、なんとも言えない満足感が体を満たしていきます。


 素晴らしいお味にうっとりとして、目を開けると――ヤシロさんが楽しそうに私の顔を見つめていました。


「美味そうに食うよな、ホント」

「……み、見ないでください」


 両手をパーにして腕を突き出します。

 少しでもヤシロさんの視界を遮りたくて。

 手のひらの向こうでくすくすと笑うヤシロさんの声が、少しだけ憎らしいです。


「続きまして、こちらです」


 続いてテーブルに置かれたのは、桃色の飲み物でした。


「イチゴを潰して牛乳で混ぜた物です」

「イチゴミルクだろ」

「イチゴを潰して牛乳で混ぜた物です」

「なにそのこだわり!? イチゴミルクだろ!?」

「いえ、イチゴを潰して牛乳で混ぜた物です」


 ヤシロさんが店員さんに食ってかかりますが、店員さんはにこにことした表情を崩さずヤシロさんの話を受け流しています。


 ですが、私はそんなことよりも気になることがあるのです。

 このイチゴミルク……コップが一つなのに、ストローが二つ差さっているのです。


 ……これは、もしかして。


「お二人で同時に飲んでください」


 ……やっぱり。


 ストローはさほど長くなく、一緒に飲もうとすれば、顔がぐっと接近してしまいます。


「それでは、開s――」

「あのっ!」


 店員さんがすぐさま開始しようとしたので、それを慌てて止めました。

 心の準備をする時間を、ください……っ。


「お料理は、こういうものばかりなのでしょうか? 甘い物もいいのですが、私は少しお腹が空いていまして――」

「四品目は、あちらのステーキドデカ盛りとなっております」


 店員さんが指し示した先には、それはそれは分厚い重厚なお肉が八枚、どどーんっと積み重なり、輝くような肉汁をしたたらせていました。


 四品目。

 このイチゴミルクともう一品を食べれば、お肉です!


「ヤシロさん、頑張りましょうね!」

「分かったから、よだれは拭け」


 俄然やる気が出た私は、改めてイチゴミルクへ向き合います。

 ……ストローが、短いですっ。


 ですが、あと二品でお肉です。


「俺が先に咥えるから、自分のタイミングで近付いてきてくれ」


 そう言って、ヤシロさんが先にストローを咥えました。

 コップのすぐそばにヤシロさんの顔があります。ストローを咥える口はアヒルさんのように尖っています。


 そこへ、ゆっくりと顔を近付けて…………ムリです!


「あの、ヤシロさん! ぎゃ、逆が、いいです!」


 待ち受けるヤシロさんに顔を近付けるのは、さすがにちょっと、心臓が持ちそうにありませんでした。

 途中で体が動かなくなってしまいました。


「分かった。じゃあ、交代な」


 快く引き受けてくれるヤシロさん。

 待つ方なら、体が動かなくても、ヤシロさんがやって来てくれますし。

 そう思って、私は先にストローを咥えてヤシロさんを待ちました。


 ……ですがっ!


 近いっ!

 近いです、ヤシロさん!

 まだ近付くんですか!?

 どこまで近付くんですか!?


 うにゅぅううっ!


 逃げたいっ、のに、体が動きませんっ!


 顔が熱くなり、景色がゆらりと歪みました。

 目に涙が溜まってるのが自分でも分かります。


 これは……恥ずかしいです……っ!


 すぐ目の前で、本当にすぐそこで、ヤシロさんがストローを咥えました。

 ストローが、短いですっ!


「ベルティーナ」

「ひゃういっ!?」


 ストローを口に咥え、ヤシロさんが私の名を呼びます。

 ストローが短いですぅっ!


「いくぞ、せ~の」


 そう言われて、懸命にイチゴミルクを吸いました。

 早く飲みきって離脱したい。

 なのに、どうして、こんな時に限って、ストローに果肉が詰まるのですか!?

 どんなに吸ってもイチゴミルクが入ってきません!


 全力で吸い過ぎて、頭がふわふわしてきました。

 もう何も考えられなくて、目の前がくるくる回って、頭が熱でぼや~っとして――


「ベルティーナ」

「……はぃ?」

「もうないぞ」


 ヤシロさんに教えてもらうまで、イチゴミルクがなくなったことにも気が付きませんでした。


「そんなに美味かったのか?」


 くすくすと笑うヤシロさん。

 あまりに美味し過ぎて、私が意地汚く最後の一滴まで啜ろうとしていると思われたようです。


 違います!

