第3話 ベルティーナの休日01

※はじめに


このSSは2022年6月8日(本編では三幕、ウィシャート騒動が終結間際で、マーシャがメドラを差し置いて大暴れしていた頃)に公開されたものです。

その後の本編の展開との齟齬があるかもしれませんが

ご容赦ください。


とりあえず、四十二区に港が出来る以前のお話です。


★☆★☆★☆★☆




 それは、とても温かい日の午後でした。


「ベルティーナ。おい、ベルティーナ」


 どこからか私を呼ぶ声がします。

 私を呼ぶのは誰でしょう?

 とても、心が落ち着く声です。


「こんなところで寝てると風邪引くぞ」


 ゆさゆさと、小さく私の体が揺さぶられます。

 それでも、あまりに温かい日差しと耳に心地のいい声に、私の意識はますますまどろみの中へと漂います。

 なんと気持ちがいいのでしょう。


 このまま、眠ってしまえばきっと――


「こんだけ熟睡してるなら、ちょっとくらい突っついてもバレないんじゃね?」

「懺悔してください、ヤシロさん」


 まぶたを開けると、ヤシロさんがぎょっとしたように目を剥きました。

 むぅっと頬を膨らませると、ヤシロさんは取り繕うように口を開きます。


「いや、バレなければいいかと思って」

「よくありません。もう」


 せめて取り繕ってください。


「食べ物の夢でも見てたのか?」

「むぅ。そんなに食いしん坊ではありませんよ」


 たしか、とても楽しい夢を見ていたような気はするのですが、もうすっかりと忘れてしまいました。

 いつまでも座ってるわけにはいきませんね。

 私は地面に手を突いてゆっくりと立ち上がろうとしました。


 まどろみから強引に意識を引き戻したせいでしょうか、ほんの少しだけ体が重いような気がします。


「急に立つなよ。立ちくらみがするぞ」


 そう言って、手を差し出してくれるヤシロさん。

 腰をかがめ、私の目の前に手が差し出されます。


 どうやら私は、庭にある大きな木の根元で眠ってしまっていたようです。

 庭のお掃除をしている途中で眠ってしまったのですね。


 ヤシロさんの手を借りて立ち上がると、自然とあくびが出てしまいました。


「ぁ…………」


 慌てて口元へ手を添えますが……見られてしまったでしょうか?


「……見ましたか?」

「ん? 何をだ?」


 あぅ……見られたようです。

 けれど、見ていないふりをしてくれるようなので、ご厚意に甘えさせてもらいます。


 ……あくびを見られるのは、恥ずかしいですね。


「あの、ありがとうございます、ヤシロさん」

「礼を言われるようなことじゃないだろ、あくびをスルーしたくらい」

「うきゅっ……そっちではなく、手を貸してくださった方です……」

「あ……そか」


 もぅ、もぅ!

 どうしてあくびの話を持ち出すのですか!

 それはなかったことに……ぅう、恥ずかしいです。


「あ~……えっと、ガキどもがいないな?」


 羞恥から、ヤシロさんに背を向けてしまった私を気遣ってくださったのでしょう。

 ヤシロさんが話題を変えてくれました。


 そうなのです。今日は子供たちがみんな出かけているのです。


「ルシアさんが、『四十二区に港が出来る前に、三十五区の港を見に来ないか? 古いが大きくて立派な港だぞ』と、子供たちを誘ってくださったんです」

「へぇ~。……あいつ、自分とこの港を見られた時に『古っ!』とか『しょぼっ!』とか言われたくないから先に手を打ちやがったんだろうな」

「そんなことはないと思いますよ。子供たちに社会勉強をさせてあげようというお心遣いだと思います」


 事実、ルシアさんは大きな馬車をたくさん寄越してくださり、子供たちみんなを三十五区へご招待してくださったのですから。


「ベルティーナは行かなくてよかったのか?」

「はい。子供たちのことは、ルシアさんとギルベルタさんが見てくださるそうですし、寮母さんたちも一緒について行きましたから」


 子供たちをお願いします――と、いうことにして、いつも頑張ってくださっている寮母さんたちに小旅行を楽しんでもらおうと思ったのです。

 私はたまに他区へ出かけることもありますが、寮母さんたちはずっと四十二区にいて教会を守ってくださっていますから。このような機会に恵まれたのですから、たまには、ね。


「ヤシロさんは、子供たちにご用だったのですか?」

「いや、そういうわけじゃないんだが……」


 ん~……っと、ヤシロさんが腕を組んで難しい顔をされました。


「ちなみに、ベルティーナは今日、教会を空けられない感じか?」

「いいえ。お掃除が終わったらしっかりと戸締まりをして、少しお買い物にでも行こうかと思っていました」


 折角なので、お散歩がてら買い出しをしようと思っていました。

 三十五区までは行けませんが、大通りを少し歩くくらいなら平気でしょう。

 お昼と夕飯は私一人なので、簡単に済ませてしまえますし。


 ……けれど、一人で食べるのは寂しいですね。

 ヤシロさんをお誘いしたら、ご一緒してくださるでしょうか?

 お料理のおねだりではなく、一緒に食べましょうというお誘いは、実はそれほど経験がなく、少しだけ緊張してしまいますけれど。


 いえ、変な意味はないのですよ?