 味なんか一切分かりませんでしたもん!

 全然違いますもん!


 私が抗議をしようと口を開きかけた時、三品目がテーブルへと置かれました。


 それは、一本の細く長い棒状の焼き菓子でした。

 八割くらいが茶色いチョコレートでコーティングされています。


「こちらは、細く焼いたプレッツェルにチョコレートをコーティングした、ポキポッキーっという焼き菓子です」


 店員さんがポキポッキーの説明をし、三品目のルールを提示します。


「こちらのポキポッキーを、お二人同時に、手を使わずに、端と端から食べ始め、ポキッと折らずに食べ切れればクリアです!」


 えっとそれは、つまり……

 この細く長いポキポッキーを、ヤシロさんと一緒に両端から手を使わずに食べ進めて……その先は…………



 出来るわけがありませんっ!



「しょうがねぇな」


 言いながら、ヤシロさんがチョコの付いていない方の端を咥えました。


「ほら、ベルティーナ。クリアを目指して頑張るぞ」


 そう言って、顔をこちらへ向けます。

 まっすぐこちらに伸びるポキポッキーはあまりにも短く、それを一緒に食べ進めるなどとても出来ることとは思えず……


「チョコの方は譲ってやる」


 そんな些細な気遣いに、「そうではありません!」と声を上げたいのに、なんだかもう思考が空回って――

 目を伏せ、頭を抱えて「ぅにゃぁぁああ!」とテーブルに突っ伏してしまいました。


「ベルティーナ。どうした? 早くしろよ、ベルティーナ。ベルティーナ? ベルティーナ!」


 視界は闇に覆われ、ヤシロさんの声だけが耳に届きます。



「ベルティーナ。おい、ベルティーナ」



 あまりに恥ずかしかったせいか、まるで陽だまりに包まれているように全身がぽかぽかとしてきて、遠くから草の香りが漂ってきました。



「こんなところで寝てると風邪引くぞ」



 ゆさゆさと、小さく私の体が揺さぶられます。

 それでも、あまりに温かい日差しと耳に心地のいい声に、私の意識はますますまどろみの中へと漂います。

 なんと気持ちがいいのでしょう。


 このまま、眠ってしまえばきっと――


「こんだけ熟睡してるなら、ちょっとくらい突っついてもバレないんじゃね?」

「懺悔してください、ヤシロさん」


 まぶたを開けると、ヤシロさんがぎょっとしたように目を剥きました。

 むぅっと頬を膨らませると、ヤシロさんは取り繕うように口を開きます。


「いや、バレなければいいかと思って」

「よくありません。もう」


 せめて取り繕ってください。



 ――と、ここで意識がはっきりとしました。


 あれ?

 ここは……教会?


 えっと、レストランは?

 ポキポッキーは…………あれは、夢……だったのでしょうか?


 呆然と辺りを見渡す私を見て、ヤシロさんは「くすっ」と笑いました。


「食べ物の夢でも見てたのか?」


「むぅ。そんなに食いしん坊ではありませんよ」と抗議したかったのですが……ヤシロさんのおっしゃるとおり、食べ物の夢を見ていました。

 抗議も出来ず、私はただただ頬を膨らませることしか出来ませんでした。


「……ナイショです」


 そう言って顔を逸らす私に、ヤシロさんの笑いは一層大きくなりました。


「ジネットが新しいお菓子を焼いたんだ。是非シスターに食べてほしいって、陽だまり亭で待ってるぞ」


 新しいお菓子と聞いてポキポッキーが脳裏に浮かびましたが……


「陽だまり亭でしたら、安心ですね」


 すぐに思考を切り替えました。

 ジネットの作ったお菓子は、どれも美味しく、幸せの味がします。

 きっと、今度のお菓子もそうなのでしょう。


「急に立つなよ。立ちくらみするから」


 木の根元に座って眠っていた私に手を差し出し、ヤシロさんが手を貸してくれました。

 立ち上がると、自然とあくびが出てしまいました。


「ぁ…………」


 慌てて口元へ手を添えますが……見られてしまったでしょうか?


「……見ましたか?」


 そんな問いに、ヤシロさんはいたずらっ子のような眩しい笑顔で頷きます。


「うん。ばっちり」


 その笑顔が可愛いやら憎らしいやらで――


「見ないでください。もう」


 私は両手を広げてヤシロさんの視線を遮ったのでした。






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異世界詐欺師『休日』シリーズ 宮地拓海 @takumi-m

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