 ただ、一緒にお食事をすると楽しいですし、より美味しく感じますから。


 でも最近は、四十二区にもオシャレなお店が増えてきて、若い男女はそういったお店へ行ってデートをしていると、パウラさんやネフェリーさんから伺っています。

 なんでも、恋人同士で食べるお料理というものがあるのだとか。


 どのような物なのか想像も付きませんが、ネフェリーさん曰く、とてもときめくお料理なのだとか。

 ときめくお料理……お肉でしょうか? お魚でしょうか? ボリューム満点であることは確実だと思います。なにせ、恋人同士が二人がかりでいただくのですから。

 信頼関係にある者たちが協力すれば、1+1は2ではなく、3にでも4にでもなるといいます。


 ですので、きっと愛し合う二人、信頼し合う二人なら、八人前、十人前は余裕だと思うのです。


 そんなことを考えていると、お腹が「くるる……」っと音を鳴らしました。


「……えへへ。お腹が空きましたね」

「あくびより、そっちに照れてくれ」


 ですが、お腹が鳴るとジネットやヤシロさんが美味しい物を出してくれますし、恥ずかしがっている場合ではないのです。

 一方のあくびは……口を開けて、目も完全に閉じられるでもなく微妙な感じで、それに、変な声も出ますし……


 やっぱり、あくびの方が恥ずかしいです。


「じゃあさ、もし教会を空けても平気なら、一緒に飯を食いに行ってくれないか?」


 まさか、ヤシロさんからお誘いをいただけるとは思いませんでした。

 ちょうどお腹も空いて、一人で食べるのは寂しいなと思っていたところですので、私に断る理由はありません。

 私は、すぐにでも了承の意を伝えようとして――



「実はな……カップル限定メニューっていうのを出す店が大通りに出来てな」

「……へ?」


 言葉に詰まってしまいました。


 えっと……カップル限定ということは、カップルでないといただけないメニューなわけで、それを私と一緒に食べに行こうとヤシロさんからお誘いがあったということは……私とヤシロさんがカップルに!?


「えっ、と、あの……それは、その……っ」

「あぁ~っと、待ってくれ! 一応、カップル限定とは銘打っているが、恋人同士でなくても大丈夫らしい」

「そう……なの、ですか」


 少し、ほっとしました。

 もし、本当に恋人同士でなければ食べられないメニューなのだとしたら、お食事の前にとても重大な決断を下さなければならなくなるところでした。


 そうではないようで、安心しました。

 ……ほんの少しだけ、残念な気もしますけれど。


「女子が好きそうな店でな、……悔しいかな、いい戦略なんだ、これが」


 ぐぬぬ、とヤシロさんが悔しそうに歯がみします。


「では、陽だまり亭でも取り入れてみてはいかがですか?」

「二番煎じなど出来るか! 陽だまり亭は常に最新のブームを発信する場所なのだ! それが他所のまねっことかパクりとか……印象が悪い! 後追いのイメージなんかが付いたらブランドに傷が付く!」


 なにやら、譲れない矜持があるようです。

 いいものは認め、取り入れていけばいいと思うのですが。


「『いいものは認め、取り入れていけばいい』とジネットは言うんだが……なんか負けた気がしてヤダ」

「あらあら、うふふ……」


 ぷっくりとほっぺを膨らませて拗ねるヤシロさんが可愛らしくて、思わず笑ってしまいました。


「それで、そのお店へ行きたいのはなぜなのですか?」


 参考にしないのであれば、わざわざ見に行く必要はないと思うのですが?


「ふっふっふっ……その店はな、客寄せのためにとんでもない暴挙に出やがったんだよ」

「暴挙、ですか?」


 利益度外視のとてもお安い値段設定なのでしょうか?

 それとも、高級食材をふんだんに使った赤字覚悟のメニューなのでしょうか?


「カップル限定メニューを、カップルで食べきると賞金1000Rb!」

「1000Rbですか?」


 それはすごいですね。

 お料理をいただいて、その上お金までいただけるなんて。それでは利益がまったく出ないどころか、どんどん経営が苦しくなると思うのですが?


「ただし、チャレンジに失敗すると100Rb取られる」

「失敗しても十分の一だなんて、随分と良心的ですね」


 その100Rbには、きっと食事代も含まれているのでしょう。

 それなら、チャレンジして失敗しても、恋人たちの楽しい思い出になるかもしれません。

 素敵な企画ですね。


「これまでクリアしたカップルは0組だそうだ」

「そんなに難しいのですか?」

「難易度は高いのだろう。俺は行ったことがないのでどんなメニューなのかは知らんが――」


 そこでヤシロさんが笑いました。

 にやりと、とても悪そうに。


「――どーせ、無茶な量を盛っているデカ盛り系だろう。彼女の前でいい格好をしたい彼氏の自尊心をくすぐって金を落とさせる作戦は実に見事ではあるが、この街にはベルティーナがいる! デカ盛りくらい余裕でペロリだ!」


 そう叫ぶと、ヤシロさんはキラキラした瞳で私を見て、両手をしっかりと握ってきました。


「だから、俺と一緒に挑戦してくれ! 二人で美味いものを食って、1000Rbをゲットしようぜ!」


 ヤシロさんはお金が欲しいようですが……



 手を握られて、そんなに見つめられると……照れます。



「私でお役に立てるか、分かりませんけれど」

「役に立つに決まっている! カップルになるのはベルティーナ以外考えられないぜ!」

「うきゅっ!」


 分かっています。

 カップル限定のお料理を一緒に食べるカップルです。

 一組の男女という、それだけの意味です。

 ですが……



 手を握りながら、まっすぐにこちらを見つめて言わないでください。

 心臓が……破裂してしまいそうです。


「わ、……わかりました。ご一緒します……どこまででも」



 今の言葉には深い意味はなく、美味しい物を一緒に食べましょうと、そういう意味ですからね。






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